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人の話を訊きすぎる

私は幼い頃から、人の話に耳を傾けすぎる(〇〇は人の話を訊きすぎだよね等)と他人に言われる事が多いです。 「人と話す時は目をみて話せ」 「人の話はしっかり最後まで聞け」 と、両親から教わって育ってきた中、何がいけない事なのかさっぱりわかりません。 "人の話に耳を傾けすぎる" "人の話を訊きすぎる" (人に質問しすぎる訳ではなく、話している事をしっかり訊く) を、いけない事の様に言う理由・意味を教えて下さい。 後、上記の事柄が関係しているのかは分かりませんが、 他人からの中傷・暴言を気にしすぎる傾向が私にはあります。 (すぐに怒りを感じたり落ち込んだり、いつまでも) 自分に自信がないからなのか、プライドが高いからなのか、原因はその辺りにあるかとは思いますが、中傷・暴言を言われた時に感情を揺さぶられない方法・思考の仕方を教えて下さい。 (全くの他人からの中傷・暴言は回避できますが、身近な人間からの中傷・暴言はとてつもなく感情が揺さぶられます) 宜しくお願い致します。

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  • nemuchu
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回答No.3

その「あなたは人の話を聞きすぎる。」というのは、 文字通り、人の話をしっかりと聞くことができる。という事への苦言なのではなくて、 ・相手にとったら特に重要な意味のない世間話などのなかで、話題の中で聞き流せばよいような小さなことまで、事細かに気にして詳細を確認したがる ・ちょっとした苦言、悪口、愚痴などマイナスの話題に対しての拒絶反応、反論が強すぎる。気にして凹むなど、こだわりすぎる。 などから、「聞きすぎる」と言われているのではないでしょうか? 人の話に耳を傾けること自体は、少しも悪いとは思いませんが。 たとえば、ご近所さんに「**さん、おでかけですか?」なんて言われて、 「なんであなたに私の行き先を教えなければいけないんですか?」とか「ええ、これからバスで**駅にでてそこから電車でxxへ行って、高校時代の友達と4人でイタリアンを食べるんですよ」などと、 相手の想定外の、つっこんだ回答をしてしまっているのでは? 上記の場合、相手は「ええ、ちょっとそこまで」程度の返事しか期待していないのです。 そういう事のように見受けますが、いかがでしょう?

fuantei34
質問者

補足

回答ありがとうございます。 びっくりしました。 目が覚めました。 私の中身はnemuchuさんがおっしゃる通りです。 新たな質問をたてるべきなのかもしれませんが、nemuchuさんに少し甘えて、質問をさせて下さい。 私自身がとるに足らない世間話をした事に対し、相手の方がつっこんで内容をききたがった場合、"ちゃんと話を訊いてくれてるんだな"と嬉しく感じたりしてしまいます。 私自身がそうなので、私が他人の話を訊いた時も同じ様に接してしまいます。 これは、"人をみて接し方を変える"べきなのか、"詳細な事まで確認しようとする私を変える"べきなのか、どちらでしょうか? 本来自分で考えるべき所なのですが、参考意見をお聞かせ願えないでしょうか? お時間が許しましたらお願い致します。

その他の回答 (4)

  • nemuchu
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回答No.5

No3です。 "詳細な事まで確認しようとする私を変える"べきかとおもいます。 「どんな話題にも、常に」こまかく確認したり、突っ込んだ話を聞きたがる人は、 他人のプライベートに異様に興味があり、出歯亀趣味であるように感じられ、良い印象を与えません。 その上で、質問主さんがその話題のなかで「とっても気になった事」「すごく興味を引かれた事」については、突っ込んで聞いていいと思います。 ただ、話の主題から外れた事について聞きたいときは、相手が一通り主題を話し終わるまで待つ事。 自分の話に興味をもってくれる人は嬉しいものですが、なんでもかんでも詳細を確認されるとまるで尋問を受けているようですし、 話したい話題の腰を折ってまで小さな事を追求されると、話しているほうは困惑します。 また、人により、タイミングによっては ・誰かに話(愚痴)を聞いてほしいだけ。反論や解決策は特に必要ない ・気も頭も使わず、かるい世間話だけしたい など、「相槌さえうってくれればいい」「どちらまで?ちょっとそこまで。的な定型文のような会話だけをしたい」 というような時もあります。そういう会話に対しては、いちいち細かいことに突っ込むと「空気が読めていない」と、嫌がられます。 また、このような回答をしている身で言うのもなんですが、他人の回答が「唯一真実であり、自分の進むべき道だ!」などと思い込まないこと。 回答者は、それぞれ自分の考え方に沿ってアドバイスをしているだけで、たとえば私とは違う考え方の人も世の中には大勢いるからです。 暴言、中傷もそう。それは「悪意」ではなくて、「自分とは考え方の違う人からの、アドバイス」だと思えばよろしい。 100人の人がいて、その全員が同じ考えを持っている事はありません。その100人に100%好かれる人になるなんてのは、到底無理です。 ですので、アドバイスも、暴言も、中傷も、自分の中で消化して考え、「この部分はいい。取り入れよう」とか、「ここは自分とは考え方が違うから、受け入れられないな」などと、区分して整理していけばいいとおもいます。

