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ロッシのライディングフォーム、好きじゃないんですが
エディ・ローソン、ケビン・シュワンツやウェイン・レイニー、マイケル・ドゥーハンたちのライディングスタイルって今のモトGPでは旧式の物になってしまったのでしょうか? というのも、バレンティーノ・ロッシのライディングフォームってイマイチ好きになれないのです。 ローソン、ケビン、レイニー、ドゥーハンのフォームは美しかったなあと思うのですよ。 そんな風に思いませんか? 立ち上がりでスライドに対応するためにぐいっと起こした上体など、惚れ惚れします。独特のスタイルでバイクに乗っていた彼らでしたが、そのフォームには「コイツは速い」と思わせる説得力が満ちていたように思います。 今のロッシのフォームからはあまりそういう「説得力」が感じられません。 無理な仮定ですが、全盛期の彼らとロッシが同条件のマシンで走ったらどっちが速いのでしょう? また、現在のモトGPマシンに当時のケビンやレイニーが乗ったらやはり現在のライダーのようなフォームになってしまうのでしょうか??
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私は結構ロッシのフォーム好きですね、タイヤの接地面に向かって余さず荷重をかけるように見えるあのフォーム、きっちりと理論構築されたものを感じます。 今はタイヤ性能やマシン特性の違いから、スライド前提というよりグリップを使い切る走り方が求められているように思います。 言い換えると、まるで250にでも乗るようなフォーム、今はロッシとエドワーズ以外全員小排気量からのステップアップ組です、ロッシももちろん250チャンピオンですが500に乗って勝ってから990に乗って、ここにいたるまでのアプローチが異なります。 そういうライダーがうまく走らせられるマシンへと進化していることもあるでしょうし、そういうマシンに合わせてタイヤも進化してきたでしょう。 ロッシは器用なライダーです、HONDAの頃は500の延長からの過渡期、ヤマハに移ってから今のような、中心線がきっちり見える、ずらしたリーンウィズとでも言うか、そう言う乗り方になってきました。 ロッシがそういうマシンが速いと思って作ってきたのでしょうし、ロッシもまたマシンの特長を生かしきる乗り方に変わったのでしょう。 シュワンツはわかりません、彼の天性がナイフエッジの2st500と結びついた気がします、でもレイニーは身長が違うのでフォームは違ってくると思いますが、同じ哲学を導いたでしょうね。 意外と私はケニーSr.が身長高くて今のマシンに乗れば、ロッシみたいなフォームになった気がします。 でも突き詰めればやはりわかりません、ほんとのトップは技術だけでない+αがあって、それは天賦の物かも知れないからです。レイニーのそれはロッシのそれとは違うかもしれない、そうであれば今のマシンに乗っても速くないかもしれないし、逆も同じことです。
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- madisan
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ロッシは、生粋のサラブレッド。ほとんどレーサーしか乗っていない。 レイニー、シュワンツ、ドゥーハン、ローソン、スペンサーは、 皆スーパーバイクあがりです。 無駄な動きを削りとったレーサーで育ったロッシが効率のよい走りを 選択するのは当然で、洗練さという面でスーパーバイク育ちのライダー が劣るのは否めない事実でしょう。 また、重くて市販者ベース、そしてグリップもそれほど高くないタイヤで 育ったスーパーバイク上がりのライダー達が、短くて浅いバンキングから マシンを起こし気味にスライドさせてコーナーを脱出させるのもまた当然 のように思います。 今の時代に全盛期のレイニーやシュワンツが来てもロッシに敵うとは思え ませんが、レイニーやシュワンツの時代にロッシが行っても、 これまた当時のライダーの敵ではないでしょう。 その時代のもっとも速いライダーに合わせて、マシンはパッケージされま すから、そのパッケージに合わないライダーは、能力が高くても速くは 走れません。 でわ、現代にレイニーにあったパッケージのマシンがあったらと仮定すれば、 当時のフォームそのままにロッシの好敵手になっていることでしょうね。 バイクの違いがあれど、レイニーはレイニーのやり方で最速を狙うだけ だと思います。 現代のバイクだからといって、レイニーがロッシの真似をしても、 それは自分を捨てるのと同じこと。 自分のやり方でタイムが縮まらなければ、マシンから降りるのではないでしょうか。
