- 締切済み
私はアダルトチルドレンなのでしょうか?
最近「父親が煩わしい」と思うようになりました。「退職して環境が 変わった。」と言うのもありますが。 私はうつ病を患っています。 母親は理解していますが、父親はまだ不理解なところがあります。 最近、就職活動をはじめたのですが「ジレンマ」が襲ったのです。 そう。新卒当時の「あの時」のように。 父親は母子家庭で育ち、生を受けて間もなく私に当たる祖母が亡くなり 父親の味を知らずに今まで生きています。 また私は「反抗期」がなかったのです。 それは同じ頃に「いじめ」に遭い、両親にはむかうことがなかったのと 私より先に次弟が激しい反抗をしていたためです。 その後、反抗するチャンスはあったはずですが「困らせたくない。この ままだと特に母親を苦しめてしまうかもしれない。」と思い、「いい子」を演じていました。 高校2年の頃、次弟がまた反抗し自主退学した時の母親の背中は「灰 色」でした。父親は何とも言えない顔をしていました。「何とか両親を元気つけたい」と誓い、テストで好成績を修めついには学年10位以内 の成績まで登り詰めました。母親は喜び元気が回復しましたが、父親は 無関心でした。 その後「進路課からの提案」「指定校推薦になった責任」「父親を満足 させたかった」為に、つまり「自分の為」の大学進学や大学生活、いや 高校生活も含みます。「他人の為に請け負っていたのではないか」と言 うのを4回生の時に就職活動のエントリーシートの設問の「あなたは大 学4年間の中で何をやってきましたか」と言う設問が書けなかったので す。自己分析しても出てくるのは「模範生、優等生と言う“いい子”を 演じた言葉」だけだったのです。 そして卒業後、燃え尽き抜け殻になりました。 そこでの父の言葉です。 「現役で入社してほしかった。」 私は何のためにやってきたかわからなくなりました。 それに“いい子”を演じたのですから、いやこの病気になってもまだ “いい子”を演じているのかもしれません。 その後、現在も父は「できれば就職してほしい」が口答えです。 もう私には荷が重過ぎます。父親の1句1句が。 おそらくどこかで父親を追っかけていたのでしょう。 しかし偉大すぎた、逆らえなかった。いや「逆らうのが“怖かった”。」 今でも「父親の言うことは“神の言葉”と同じ。」と思っています。 「お前は飲食業には向いていない」と言われると自分で確かめて 「嗚呼、言う通りだったんだ。融通が利かないと無理な職場なんだ。」 と理由付けになってしまったことが何度もあります。 別に恨みと言うのはないのです。 「もう“反抗”ができないのか。」と悩んでいるのです。 この障害を背負って7年。貴重な経験でした。勉強にもなりました。 私は「就職はしたい。しかしそれが“ゴール”ではない。」と思ってい ます。 父は「中卒の弟たちが社会で活躍しているのに、長男が大学を卒業したものの・・・。」と思っているでしょう。 この苦しみを今日、PSWさんに打ち明けました。 「依存になっている」 そう答え、「父親の言葉を“絶対”と信じないこと。」と助言がありました。 無意識でも「父親の言葉は“神のお告げ”」と思っているのかもしれま せん。 “いい子”をまだ演じているとしたらもう切り離したいです。 1人の人間として自立をしたい。もう役目は終わったのだから。 疲れました・・・。 どうすればいいのか、わかりません。 もしかしたら「アダルトチルドレン」なのかもしれません。 原因は「いじめい遭ったこと」ではないか。 皆さんの意見が聞きたいです。
- みんなの回答 (4)
- 専門家の回答
みんなの回答
- f_kinko
- ベストアンサー率29% (126/424)
質問を読んでいて、女性とおもいました。お礼を見ると男性なんですね。お母さんには大事、大事で育てられたようですね。一方、あなたが思っているほど、お父さんは厳しくないようですね。無理です。二十歳すぎて、そのように育てられたら、世の中に対応できません。私もそうでした。ただ、違うのは、実家に金が無かっただけです。 あたまの毛が抜けましたか。私は握りこぶし弱位、突然ぬけました。十二指腸もやっています。上司が見舞いにきて、普段ストレスの無いものが僅かなストレスがあると、そうなるんだと、まじめに慰めの言葉をもらいました。思えば、それが総てです。 いじめもありますよ。現実に、その親玉を後ろから鉄パイプで頭をかち割ろうとしましたがね。背中に長さに切って近づきましたが、その状態になってさすがに出来なかったですね。でも、夢に今でも見ますね。あのね、今でも、妻に時々奇声を発するのは辞めてと言われます。 ボランティアもいいですね。私も若い頃に10年以上してましたよ。公共のところの虚弱児のトレーニングですがね。正社員やって、趣味をやって、そして、週二回ですが夕方からボランティアです。今、思えば、自分の社会的な居場所を求めたかったのでしょう。もっとも、自分がボランティアされる立場なら、いかがなものでしょう。 生活保護なんて、ご冗談を申されるな。それは、自立じゃないでしょう。自立出来ないなら、一生、親に面倒を見てもらいなさい。