fuantei34
質問者

お礼

個人的に質問した事に対しての回答ありがとうございます。 とても嬉しいです。 私自身の意思で好感が持てる相手に対しては、かるい世間話でもただの愚痴でも、相手の性質・性格を知りたいが為、又は、話に対しちゃんとした自分の意見を言いたいが為に、突っ込んでしまう事が多くありました。 相手がどういった意思で話をしているのかをしっかりと見極め、返答していきたいと思います。 >他人の回答が「唯一真実であり、自分の進むべき道だ!」などと思い込まないこと。 お気遣いありがとうございます。 "人の話を訊きすぎる"と言われる意味を知る事ができ、その原因が、自分本位な会話の仕方による所だと知る事ができたのが、私にとって最大な事です。 >「悪意」ではなくて、「自分とは考え方の違う人からの、アドバイス」だと思えばよろしい。 私にとって、あなたに回答して頂けた事が凄く幸運です。 私自身、"悪意"をもの凄く気にします。 言葉に乗る感情に"悪意"がこもっていなければ、どんな言葉でも受け入れる事ができるのですが、普通の言葉でも"悪意"がこもっていると受け入れる事ができませんでした。 "悪意"と感じる感じないは私個人の価値観でしかない事は分かっているのですが、どうしても避けられずにいました。 "悪意"を"アドバイス"に変換する・・目から鱗が落ちる思いです。 "悪意"を持って接しられると、"会話ではなく、感情レベルの私に対するただの攻撃"としか受けとる事ができませんでした。 アドバイスだと思う・・訓練していきたいと思います。 >暴言も、中傷も、自分の中で消化して考え 自己分析をしても、それは自己の価値観によるもので、又、客観的に見えている部分と見えていない部分がある中、この質問をした事により、見えてない部分を知る事ができました。 "自分の中で消化"する為のヒントを頂けた事を、とてもありがたいと思います。 本当にありがとうございました。

  • parts
  • ベストアンサー率62% (6366/10151)
回答No.4

人と目を見て話す。人の話は最後まで聴くというのは、私も幼い頃に教わりましたね。 しかし、私が最後に教わったのは、一つ覚えで人の目を見て話を聴くのではダメだと教わりました。 何を言うかと思うかも知れませんが・・・私の恩師の言葉です。 今でも忘れられないのは、その人の目を見るのではなく示す先を必ず見なさいと。相手が話すときは相手の示す先を、自分が話すときは自分の示す先を見なさいと。それができなければ場合によっては無礼だと。 目を見るのは簡単なのです。人でなくとも犬でも主人の目を見るように躾けることは出来ます。 しかし、当時示す先を見るというのは理解が出来ないことでした。果たしてその人が指を指してここだと言ってくれるのかどうか・・・。私がその示す先というのを自分なりに咀嚼しそれなりに理解出来たと思ったのは、それから、より多くの人と接した後のことです。相手の目を見なければいけない、必ず最後まで傾聴しなければいけないのは、伝達における最上級の手段が必要なときです。 しかし、最上級は最善の手段ではありません。 示す先には、いろいろあります。相手が手で示す先。目で合図する先。想像しなければならないような言葉の中に含まれる先。その先には、最後は濁すという場合もあるのです。そこから、何を読むかは人それぞれですが、基本的な傾聴や目を見るという動作はあくまで第一印象としての入り口の礼儀であり、時々でそれは変化させねばいけないことを知りました。 私は、常に人の目を見て、耳を傾けるとは限りません。ただ、話の示す先を見る努力はしています。まあ、こうだという答えは書きませんが、質問者様なりに考えてみると良いかもしれません。 一応例として聴きすぎになりそうな状況は、 例えば、話した人は答えや内容の同意などを求めていないが、それに自分なりの解釈を答えてしまう。一言余計である場合。 井戸端や飲み会などの鬱憤を晴らすような砕けた状況で相手の目を見て話を聴く、聞き耳を立てている。 どのような状況下でも話の内容を真剣に聴いており冗談が通じない。 2つ目の件は、誰もが持っている要素です。 現実にそれを表面に表すかどうかの違いです。家族や親戚、友人などに強く何かを言われるとそれに感情が反応することは誰でもあることです。これは、人間か進化する過程で培った集団生活を守るという本能があるためです。その因子が強い人は、それの影響を強く受けるでしょうし、それが弱い人は集団での生活になじめません。 若干その傾向が強いのかもしれません。ただ、人であれば身近な相手ほど自分の感情に大きな影響を与えます(自分は影響を受けないと思っている人でも、それを強く意識しないというだけで絶対に影響を受けています)。後は、それを顔や行動で表すかどうかの違いでしょう。 自分が揺さぶられると思うなら、それは仕方がないとまず割り切りましょう。それが、質問者様の個性です。個性は悪く見れば欠点に、良く見れば利点になります。 怒りを感じる。落ち込むというのが書かれていますが、それはマイナスファクターばかりが鬱積した結果です。実際には、立ち直る時も、他人から得られていませんか? 例えば、何かが上手くいったときに、それを褒めて貰うと嬉しい。今までの失敗が消えていくような感情が生まれたり。いつまでも引きずる部分は、それで残るかも知れませんが、成功(過去の栄光)も残っているはずです。それがなければ、いつまでもうじうじしているということはないでしょう。残念ながら錯覚です。 私は、感情の起伏がとにかく大きいですし、人前では出さないことが多いです。特定できるほど限られた相手に対して、一人の時ぐらいです。人の反応を気にしますし、落ち込むことも多々あります。恐れも・・・怒りも。ただ、その反面、冷めやすく。最大でも2日続きません。そして、褒められると調子に乗る。お調子者。 これが、私の個性です。良くもあり悪くもある。 重要なのは、自分のウィークポイントがプラスのベクトルも備えていることを質問者様が自分で見つけているかどうかです。まず、他人からの影響による感情の起伏が大きいのであれば、そこから本当にマイナスベクトルしか生まれないのかを考えてみましょう。 そこから、忘れていたプラスの要素が見つかれば感情を揺さぶられる、揺さぶられないという単純なものではなく、自分を支える一本の筋が出来るはずです。それさえ出来れば、もっと高次元に自分の本質を見据えることが出来るのではないでしょうか?