お礼
>でわ、現代にレイニーにあったパッケージのマシンがあったらと仮定すれば、当時のフォームそのままにロッシの好敵手になっていることでしょうね。バイクの違いがあれど、レイニーはレイニーのやり方で最速を狙うだけだと思います。 現代のバイクだからといって、レイニーがロッシの真似をしても、それは自分を捨てるのと同じこと。自分のやり方でタイムが縮まらなければ、マシンから降りるのではないでしょうか。 そうですね。madisan様の考え方が正しいと思います。 もし仮に現在にレイニースペシャルを用意できればレイニーは自分のキャリアに合った方法論で速さを作り出すでしょう。そしてその方法論はロッシのそれと異なっている可能性も大きい訳です。 現実は今のレイニーにそれを期待することは出来ませんが、レイニーやシュワンツに代わるネオ・アメリカンが台頭して、ロッシとは異なる速さを生み出してくれる事を今は願いたいですね。 そうなればGPはもっと面白くなりますね。
- co-3626
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#2です。 了解です。資格無しなんて思わずに、堂々と語りましょうか(笑 なるほど。 「バイクが進化して、レースを見るのがつまらなくなってしまった。」 という意見をお持ちのようですね。私はF1でそんな気がして見なくなりました。motoGPはまだマシかな。 F1はレギュレーションが年々厳しくなり、主催者側が迷走(?)し、つまらなくなっていったのだと思いますが、motoGPは少し違うと思います。 レギュレーションは排気量こそ小さくなりましたが、F1よりも全然、「何でもアリ」の状態です。そこが面白いところです。GP500時代は、機械物だけがすごいスピードで進化して、当時のようなスライドしまくりのエキサイティングで派手なレースが見られたのでしょう。 対して、今は制御の時代です。エンジンのパワーだけ上げても、ライダーの限界がありますから、「あるところ」までパワーを上げたら、それ以上上げてもタイムは出なくなるでしょう。機械物の進化は、もう既に「あるところ」まで来てしまっている状態だと思います。 GP500の2stサウンドも良いですけど、今のmotoGPのがタイムは全然速いですからね。見方によっては面白く感じてる人もいるでしょうね。 質問者さんの要求している回答とは、逸れているかもしれませんんが、 誰かに話してみたかった内容です(笑)
お礼
再度の回答ありがとうございます。 >「バイクが進化して、レースを見るのがつまらなくなってしまった た。 そうですね。より正確に言うと「バイクの方が進化してしまってライダーがバイクに使われているように見えてつまらなくなってしまった」です。 私も今ではF1は全く見ません。あの高周波のエンジン音は聞けばテンションも上がりまくりのなですが、そこで行われているドラマ(あえてこう言ってしまいますが)があまりにもつまらないので見なくなったのです。 その意味ではモトGPがまだまだなんでもありと言う意見には賛成です。だから未来を危惧しながらもまだ見ているのです。 >今は制御の時代です 要はその「制御」というテーマにまだドラマ性が見出されていないからつまらないのかもしれませんね。しかし「パワー」に向き合うのは闘争心があれば出来ますし、分かりやすい感動もあります。しかし「制御」で感動?考えるだに魅力を打ち出すのは難しそうです。 >GP500の2stサウンドも良いですけど、今のmotoGPのがタイムは全然速いですからね。 GPでライダーが主役だった時代は2stの終焉と共に終わったと言う事なのでしょうか? シュワンツが言ってましたが「記録より記憶に残るライダーになりたい」と。でもいまのGPは記録ばかりが先行しています。 個人的にはコースレコードなどは破れないのならどうでも良いのでライダー同士が技術をぶつけ合って戦う人間の戦いが見たいですね。
- blueoval
