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人生の意味

重い内容になってしまいますが、ご了承ください。 ここ最近、生きる意味、人生の意味が分からなくなってきました。 30半ばで失業して、彼氏や家庭もなく、それなりに努力して仕事を探して いるのですが、このような不況の中、不採用の連絡ばかりで本当に心が折れそうです。 社会から離れて過ごす時間が長くなってきますと、自分は一体何のために生きているのか、本当に分からなくなります。解雇でしたから社会のつながりがなくなり、一人暮らしですから、別に私がいなくても誰も困りません。両親は兄夫婦が同居して孫もいますから、私がいなくても大丈夫でしょう。そうなると私がここにいる意味がないのです。 誰もが焦るなとか、前向きにと言ってくれますが、失業保険もそのうち切れますし貯金もそんなにありませんから、限界があります。就職活動も競争倍率が激しいので、すぐうまくいくようには思えません。 こういった状況で、それでも人生に意味などあるのでしょうか。私が生まれた意味などあるのでしょうか。積極的に死にたいなどとは思いませんが、逆に言うと積極的に生きたいとも思えないのです。 こんな相談で、申し訳ないです。”前向きに”と言われても正直なところ、適当なアドバイスとしか思えなくて、実際どうしたらいいのか全然見えません。 こんな私でも、人生に意味があるのでしょうか。

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回答No.18

もともと物質には「目的」などありません。 しかし、無いがゆえの意味というものもあるのです。 物質的な「無目的=エントロピー増大」は淘汰となり、二次的に進化を導きます。 「いや違う!」と主張する事は可能ですが、厳しい生存競争の中で、生き残るために努力しない個体の遺伝子が次世代に伝わり、種の形質となる事はなく、進化は常に、「生きる事」を目的とするよう導くのです。 (あなたが死にたいと思っても、死ねばそのような形質は遺伝せず、やはり全体は「生きよう」とする) 一方、どのような行動も、本質的には任意=意志の充足であり、「意志の充足じゃない」というのも一つの意志として、精神的充足の追及という方向性から逃れることはできません。 生きる事の本質的目的は、人生を通算した充足量の最大化(生理的拡大×欲求の強さ×それを「人生通算での最大」にコントロールする認識力×その達成度×それを把握する認識力)に収束します。 「精神的充足感のため」というのは、刹那的な快楽主義に帰結するのではなく、最大限の大きな目的、最大限の愛と、最大限の認識を兼ね備えたものになるのです(短絡的な快感の帰結は麻薬だが、それが最大充足でないのはご存知の通り)。 であるならば、人が生きるのは、物質的豊かさのためではなく、精神的充足感のためであり、人が働くのは、お金をもらうためではなく、助け合い=愛のためです。 生物として、「生きること」が唯一の目的であるが、社会生命=助け合うために集まっているものとしては、働くことが生きること。 しかし今、そうした「他人を助ける」=愛のために働いている人が、どれほどいるでしょう? 人がとらわれているのは、“お金(や、その源泉としての出世)”という虚構の価値であって。 原始共産制の助け合いから、組織が分業化&拡大する上で、人の意識の社会性を発達させずに、お金や権力といった“馬車馬の目の前のニンジン”で、他律的に社会行動をとらせる道をとったのです。 お金は、本来助け合うために集まったはずの社会において、自己チュー的な意識のまま社会行動をとらせるための“矯正具”として発達したものなので(社会生命として生きる事である労働(助け合い)を、お金をもらうために嫌々働く)、当然、自由意志を束縛する機能があります。 本来、社会的生命として助け合うために集まっている人々をして、弱肉強食のジャングルに変える、悪魔のツール。 要するに今の人は、自ら喜び(自己存在の本質に根ざした生)に目をそむけ、他律的生=「苦痛から逃げる事による生」に堕しているのです。 (「助け合う喜び」から「奪い合って勝つ喜び(幻想)」への変質) 自分のためでなく、人のためであれば、虚栄心や自尊心さえ捨てれば、やるべき事はあるのもです。

その他の回答 (17)

noname#105597
noname#105597
回答No.17

NO.15、16ですが、更に追記しておきます。 結局、不況にともなう就職難に、ご質問の発端があるわけでもありますが、政治的参画を通して社会参画して行くという中に生きがいを創り出して行く、ということもありえるかと思います。 当面の生活を支えて行く、という施策は必要ですが、それには財源も必要になるわけで、ともあれ、事業が進展して行く、という方向へ動いて行く必要があるのではないかと思ったりします。 公共事業としては、無駄を省く必要はありますが、民間ではできないけど民間の事業等を進展させて行く公共事業があるなら、そうしたものへ投資して行くことは必要だと思います。 そこに雇用需要も発生しますし、将来的に事業が進展すれば投資資金も無駄になるどころか逆に増進して行くことになるかと思います。 また、民間の事業がもっともっと展開しやすくなるようにして行く余地も色々あるかと思います。 規制の中には必要なものもありますが、社会が進展しき来た中でむしろ弊害・妨げになっているものも色々あるように思いますので、そうした部分を迅速に改善して行く必要があるかと思います。 そうして民間事業が活性化すれば、雇用需要も増加して行きますし、個人や社会の富も増大して行くと思います。 そうした政策を掲げる政党に投票して行くことで、よりよい社会を実現して行くこともできるかと思います。 ですので、短期・中期・長期的に、やって行けることは色々ある、というのが、NO.15、16と今回の回答を通じての回答です。

