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「みじめさ」を感じた時死にたくなるのはなぜですか?
私は背が低く、学歴も無く、性格も内向的であまり明るくなく、これといった取り柄がありません。街を歩いていて前から身長の高い人が歩いてきた時、レストランで隣のテーブルの集団が早稲田大学の学生だと分かった時、楽しそうにはしゃいでいる人たちを見た時、そして鏡で自分の姿を見た時、こんななんでもないようなことに対して一々どうしようもない「みじめさ」を感じてしまうのです。 身長が低いといってももっと低い小人のような人もいます。学歴だって名も知れぬ大学に通う人はたくさんいるし、高卒でも一生懸命働いてる人はたくさんいます。自分よりも(自分の中の価値観で見ると)「下」の人もたくさんいるのに自分より「上」の人を見るとみじめに思う、これはなぜですか? そして「上」の人は自分のことを見下しているんだろうな、そんなことを思うと自分の存在価値がよくわからなくなり、どうにも生きている意味を見失ってしまうのです。「上」の人たちだけいれば俺はいらない、と。 こんな自分はどうしたらいいのでしょう?ドアの外はみじめさを感じることばかり転がっています。
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>>「下」の人もたくさんいるのに自分より「上」の人を見るとみじめに思う、これはなぜですか? →自分が本来は「上」の人間なのにも拘わらず、やむなく「下」か「中」に居る人間であると自負しているから、です。『あそこに自分もいるはずだったのに』という思いとやるせなさ、でしょうか。 自分の本当のサイズよりも自分を大きいものと認識(あるいは理想と)しているため、そのギャップが苦しいからです。 >>「上」の人は自分のことを見下しているんだろうな、 →投影の発想です。もしも質問者さまが「上」に居たら、「下」の人を(無意識にせよ)見下していたかもしれないパーソナリティがこの想像の元凶かと推測されます。 >>自分の存在価値がよくわからなくなり、どうにも生きている意味を見失ってしまうのです。 >>こんな自分はどうしたらいいのでしょう? → 1) 自分が自分自身に求めるサイズ(グレード?)以上まで自分を引き上げる 2) 自分がいま居る世界(「中」?)を偏見を捨てて眺め、その中にある面白さを見出す 3) 「上」「下」という概念を取っ払ってひとつの世界の中に生きる 2、1を並行させたあとに3が見えてくるのではないかと思います。
お礼
質問を放置していました。すいません。 コメントありがとうございました。