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F1にしてもそうですが、今を見ると「昔のほうがよかった」と必ず言う人がいます。 でもそれは、「今の若いものは…」と言うローマ時代からの言い回しと変わらないわけで、否定から入るといいところに目がいかないのではないでしょうか? 確かに乗りやすいほうに進化はしてます、しかしその分彼らが争う次元が限りなく高くなっていて、派手な挙動がないから面白くない、というのはわたしは??です。 500は確かにドリフトのオンパレード、派手な動きで目を惹きましたが、その頃から250はそういう走りは完全にロス、今のMotoGPと同じようにグリップを使いきって走ることが求められてきました。 それでも250は250でもちろん面白かったですし、中量級の職人もたくさんいてバトルも多く、今のようなステップアップクラスになる前はとても魅力的でした。 もちろん125もです、90年代前半の日本人黄金時代をご存知でしょうが、あの頃は日本人ばかりでなく名レース名勝負が多かったものです。 今Motogpクラスが面白くないのは結局役者がいない、台数が少ない、場トルが少ない、レベルが上がってしまったかロッシひとり抜けているのか、数人がロッシと戦って勝てるか、そういうことになってしまっているからだと私は思います。 今年の選手で言うと、ペドロサ、ストーナークラス(ロレンソ、アンジェリスでは弱い)のワークスのエースを張れるくらいのタレントがもう2人、毎レース入れ替わりが多少あってもコンスタントに3名以上がトップを争えるくらいのメンバーがいて、きっちり見せてくれる、そういうことになれば、と思います。 昨年のラグナセカ、ストーナーとロッシの一騎打ち、ストーナーの転倒で尻切れに終わりましたが、ああいう意地のぶつかり合いのような緊迫した争いが、今のMotoGPには不足してるように思います。 強い、のがロッシだけでは、寂しいです。
お礼
>派手な挙動がないから面白くない、というのはわたしは??です。 う~ん。 そう言われましても面白くないものは面白くないですからねえ・・・ 今までに無い部分で現在のGPも見所はあると言う意見は確かなのですが、前述しましたが、けっきょく「ショー」としての刺激が無いものは「面白くない」となってしまっても致し方ないかと。 見所は確かにありますがそれが従来のファンが求める見どころかと言うと「どうなのかな?」という気がします。 仮に今のGPを好んで求める層があるとすれば従来と全く違った客層ではないでしょうか。 ここまで来ると単に立ち上がりでドリフトを使うかどうか、というような単純な話ではなくなってきますけどね。 250クラスも確かに昔は面白かった。blueoval様は職人技が冴えるオモシロさ、とは言いますが、自分はそれなりに派手だったと思います。コーナーの立ち上がりでカウル同士をぶつけ合ったり、スリップの使い合いでサイドバイサイドが頻繁にあったり。 ライダーの個性もバラエティに富んでいたと思います。誰もが似たようなセッティングで走っている今のモトGPとは違い、アルフォンソ・シト・ポンスは職人気質、カルロス・ラバードはラフファイトが面白かったし、カダローラやコシンスキーは500の乗り方を250に取り入れて走っていましたしね。原田という日本人ライダーが優勝を狙えるライダーだったと言うのもファンとしては目が離せませんでしたし。 >昨年のラグナセカ、ストーナーとロッシの一騎打ち、ストーナーの転倒で尻切れに終わりましたが、ああいう意地のぶつかり合いのような緊迫した争いが、今のMotoGPには不足してるように思います。 結局はこういう結論になるんでしょうね。それもただ速いだけではダメで、タレント性のあるライダー、個性豊かなライダーが必要なのでしょう。 今のGP界はそういうライダーを生み出す土壌としてもあまり好ましい状態ではないような気がします。 アスリートっぽさを表現するライダーは多いですが、やってることはサラリーマン的な行動です。こんなライダーも昔に比べるとずいぶん増えました。 何でもそうですが、技術に偏重しすぎると物事は魅力を失っていくように思います。 なんでも人間なんですね。
- wathavy
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>そんなことは承知で質問しているんですけどね。 >「無理な仮定ですが」って書いてるでしょ? は、とにかく・・・ 今度の、ホンダダブルクラッチシフトのようなスムーズシフトであれば、スライドしないかもしれず、自動車のトラクションコントロール、ABS付き的な運転が可能なら、質問者さんのおっしゃっているように、人の限界云々ではなくなり、ひたすらマシンとその電気仕掛けの戦いになってきそうな気がします。 どなたかもおっしゃっていますが、タイヤの性能は250馬力もあるようなバイクの場合、なんとなく摩擦係数で走っているのではなくて、粘着係数みたいな別な次元の仕組みで走っているからではないかと想像してしまいます。 どうなのでしょう・・・? #私も普通のバイカーです。200はおろか、100馬力も出ていないリッターバイクにしか乗っていませんし、サーキットにすら行きません。 あんな物でテールを流すなんて、危なくて怖くてできません。 せいぜい、ブレーキターンして遊ぶくらいです。(空気圧上げ気味で、さもないと、ハイサイド食います。あげすぎると、ステンと転びますしね。) でも、人が勝負するほうが 見ていて面白いかもしれないという意見には傾倒する部分があります。