noname#105597
noname#105597
回答No.16

NO.15ですが、追伸します。 ●短中期的な方法として、嫁ぐ、という道もあるでしょう。 その際、例えば、最近はどこも嫁不足であるため、地域ぐるみで婚活を支援している所も多々あるように思いますし、また、バツ一バツ二等として男性の方が子供を育てていて大変、というケースも結構多いように思います。 それで、自分の方も無職かつ年齢も30半ば超、ということであれば、お互いある意味謙虚に補完し合えてうまく行く、という面もあるかもしれません。 結婚後も、チラシポスティング等の仕事もありますし、主婦であっても例えば亭主にマッサージをしてあげたり、ホステスのように亭主をもてなす等したりすれば、相応の金銭に値するとも言えるでしょうし、それ以上の家庭を築けることになるかもしれません。 マッサージ師兼ホステス兼看護婦兼・・・というイメージはいかがでしょうか。 ●次に、生まれた意味や生きがい等についてですが、 前回の回答や上記のような感じで、とにかく生きて行けるのであれば、その中で意味を感じることは色々できるかとは思います。 (1)まず、他から受ける恩恵を色々味わえることはあります。 就職にしろ扶養にしろ生活保護にしろ、他者からの御恩を受けることになりますので、そのありがたさを実感することができます。 また、費用をあまりかけなくても、テレビや読書や外出時の風景や他者との交流等々にも、恩恵を感じることができますし、自身それなりに楽しんだり憩ったりできるでしょう。 (2)他者のニーズを感じ取り、充足させてあげようとすることの中に、それなりのやりがいを感じて行くこともできます。 自分のやりたいことが思い浮かばない時は、他者のニーズに思いをはせてみるといいということがあります。 そうしてみると、世の中には実に多種多様なニーズがあふれていることに気付かされます。 質問者様のご質問のようなニーズもそうですし、最近のテレビで孤独死や肉親と死別したショックに深く傷付いたままの学生を扱ったものもありました。 自分にやるべきことやできることがあればやって行こう、という生き方もあるかと思いますし、案外その中にやりがいを感じて生きて行くことはできるかとも思います。 自分が居なくても誰も困らないじゃないだろうか、という思いがよぎることもありえるでしょうが、実際は世の中にニーズはあるのに、それを見ていなく、それに応えようとしていないだけである、ということも言えるかもしれません。

noname#105597
noname#105597
回答No.15

私も30代に失業経験はありますし、知人にも失業者で面接を繰り返しても容易に正規職に就けないままという人がいますので、現実の厳しさは身にしみてわかる気がするため、回答にしばし困りました。 ただ、割り切って言えることがあるとすれば、 (1)バイト等をしつつ正規的職を探す (2)家族と同居が可能なら同居して職を探す (3)家族と同居が無理なら家族から資金的援助(借りたり受けたり)を受けつつ職を探す (4)家族の扶養が無理なら生活保護受給しつつ職を探す (5)相続人のない方と養子縁組をして同居しつつ職を探す (6)その他・・(?) その他付記 ●行政の支援策を探す・・・例えば「働きながら資格をとる介護雇用プログラム」といった事業が開始されます。これも選考はありますが、タイトルどおりの内容です。この他にもあるかもしれませんので、職安その他行政機関へ問い合わせてみる方法もあります。 ●その他、私は、求人を出していない企業や求人定員確保済の企業へ求職して採用してもらったこともあります。企業は特に従業員定員が決まっているわけではありませんし、繁忙・閑散や従業員動向が不安定状態である場合も結構ありますので、「給料云々よりもとにかく働かせて頂きたい」という感じで話してみると、「じゃあとりあえずちょっと作業してみますか」という感じで使って頂ける、というパターンはありました。また、ホームページで、困っている人を支援しているような所等々を、全国的に調べて、県外へ就職できたこともありました。 と、いうように、ともかくまずは生活を確保し、就職を確保することが先決ではあると思います。 それが確保できてからその他のことを考えらたら、と思ったりもします。 以上はさしあたりの具体的対処として思いつくことです。 それで、もっと普遍的な意味としての人生の意味につきましては、私の回答履歴を参照頂ければ、過去、記載したものがあります。 ただ、こうして現実問題に直面されていると、どのように感じられるだろうかなあと、色々考えてしまう面もありますが、ともかくは参考までということにして頂けたらと思います。

