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執着性格の治し方について

私は、何か思い入れの強い人や過去に対して、執拗なまでに執着してしまうんですが、止められるなら、止めたいです。愛されたい、認められたい欲求が人一倍強いのか、いつも劣等感や虚しさに苛まれます。 いろいろと調べたり、カウンセリングをするうちに、解ったんですが、 私がこんな厄介な性格になったのには、幼い頃の家庭環境や、親の対応などが原因らしいです。 かといって、終わった過去は変えられないですし、現在の自分は、その過去とは環境も違っているので、自身を変えることはできるそうです。 しかし、どうしたら、変われるのか、さっぱり解らないです。 ポジティブに、前向きに、考え方次第で、など自己啓発的な意見はよく あるんですが、なかなか簡単には治せませんでした。 意識して、ポジティブになったりしても、結局のちのち反動で、怒りや不満が爆発してしまいます。心の安定をはかるには一体何をしたら良いのでしょうか?どうか教えてください。 あと、心療内科の先生曰く、世代間連鎖で、親から子、子からまたその子へと精神的不安定は伝染していくとのことです。 確かに、私は片親(父)に育てられたんですが、放任や虐待を受けました。私の父も精神が不安定だったんでしょうが、しょっちゅう私に対して罵声を発し、馬鹿にされて育ちました。そんな自分勝手な父親でも、父として尽くしてきてましたが、20歳の時に喧嘩して実家を出て以来、疎遠になりました。 その後も実家に残っている兄弟もおりますが、みなネガティブで不幸な一途を辿っています。 私は、いずれ、自分に子供を授かったときに、我が子を幸せにできるかが不安です。また同じ犠牲者を輩出するんではないかと案じております。もし、努力しても、この運命に逆らえないのであれば、いっそ子供を作らず、一生このままでいた方がいいのかもしれないと思っております。どうか、糸口を教えてください。

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  • blazin
  • ベストアンサー率50% (20257/40158)
回答No.1

少しずつなんだと思う。 こうしてカウンセリングを通じて貴方のその抱えてる部分の根源の一部が見えてきた。それは大きな発見であり、この先の自分整理のきっかけにもなる。 もちろん過去は過去として丁寧に受け止めて、整理していく一方で。 大切なのはやっぱり「今」なんだよね。 不遇な過去があっても。貴方は当時の貴方では無いんだよ。 そこから貴方なりにもがいて今の貴方がいる。 その今の貴方にとって大切にしたいこと、良いなと思える自分自身。 それを改めて心の中心に据えて。 貴方なりに丁寧に前に進んでいく。 人って急には変われない。変わらない。 だからこそ丁寧な積み重ねが大切なんだよね。 今は不安定でも良いんだよ。 波があっても良いんだよ。でも貴方なりにその波とも付き合っていけるようになる。それが人の成長なんだよね。 誰かと比較したり、あの時こうだったらああだったらとボンヤリ嘆いていても何も生まれない。 もしそういうこうだったら的願望があるなら。 今からでも努力すれば良い。 変えられない過去はある。でもいくらでも変えていける未来が貴方にはあるんだよ。 貴方の過去のしんどさや今までのプロセスは貴方にしか分からないものなんだと思う。だからこそ、貴方自身が自分を追い込まずに。自分の一番の理解者になって穏やかに受け止めてあげる事。 いろいろあったけど、自分なりに頑張ってるじゃないかと。 自分自身をもっと認めてあげる。オッケーを出してあげる。 大きな目標ばかり立てずに、少しずつクリアできる一歩一歩を確認しながら。 当然その為には今の貴方の目標も大切だし、改めて日々を丁寧に送っていく姿勢は必要だけどね。 貴方はそんなに爆弾を背負ったような存在では無いんだよ。 辛かった過去があるからこそ。そこから這い上がってきた、そして貴方なりに自分を立て直した貴方には人には無い深さがある。 それは当然2世が生まれても。その存在を丁寧に受け止めてあげる貴方として存在している筈だからね。 あまり先の事まで考えすぎて、自分に暗い影を落とさない事。 今は良い意味で目の前の日々を大切に、少しでも納得できる、自分なりに良いなと思える自分自身に繋げていけるように。 貴方なりに頑張っていけば良いんじゃない? 今の貴方の一歩が将来の貴方を決めるんだから☆

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noname#105938
noname#105938
回答No.4