お礼
そういうことですね。 結局は機械同士が競い合っているショーなどに魅力はないのですよ。 「現在は制御の時代」それが仕方ないのならせめて見ている人間に機械が存在を人間より主張するかのようなものを見せないで欲しいです。 バイクが電子の塊になってもそれを道具として使う上位に位置する人間の姿をこそレーサーは見せて欲しいものです。 そうなれば、ライディングフォーム云々という問題も些細なものと感じるようになるのかもしれません そうと感じるレーサーが見当たらないとも言えますが。
- ms_axela
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フォームに関してはマシンの変化によるもののように見えるのでみんな同じような結果になるのかなと想像します。 バトル時のコーナー進入でイン側の足を外してまでバランスを取るようになってきましたが、あれなど正に時代の変化かなと感じています。 ライバル対決では、スペンサーが本来の能力を発揮する前にトラブルがあり評価が難しい気がしており、ロッシのライバルになるのはケニー・ロバーツかなあと勝手に想像します。 何が何でも勝ってやるという思いがレースを見ていて伝わってくるのがこの2人なので。 レースもスポーツですから、速さの上に気持ちをのせられる人がチャンピオンの候補者だと考えます。
お礼
本田宗一郎はサーキットを「走る実験室」と称しましたが、それはあくまで「やる側」の話ですのでね。 技術評論も嫌いではありませんが、まず「ショー」として面白いかどうかでしょう? コーナーでの競り合い一つとっても 「あっアソコのコーナーで今トラクションコントロールが入ったぞ!」「ホンダは今頃スライドが収まってる、制御の介入遅えなあ!」「ウィリーも止まらないしな」 ・・・こんなレースおもしろいですか? 少なくとも往年のファンは不満ではないかと思います。 強いてファンがつくとしたら従来のファンではなく新しい魅力に共感するファン層であって私のような人間ではないでしょうね。 まあ観ますけど(笑)。
- MIIDA01
- ベストアンサー率16% (17/103)
仮定の話として、 80年代~90年代半ばぐらいまでのGP500ライダーが 8耐用の4ストTT-F1マシンに乗った場合、 基本フォームは変わらないけど、 車体に合わせて乗り方を変えていたとは思います。加重移動のポイントや タイミングなど。 (中には車を自分に合わせるライダーもいたかもしれませんが) ですので、当時にモトGPマシンがあったら、 当時ライダーも「基本フォーム+車体に合わせた乗り方」 になったかもしれませんし、速く走らせるための柔軟な対応をしたと思います。 しかし、GP250からGP500へステップアップしたサロンは、 ウィズからリーンインまでフォームを変えるまでスタイルを変更した 人もいますから、結局その人次第なんでしょうね。 もう全ては想像になってしまいますが、たまにはいいですよね。
お礼
そうそうあくまで仮定の話です。 >当時にモトGPマシンがあったら、当時ライダーも「基本フォーム+車体に合わせた乗り方」になったかもしれませんし、速く走らせるための柔軟な対応をしたと思います。 ・・・とは限らないからバイク開発は楽しいのだと言えますよ。 今のGPマシンの方向性はあくまでその当時のライダーが「こう走るのが最も速いだろう」という発想から発展してきただけで、違う考え方のライダーがイニシアチブを取って開発の方向が進めば全く違ったものになった可能性だってあるのです。 前述の回答者様のお礼文で書いたのは「現在の流れの中に当時のライダーが入り込んだら」と言う仮定です。もしそうなったら才能あるライダーほどその時の主流を利用したやり方で走るでしょうし、シュワンツやレイニーもロッシの方法論に従っただろうと思われます。 しかし、4ストのGPマシン開発初期の時代にもしドリフトを取り入れて走った方が速いと主張するトップライダーがいたら・・・ 未来のGPシーンは変わっていたのかもしれません。 ま、想像ですけどね。 こういう「もしも」も良いでしょう?