  • forever520
  • ベストアンサー率46% (743/1588)
回答No.14

30代既婚者?です。 意味はあります。あなただけではなく、全ての人たちに 意味があるそれぞれの人生です。 別に前向きに、焦らず生きる必要もありません。 今のあなたが全てです。今何を思い、何に苦しんでいるのか? それを見つめるだけでいいのではないでしょうか。 しかしそれでは仕事が見つからないと言われると思いますが、 あなたが何故仕事を失うことになったかを見つめないと、先に 進めないのです。 苦しみから目を背けることでは乗り越えられない問題なのです。 今のあなたは本当に仕事したいと心から思っていますか? 心のどこかでは、仕事をしたくないあなたはいませんか? 解雇されたことで、社会への不信感を持って、どうせまた同じ ことの繰り返しなのではとか、 もうあんな思いはしたくないって思っていたとしたら、 仕事をしたくないと判断して、あなたには仕事が巡ってこない 可能性はあります。 あなたはあなたの人生を生きる為に産まれてきました。 他の誰かに認めてもらうことでも、幸せにしてもらうことでも ありません。 あなたが、あなたの人生を生きることで、道は開けてきます。 あなたの周りが何を言おうと、何であろうと問題ではありません。 ただただ、今を見つめて、今を生きることです。 今のあなたに出来ることだけをしていけばいいのです。 負けないでください。人生全てに意味があります(^.^)

回答No.13

とても難しい問題で、自分もよく悩むことです。 重い問題と言われますが、とても大事なことですよね。 幸い自分には共に悩んでくれる友人に恵まれました。 その友人から聞いたのですが、まず今自分を苦しめている問題を全部紙に書いてみたらいいと思います。 まず、悩みがやや軽くなりました。 そして、書かれた問題の中で解決可能なものを一つ、解決してみることです。 それだけで、心が大変前向きになりました。 心が落ち着いてから、生きる意味を考えては如何でしょうか。 一応、自分が面白い、勉強になると思ったサイトを紹介します。

参考URL:
http://jns3.netfarm.ne.jp/~ac206277/4ae5c1fa/i/iroha1.htm
  • wanekoz
  • ベストアンサー率14% (199/1373)
回答No.12

単に、仕事がみつかれば解決するのだから 就職の相談にすぎません。 職種を思い切って変えたらどうですか。 また、 あなたは結婚しないことに決めているのですか。 そんなことないでしょう。 結婚するならどんどん見合いするほかありません。 結婚によっても解決することです。

noname#104724
noname#104724
回答No.11

>就職活動も競争率が激しいので、すぐうまくいくようには思いません。 皆、必死ですからね。諦めずに何回もチャレンジするしかないでしょ。 人生に意味のある人なんてよっぽどの人物で無い限り居ないと思います。 ワーキングプァーな人とかが多い時代ですので質問者様の様な投げやりな人も多いです。 僕も正直もう、どうにでもなれって思ってるんです。 しかし自分を馬鹿にした世の中を見返してやりたいです! 僕はこれだけで何とかモチベーションを保っています。 質問者様も何かで燃えて下さい。 おかしな回答ですみませんでした。

回答No.10

一年くらい、実家に戻ってもいいんじゃないですか その間は実家の近所でアルバイトでもして貯金し、 再生への手掛かりを用意するという手段もあります 人生の意味は実家で美味しいものでも食べてゆっくり考えて練り直し、 それから新しい貴女を作っていっていただきたいと思います

  • rika-chan
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回答No.9

 人生に意味はありません。意味をつけるのは一人一人の意識です。価値は、他人が決めるのではなく、自分自身が決めるのです。  人生とはゲームのようなものです。誰もがランダムに配られたカードに従って、自分自身の頭脳で戦っていくのです。配られたカードは、良いカードばかりの人もいるし、悪いカードばかりの人もいます。でも、ゲームに強い人は、どんなカードを配られたところで、最終的に自分に有利に持ってゆき、勝っていきます。  自分は悪いカードばかりひいてしまったから、どうしょうもない。と言っていても始まらないのです。そのカードの中で、今の自分自身にできるベストの選択をしてゆくことで、道は開けてゆくのです。

noname#105381
noname#105381
回答No.8

まだ中学二年の男子で 子供なので社会は よくわかりませんが でも僕もなんで母は 僕を産んだのか 生きる必要があるのかと 最近まで思っていました… というのも母は僕達兄弟を ほっといて他の人と 浮気そして父と離婚… 僕達兄弟を父のところに 置いてその男と結婚… しかしそれでは収まらず その人とも離婚 そしてまた違う男と 結婚それが今の状況です そのことをみすみす許した父も はっきり言ってキライです それにそこまで ではないのですが 僕は昔、イジメに 会っていました… なので二年生になって これからは誰とも 話をせず嫌われず イジメにも会わずにいよう そう決めていました でもある時同じ班に なった人が誰も興味を 示してない僕に いきなり声を かけてきたんです 最初はなんとも言えず 頭を下げただけ… それでもずっとずっと 話かけてきたんです そのお陰で 周りの人達とも 自然と慣れました つまり暗い世の中でも よく探せば小さな光は 一つぐらいあるはずです 長くなりましたが 中学生にこんなのを見せて 中学生にこんなに 長く書かせたんです 生きて下さい これがあなたの 生きるための柱に なれたらうれしいです