fuantei34
質問者

お礼

ごめんなさい。 "お礼内容投稿欄"と"補足投稿欄"を間違えてしまいました。 気をつけます。

fuantei34
質問者

補足

感覚に響く、気持ちに暖かい回答ありがとうございます。 partsさんがおっしゃる通りです。 気づかされました。 今まで私は、"相手の示す先”を自分の会話に対するこだわりが強いせいで全くみておりませんでした。 これからは"相手の示す先”を正確に感じ取れる様に努力していきたいと思います。 >残念ながら錯覚です >良くもあり悪くもある >自分を支える一本の筋 このみっつの事柄を踏まえて考えてみましたが、なかなか難しいです。 【残念ながら錯覚です】 過去の事柄に関する感情は、現在にとっての錯覚でよろしいのでしょうか? それとも"感情事態が錯覚"なのでしょうか? "過去の感情錯覚"は、思考では理解できますが、感覚的に身につけるにはなかなか難しいです。 意識的に錯覚なんだから・・として、過去の感情へのこだわりを無くしていく努力はしていきたいと思います。 【良くもあり悪くもある】 表裏一体というのも、ありのままというのも(私自身、ありのままをちゃんと理解しているのかは疑問ですが)、思考では理解できます。 しかしながら、裏の部分を放置しとくのも辛い。 partsさんの言葉を参考にしながら考えていきたいと思います。 【自分を支える一本の筋】 上記二つの事を踏まえて考え、一時の感情に流されないモノを見つけたいと思います。 暖かい回答ありがとうございました。

  • pccrewe
  • ベストアンサー率12% (30/245)
回答No.2

人の話を訊くことが悪いなんてこれっぽっちも思いません。あなたがどのぐらい訊きすぎるのかが、直感的に想像できません。お話の前半部分の例をひとつ二つ聞かせてください。

fuantei34
質問者

補足

回答ありがとうございます。 >お話の前半部分の例をひとつ二つ聞かせてください。 学生時代の事なのですが、同級生とそれぞれの目標(夢)を実現させるにはどうしたらいいのか?と語り合ってる際、同級生が実現の仕方を語っている間、"なるほど""そんなやり方もあるのね""私もそれやってみようかな"等の返事をしていたら、"人の話を訊きすぎる"といわれました。 小学生の頃、帰宅が遅くなった際母親に、"あんたは人の話を訊きすぎるからふらふらするんだ"と言われました。 昔、集団での飲み会があった際、帰宅の途中友人に、"お前は人の話を訊きすぎだ、俺はそんなに訊けねぇよ"と言われました。 何年か前街の占い師に、"人の話を訊きすぎな感じないですか?人の話なんか訊かないで、あなたが思った通りにすればいいんです"と言われました。 上記の事を書いてるうちに、"人の考え・思考・意見に左右されそうな人"と他人が思い、"人の話を訊きすぎる"と言われるのかな?と、思い始めました。 私自身そんなつもりはないのですが。 再度の回答、よろしくお願い致します。 なにか不足している事がありましたら、またおっしゃって下さい。

  • 5431
  • ベストアンサー率17% (76/426)
回答No.1

自分以外の人の意見はあくまで参考というかアドバイスだと思うようにするといいのでは?(「こういう考え方もあるのかぁ」ぐらいの感じ)

fuantei34
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 他人から自分に対して意見を言われた場合は、その意見の理由を尋ね、納得いけば受け入れるか、疑問に思ったら質問するか、その意見は受け取れないと理由を込みでお話をしています。 上記の様な対応の仕方も、"人の話を訊きすぎる"に当たるのでしょうか? "こういう考え方もあるのかぁ"っと意見をさらっと受け流すのが、"人の話を訊きすぎない"という事で、良い事なのでしょうか? 後、意見を言われて感情が揺さぶられる事はないです。 早速の回答ありがようございました。