こんにちは。 過去の歪んだ愛情?愛されていない寂しさからくる「愛してほしい欲求」が強いってことですね。 人間って、「愛されるから愛する」のです。「愛するから愛される」。 オトナの場合「ギブアンドテイク」や「駆け引き」が人間関係に重要なため、感情的になりやすい人は確かに敬遠されがちですよね。 やはり「愛される」ためにはあなたが「愛する」コトを必要とします。 「愛する」コトをこれからゆっくり学んでいけばいいのではないでしょうか。 ここに相談された時点から未来は良い方向に向かっていると思います。 「過去は変えられないけど未来は変えられる」って難しい言葉ですよね。 たとえば「今日ゴミ出し行けなかったから、明日行こう。」「今日のお菓子はおいしかったな。明日は違うお菓子買ってみようかな」とかこういうことだと思うのです。 そんなに「自己啓発!!」なんて難しく考えるのは一番良くないです。 不幸、精神病、確かに遺伝するとかそういう話も良く聞きます。 しかしこれは、「思い込みの病」と言うこともあります。血縁が近いからこそ虫の知らせで自分も発症。何てこともよくある話です。 心の病は簡単に治るものではないのは重々承知です。 お医者さんにも通われているのですものね。お医者様と二人三脚でゆっくりやりましょう。 しかし父は父。親族は親族。あなたはあなたです。 明るく楽しく健康で生きていられれば、お金はなくとも(笑)それだけで十分だと思いませんか? 前にも書きましたが「愛されるから愛する、愛するから愛される」のですが、子どもや動物の場合、理由はなく親を愛します。 親からひどい虐待されている子どもも、「お母さんは悪くない!」とかばうのです。 それほど親子の愛情と言うのは「無償」です。 なにもたいしたことしないでも、子どもは親を好きでいてくれます。 父親を反面教師にし、子どもさんができたらいっぱい抱きしめてあげてください。いっぱい「大好きだ!」と言ってあげてください。 前向きな言葉を口に出す。「絶対素敵なママになる!」とか。 コレだけでも十分な自己啓発になります。

  • kimari14
  • ベストアンサー率17% (50/288)
回答No.3

うらやましいですね。芸術家、アーチスト、物理化学学者 無から有を生み出す 素質大。 執着心がないと、とてもできない。過去の不幸? いっぱいいります。 人間は絵に描いたモチではありませんから、腹が立てば、何にでも当り散らし、その雨あられのなかで、防火づきんをかぶって、逃げ惑う。なんでもありが人の世の常識でしょう。あなたが勝手に、家庭とはこんなもので、肉親はこうあればと願っただけじゃないですか、屁の緒がついたまま、捨てられる子と捨てる親との関係も冷徹に存在しますし、あなたの父親も社会との関係もあるし、野心も出世も男の欲も押さえつけるために、子育てと平行しながら、罵詈雑言を浴びせたり、返り討ちにあったり、惨めさに苛められたり、 挙句に、君から捨てられる。ほんの少しタフでないだけだった。タフであれば、優しさも顔を出すものなんですがね。矛盾、絶望、懐疑心、嫉妬、嫉み、ごった煮のナベをみんなでつついて、おなかを壊した理由を そのナベのせいにして、こども産めるだろうかは、ないでしょう。それなら産まないほうがいい。 あなたが今、存在するのは、ご両親の存在の継承でしょう。今の不幸?の元がその継承というなら、救われないでしょうね。ピンチはチャンス。君が異常と考える執着心も使い道はあるはずでしょう、問題があるなら、徹底的にその問題と向き合うことでしょう。そのことでいいことも悪いことも受け入れる。元々、人生は考えるほど単純でも複雑でもない。あるべき姿があるべき状態である。

  • haru728
  • ベストアンサー率23% (11/47)
回答No.2

変わろうと思った貴方は必ず変われるはずです。 かつて私もそうでした。 そしてそれを育った環境や親のせいにしてました。 そうやって過去にすがってたんですね。そうやって私も長いこと後ろ向きに歩いて生きてきたような気がします。 育ってきた環境や周囲がどうであれ逞しく生きてる人が世の中にはたくさんいることに目を向け始めたのをきっかけに私は大きく変わり始めました。 しかし、それもやはり自分で変わりたいと真剣に思い始めていたからこそ目を向けれたことだと思います。 私も片親育ち、虐待を受けて育ちました。 しかし、現在は『それが何だ』と思っています。 事実は事実として受け入れる、ただそれだけ。 何回過去を振り返ってもそこには変えられないものばかり。そんなものに執着して、回りに迷惑かけて答えを探し求めて。 いままでの考え方ややり方でこんな駄目な人生が続いていくのなら思いきって変えるしかないと思いました。 自分と同じように辛い経験があるにもかかわらず逞しく生きてる人がかっこよくみえてそうなりたいと思ったんです。 相手、もしくは他人を変えようとするより自分がさっさと変わった方がラクなんですよね。 糸口としては何に対しても期待しないこと。 相手に『返事を期待しない』 『変わってくれるだろうと期待しない』 『こうすればわかってくれるはずと期待しない』 『答えを求めない』 心理学の本を読み漁ったり精神科に通ったりして答えを散々探し回ってた日々も私にはありましたが、どこにも答えは無かったです。 答えは自分の心の中にありました。

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