- ベストアンサー
実母が引き金になる自傷行為
自分でも理由が分からないので、相談させてください。 実の母との関係に、なやんでいます。 私は、20代後半になる女性ですが、母親との関係が昔から悪く、何かあるごとに衝突していまいた。結果的には全て母親の言いなりになる形で終結するものでした。母親は全て正しく、私は間違っているという結論になり、最後には必ずどんなに私が納得行かなくても、母親に謝罪して事が治まるという形の言い合いしかしたことはありません。自分でもなぜか分からないんですが、物心ついたときから、母親の顔色を伺っていました。私から、それなりに母に対する怒りや、自分の意見を表現することもありますが、最後には母親が正しいという結論になるので、自分で怒りを処理するのが日課になっている気はします。 昔から、母に媚ているというか、、、別に嬉しくないことでも母親が見ている前では無理に嬉しそうにしたり、欲しくないものを欲しいふりをしたり、母親が出かけようと誘ってきたときは、自分から一緒に出かけたいと思ってたんだと言ってみたり。 就職にいたっても、母親が散々勧めてきた会社の試験がありました。 正直、私はその会社への就職希望はありませんでしたが、母親は「何でもいいからとにかくやってみなさい」と、強く勧めました。半ば嫌々でしたが、母の希望を断ることが、どうしても怖く、試験を受けに行きました。イヤならイヤと言わなきゃいけないのは分かっているんですが、母が怖くて受けに行きました。どうしても母のいうコトに逆らえない自分がいます。上にあげたのは、ほんの一部分ですが、いままでに何十と同じようなことが重なり重なり、どんなに頭の中で、自分の考えを持っていても、母のひと言で全て否定されてしまう、なんとも言えない屈辱感でいっぱいです。 今になっても、何年も前に母との間であった出来事を思い出してしまい、震えるほど憎しみや、殺意が込み上げてくるとともに、育ての親を憎み責任転嫁する未熟な自分への怒りや殺意、自分を傷つけてやりたくて、許せない思いが消化しきれないのか、自傷行為におよんでしまいます。 母の言葉や態度など、思い出したくもないのに、忘れていたころに、ふっと思い出してしまい、憎しみや殺意なんでしょうか、なんとも言えない気持ちが発作的に込み上げて、気が狂ってしまいそうになると、衝動的に、腕を爪で深く傷つけたり、青アザが出来て、腫れ上がるほど右手を噛んでしまいます。 自傷行為の直後は、じっとり額や体に汗が滲んで、頭がぼーっとします。 いつまでも、こんなことをしていてはいけないと、自己嫌悪でいっぱいです。 傷つけたあとは、少しだけ心が軽くなります。 自分でもなぜか分からないんですが、私なんか死ねばいい、と繰り返し毎日のように頭に浮かんできてしまいます。何とかしなくてはと思いながら、腕の傷が目立つようになってきました。先日、母とまた言い合いになり、言葉を返すことが出来なくなったと同時に、気持ちのやり場がどこにもなく、気が付いたら爪で自分の体を傷つけていました。母親にも見つかりました。 いい歳をして、情けなく、生きていることが恥ずかしいです。 自分が生まれてきたことを必死で詫びながら生きている気持ちです。 自傷行為をする私に、母が「あなたには良い所がたくさんあるって、お母さんは分かってるのよ?そんなふうに自分を責めるのはやめなさい」と、言いました。私には、きっと人を愛する力もないんだと思います。母の言葉を聞きながら、「なんで私を生んだんだろう?生まないで欲しかった。生まれたときに殺してくれたらよかったのに」と、思ってしまいました。 親を愛せない子供を持つ母が可哀想になりました。 私は子供としても失格なんだなと思いました。 どうして私はこんな風になってしまったんでしょうか。 私はどうしたらいいでしょうか。
- みんなの回答 (5)
- 専門家の回答
お礼
回答ありがとうございます。 回答者様も、同じような痛みを抱えていらっしゃるから、きっと他人事とは思えず、ご丁寧に回答していただけたのかな・・・と思います。回答者様も、色々と勉強され、試行錯誤されたんでしょうね。カレン・ホナイ・・・のお話、読ませていただきました。似ていますね。全く同じではないでしょうけれど、とてもよく似ています。加藤さんの書物は、私も何冊か読んだことがあります。心に迫るものがありますね。 ただ、どうなれば幸せなんだろう?というのは、よく分かりません。 母を憎んでいる今も、自分が幸せだなと感じることは、瞬間的にあるわけだし。 散々、地獄を知ったので、些細なことが幸せです。 綺麗な景色を見たときや、美味しい料理を食べた時、、、など。 贅沢でしょうか、それでも、まだ幸せでない気もします。 何をもって、「脱した」と思えるんでしょう・・・。 自傷行為が、突発的に起きなくなったら・・・なのか、母親のことを考えなくなるときなのか、他人の言葉に自分を削って削って同調してく愚かな行動が無くなったら、なのか、自分が「こうしたい」と自分の意志を持てた時から、なのか。 少なくとも、「ある一部の人達」は、自分に必要最低限の自信(肯定感)を持って生きていると思いますが、物心ついた時から、そういう感覚がない私に、果たして「自信」が付いたときに、自覚できるものなんでしょうか・・・。私という人間に、母親が染み付いている限り、自分を愛することなど一生無理な気もしてます。 ただ、可も無く、不可も無く・・・という妥協点で満足するしかない気もします。 思考回路を、変える・・・。 もう少し、私自身色々やってみれば、また何か変わるのかもしれませんね。 頑張ってみます。 色々とアドバイスいただき、ありがとうございます。 同じ思いをお持ちの方と、交流できたことが、支えになりました。 回答者様も、お幸せに。