- bigoyaji
- ベストアンサー率28% (128/450)
凄く難しい質問ですね~。 あくまで「仮定」の話としてですが、同条件であれば極端にロッシが速いわけではないとは思います。 ロッシのGP500での走りを思い起こしてみたらかのフレディ.スペンサーに近いものもありましたし(入り口でバンクしながらテールを流しているいわゆるドリフト)、今よりももっと上体が起きていた気がします。 今のモトGPのライダーたちはガードナーのようなフォームが多いですね。 進入速度が速くなったのが原因(重量自体もGP500より重いようでその辺の影響もあると思います)かも知れませんね。 ただ僕には彼らのライディング自体が高度すぎるため的を得ているのかどうかは自信がありません。(すみません) 個人的に好きなフォームのライダーはエディ.ローソンとクリスチャン.サロンです。 あ、そうだ、近年GPでは(市販用SSでも)フロントの役割は昔に比べてかなり重視されている傾向があってスタイルの変化に表れている気がしないでもありません。 愚言、失礼しました。
お礼
バイクレースの見所って、突き詰めるとコーナーの侵入と後半の脱出ではないかと思うのです。 その脱出の部分でハイサイドを防止する機械制御があったらライダーはラクでしょうが見ているほうはつまらないと思うんですけどね。 まあ、この辺も推測です。そんな便利な機械はないのかもしれないしあってもモードセレクトを間違えるとハイサイドしてしまうのかもしれないし。 >(入り口でバンクしながらテールを流しているいわゆるドリフト)、 ブレーキング時にフロントを軸にした慣性ドリフトみたいなテクニックでしょうか? YOUTUBEで見ていましたがあれドリフト?ロッシが向き替えで利用していたのかブレーキングのホッピングで左右に振れていたのかちょっとわかりませんでしたが、最近のGPマシンのフロント依存具合を考えるとロッシが使いそうなテクニックとも思いますね。 ちょっと前に見たDVDで新垣選手と言う人がSSに乗ってそれらしい事をしていましたが、まあ市販車で出来るくらいですからGPマシンなら無論出来るのでしょう。 1年か2年位前に選手の名前は忘れましたが、青いマシンに乗った選手がドリフトを多用するライディングスタイルで優勝して雑誌に取り上げられているのを見ました。記事の内容的にはそのスタイルが少数派のものであるかのように書かれていまして残念に思ったものです。 現在のマシンの方向性はいずれにせよドリフトを使用しなくても早く走れるようにする方向性に向いているようです。 マシンがドンドン過激になってきているから扱いやすくしなければならない。結果、あっちの危険を削りこっちの危険を削りしているうちにそのものがエキサイティングとは程遠いものになってしまう。 そんな残念な乗り物になっていくのでしょうか? ヌルくなってしまったシロモノを見続けるというのは難しいものです。
- co-3626
- ベストアンサー率33% (17/51)
私もあまり好きではありませんが、 昔と今では主流になっているフォームが変わっているような気がします。 勿論、GPマシンに乗ったことがある訳でもなく、サーキットすら走ったことのない私が言うのも変ですが、 やっぱりタイヤの進化のせいで、速く走るためのフォームが変わったのではないでしょうか。あとは、シャーシのほうも進化してコントロールし易くなったとか。 スライドに対応するために上体を起こした昔(ドゥーハンしか見た事ないですが)のフォームに対して、 今は、上体を起こさなくてもコントロールできる車両に進化したと、勝手に想像してますが、そう思いませんか? よって、上体は起こさず、リーンイン気味にして重心をさらにイン側に持ってくる方が特かと… 往年のライダーたちが現代に復活したとして、ロッシとレースしたとして、当時と同じフォームで走っても、私はロッシの勝ちになると思っています。 ロッシのようなフォームかは分かりませんが、速く走るために必然的に現代風のフォームに変えると思いますよ。 因みに私には、今のレースにおいても、ロッシと他の早いライダーのフォームにも大きな違いがあると感じます。若いライダーはメチャクチャに上体をインへ寄せています。ロッシはどっちかといえば、上体はバイクの上に残し気味でしょう。ロッシのフォームも、もはや過去のものになっているのかも…
お礼