親がなくなれば弟さん、それが駄目なら国ですよ。最も、国力がなくなって、国民の最低生活を保障できなくなるのは、すぐ、そこですがね。 私が三十を過ぎたころ、趣味の関係の方から、ナマコの生き方を教わったんですよ。敵がくると、はらわたをすべてだしちゃうんだそうです。ゴミみたいになっても、どっここい、生きてるんだそうです。一年もすると、元の形になるそうです。そういう生き方は、出来ないですよね。生まれもったものと、若い頃に形成された性格は、学習して多少はコントロールできても、一生変わりません。コントロールするにも、そんな環境に自分を追い込む気はないでしょう。自立する本気も、もはや、能力がないのは、ご自分でも、本当はわかっているんでしょう。素直に生きましょうよ。生きてるだけでも意義はありますよ。
- spring135
- ベストアンサー率44% (1487/3332)
なんだかこだわりが多いように思います。質問者自身に関するこだわり、父親へのこだわり、がんじがらめですね。 私は65歳で孫もいますが、父親として子供から尊敬されるのは悪くはないでしょうが、「親なんか気にするな。自分でやりたいようにやってくれ。」という思いが強いです。 >“いい子”を演じているのかもしれません。 これが曲者で、“いい子”を演じろと言われているという思い込みが違和感があります。やりたいこともできなかった理由づけしているように感じます。 ともあれ今いるところから脱出することから始めたらいいでしょう。悪いことをしても不義理をしても、アパートを借りて自活すべきです。 やれない理由を考えないこと。 海外は行ったことがありますか。こだわりや固定観念から抜け出すには環境を変えることが第一歩です。
お礼
「こだわり」もあると思います。 それと確かに親離れをする手段もあると思います。 環境を変えられるし、何かを得ることができるのかも。 ただ「大きな環境変化をすると病気を悪化させる」リスクもあります。 自立したいが「資金」がない。 ないのであれば・・・と言う道になるでしょう。 支援者と相談する機会があるので話してみますが「はやまらないように 順番を踏んで下さい。」と言われるのがオチでしょう。
- madmax4
- ベストアンサー率6% (111/1826)
今直ぐ家を出なさい 自立しなさい
お礼
確かに一番簡単な方法です。 しかし、準備と言うものが必要です。 貯金も切り崩しているので「では明日にでも」と言うのは・・・。 世帯分離をして生活保護を申請する方法もありますが。
- testmas56
- ベストアンサー率28% (11/39)
今まで自分の本当の気持ちを親に打ち解けた事がありますか? おそらくは親はあなたがいい子ぶっているのは昔から気づいているはずです。 自分が本当にやりたい事とか、嫌な事とか、好きな事とか何でもいいから「自分自身」を伝える事が大切ではないでしょうか。 だから、あなたの親も本当のあなたがわからないかも知れません。 勇気を出して、自分の気持ちを親には伝えるべきです。 親は親ですから絶対理解してくれるはずです。
お礼
先日、両親の前で自分のやりたいことを打ち明けました。 私は「就職が必ずしも“ゴール”ではない。ボランティアでの社会貢献 も視野に入れている。」と腹を括って話しました。 母親はOKだったのですが、父親は反対でした。 「どのような形でもいいから働いて経済的に自立をしてもらいたい。ボランティアはお金にならん。そもそも私は“ボランティア”と言う言葉が嫌いでな。」と言い、その場を去りました。 私は愕然としました。考え方の相違があるとは思いますが。 私が授産施設で訓練していた時も母親は「息子が訓練して機能回復すれ ば。」と理解していましたが、父親は「あれだけやって時給100円は 生活が苦しいのにガソリン代にもならない。訓練は大事かもしれんが家 計に負担がかかる。」と言うことで授産施設を辞めた経歴があります。 昨年狭心症で倒れ、セミリタイヤ状態。年金1ヶ月9万円+αの現在で も厳しいのでしょう。 何を言っても「働いてもらいたい。」この1点張りです。 一方、障害者手帳取得の際は「就職に有利なら手段は関係ない。」とア ッサリ了承してもらえました。私には「働いてもらいたい。」のが父の 気持ちなのでしょう。
お礼
さて、私自身「自立できる能力があるのか」は不明です。 これからやってみないとわからないこと。 兄弟に面倒を見てもらうのは全く考えていません。 両親が亡くなったら直行で「生活保護」でしょう。それを受けながら の生活もあるのかもしれません。 私の家ももう私を外に出す資金はないし、私の貯金もありません。 今は働いて貯金をしてから自立するしかないのです。 就労も1週間30時間と制限がついているので社員は厳しいでしょう。 もしかしたら自立できないのかもしれません。 しかし、今、このような文章があると・・・。 どうやら健常者からの見解と、医師などの支援者からの見解は温度差 があるようです。 生活保護を受けながら働いている同胞がいることを私は知っています。 それでも彼等は「自立」に向けて頑張っていると評価しています。 回答を締め切らせていただきます。