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嫌なことがあった場合、それを日記にするとよいって本当?
嫌なことがあったら、それを日記などに残し、文字にするとよいと聞いたことあります。自分の気持ちを整理できるようなのです。 ですが、それって問題点があると思うんです。 嫌なことを日記にのこすとなると、今後それを読み返すときがくると、その嫌な記憶を思い返して、また嫌な気分になるってことだからです。 そんなんだったら文字に残したくはないです。 嫌なことまで文字に残すことに意味はあるのでしょうか?
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厳密に言うと、人に話したり、文字にして書いてみることで「吐きだす」ことに意義があるのだと思うんです。ただ、一般の人々は、何でも話せる相手がすぐそこにいなかったり、書くだけ書いてすぐに破り捨てたり削除したりするという習慣がないので、わかりやすく「日記に」と世間では言うのだと思うんです。 余談ですが、かつて文学の授業中に「文章を書くだけ書いて、それですっきりして、自分で読み返すことすらせずに破り捨てることが、若い頃はよくあった」と言った人がいて、私は内心「あるある!」と思ったのですが、先生には理解されていませんでした。「文字にすれど残さない」というのは、それだけ希有なのだと思います。
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- narayuni
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よいかどうかは分かりませんが、私は普通に良かった事、嫌だった事、思いついた事を日記に書いたりしてきました。 そして嫌だった事を書いた日記を読み返したりするのですが、あんな事で怒ってたのかと思う事がよくあります。 結構その時の感情で冷静に物事を見つめられない事って多いんですよね。 何回読み返して思い出しても憤ったりする事もありますが、読み返す頃にはその人とはすでに縁がないから、また忘れたりします。 トータルで考えるとやっぱり書き残す事は良かったのかなぁ…。 というか色んな事があったなぁと楽しめる感じです。 人間良かった事楽しかった事より、嫌だった事や失敗した事の方が多く学べますしね。 日記でそこまで考える必要ないんじゃないですか? 気楽にやらないと続かないかと思います。 書きたくないなと思えば書かなければいいし、書きたいと思えば書けばいいし。
こんにちは。 おっしゃるとおりだと思います。 どうしていいかわからない時に、文字にして冷静に、客観的に考えると良いとはよく聞きますので、それが“嫌な事があった時…”に変換されたのではないかと思いますよ? 嫌なことがあったとき、と言うよりは、悩んでいるとき、とか、冷静に考えられないとき、でしょうね。