>GPマシンに乗ったことがある訳でもなく、~私が言うのも変ですが モ-タージャーナリストにもGPマシンに乗ったことがない人は大勢います。 でも彼らは自分の経験の範囲で可能な限り技術を解析しています。熱いライターほどわからない事象を前にして「才能」だのと言った単語に逃げないものです。大体そんな事を言い出したらメカニックなんてそもそもバイクが趣味でもなんでもない人だっている訳でしょう? 世界で数人しか乗ることが許されない乗り物と乗り手を語るのに「乗ったことがないから資格がない」という事を言い出したら何も言えませんよ。 想像も推測も大いに結構。考える前から「そんなの当然だよ」とかいうワケ知り顔の思考停止人間は出てこなくてもOKです。 >上体を起こさなくてもコントロールできる車両に進化したと、勝手に想像してますが 自分もこの辺はフォームに大きく影響を与えていると想像しています。 バイクと言うのはバンキング中に不用意にアクセルを開ければタイヤはブレイクすると決まっているのですが、モトGPマシンではトラクションコントロールなどの制御によってライダーはハイサイドなどの危険からある程度自由になっているのではないでしょうか? 「開けてもドリフトはしない」と言う事であればライダーは立ち上がりの最中であろうとマシンを曲げる事に集中できる(というかドリフトで向きが変えられないから他の方法で向き替えをせざるを得ない)のかもしれませんね。 でも見ている方としてはコレだけつまらないものもありません。別にライダーがハイサイドでぶっ飛ばされる瞬間を見たいのではなく、人間が自分の意思で危険を制御してタイム短縮に挑戦する、という醍醐味の部分が機械制御されるのがバイクの場合F1以上に「観えて」しまいます。なら制御出来ないパワーなんかいらないからライダーが主導でコントロールできるマシンでレースをして欲しいと思うくらいです。 そういうマシンの傾向に合わせてロッシのフォームは出来上がっていると思うのですが、それはマシン「を」自分に合わせたライディングと言うよりはマシン「に」自分を合わせたライディングに近いものであって、往年のシュワンツなどのライダーとは根本的に違う乗り方といえるのではないでしょうか? もしその想像通りなら確かにそういうレーサーが走る姿では感動するのは難しいかも。
- 4 1/2(@1143)
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昔とではタイヤの性能が全く違うようです。 身長もロッシはかなり高いですから、スタイルが違うのは当然の事です。
お礼
そんなことは承知で質問しているんですけどね。 「無理な仮定ですが」って書いてるでしょ?
お礼
>ロッシがそういうマシンが速いと思って作ってきたのでしょうし、ロッシもまたマシンの特長を生かしきる乗り方に変わったのでしょう。 シュワンツはわかりません、彼の天性がナイフエッジの2st500と結びついた気がします、でもレイニーは身長が違うのでフォームは違ってくると思いますが、同じ哲学を導いたでしょうね。 意外と私はケニーSr.が身長高くて今のマシンに乗れば、ロッシみたいなフォームになった気がします。 私も今のマシン開発の流れの中にレイニーやシュワンツが「ぽん」と入ったら上記のようなことになるだろうとは考えています。 速く走る事が彼らの優先順位でしょうし、「エキサイティングな事」をすればメーカーからお金がもらえる訳でもないでしょうから。 でもそういう正論とは別に「面白くないなあ」と思います。 もし、今のGPシーンを昔のケニーvsスペンサーやレイニーvsシュワンツの戦いを見ていたファンに「代わりにコレを見ろ」と言って見せたら同じようにみんな感動したのかと言うと「しないだろう」という風にも思いますので。 もちろん「ライディングの参考」という意味では得るものは非常に多いでしょうね。センスだけで走っていたような当時のスペンサーの走りを観察するくらいならロッシの走りを観察して自分のテクニック向上に役立てるほうがよほど建設的でしょう。 ロッシはグリップさせて性能を使い切る理論で速さを作っています。しかしレイニーやシュワンツが、「もし」引退せずに現在のトップグループに残っていて、それでも走りの方向がロッシと同じになったかと言うと・・・必ずしもそうとは限らないのかな? ・・・と思うのは希望的観測かもしれませんが。 でも理詰めで理解できるものばかりではないから人は感動するという視点もありますよね。