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甘えられなかった人生
こんにちは。私は最近自分の問題がどうも「本当の意味での自信が無い」「他人の評価を軸に生きてきた」ことに由来するのだと分かってきました。私の父親は凄く優秀な兄がいたために強烈な劣等感を持って生きてきました。父自身も傍から見れば一応エリートに乗ったのではないかと思えるのですが、兄は某一流企業の社長になったぐらい特殊だったので、それが父を苦しめていたのだろうと私には思えます。 私と姉と娘二人ができたわけですが、私は子供のときあまり勉強しなくても良い成績が取れてしまうタイプ(暗記がうまかった)でした。一方姉は容姿が良かったためそれだけで人に認められてしまうタイプでした。ここでも曲がった関係になります。私にとって「他人から評価されること」が人生の課題になってしまいました。人から好かれること、注目されることがすべてになってしまい、それが満たされないために常に欲求不満を抱えて生きている、それが今の私の姿になってしまいました。そもそも親に甘えられなかった(年齢一桁のときから何かに秀でることに夢中だったような気がします)ので、甘え方が分かりません。むしろいままで「甘える」ことは悪いことだと思っていました。今は「甘える」という概念すらよく分かりません。 等身大の自分を自分で愛して、尊敬してやり、本来の健康的な自信を持つためにはどうしたらいいのでしょうか。こんなことが分かりません。具体的にどんなことをしたら、愛されなかった自分を癒してあげられるのでしょうか。
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何をしたら癒せるか・・。 まず、幼少期に何かしたかったことはないでしょうか? おりこうにするために、我慢してきたことです。 好きな漫画を見ることでも、お人形さんと遊ぶことでもかまいません。 小さい時に自分がしたかったことをあなたが今癒すのです。 その中のひとつを今やってみてください。 そうしてみると、本当はこうしたかった・・ああしたかった・・泣きたかった・・色々な不満、怒り、葛藤が現れます。 そういう不満、怒り、葛藤を隠さず聞いてもらうこと、すなわち、すなおに表現しても認めてもらうこと、それが(無償の愛)です。 甘えるのではなく、何ものでもない、何も隠さない、「素」のあなたを、受け止めてもらうこと、それが甘えていいというひとつの表現に繋がります。 まずそういう、何か幼少期にしてみたかったことをやってみてください。 たぶん小さい頃から、あなたはお父さんが自分に対して「何かに秀でたことをしてほしい」と思っていると敏感に感じとっていたのでしょう。 頭がいいと褒められる時だけ、あなたを見てくれた。 だから、以後も褒められることだけしてきたのではないでしょうか? だから、愛してほしいからお父さんの自慢になるように何かと気を使ったはずです。 本来は、そんな「子どもが親の顔色を見る」ようなことをしなくても、親は陰で子供の成長を暖かく見守るものです。 お父さんは、自分も同じようにお兄さんと比べられて、自分は愛されないと思っていたので、自分も愛情に飢えていたのだと思います。 ぜひ、何かに秀でなくても、無限に愛されるのが親の愛なのだと信じてほしいと思います。 無理をしない、背伸びしない、それがあなたにとっては甘えることのひとつではないでしょうか?
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- kyoutoukyo
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つまり自己評価は高いけれど、他人は自分が思うような評価をしてくれないということですね 他人から評価を受けるために努力し続けなきゃなりませんので甘えられないということですか 甘えたいという願望があるのなら、そろそろ限界ということなのでしょうか ならば一度止めてみてはいかがですか一旦停止。 まぁねぇ。 私にも言いたいことは山ほどありますけれども、この世の原作者の思想が生きている限りは事態は変わりませんから、佳きにはからって上手に世渡りしていく知恵と技を身につけてください アドバイスとしては、努力の方向を少し変えてみることでしょうか
- iosoo
- ベストアンサー率29% (10/34)
こんにちは。 >最近自分の問題 これが、具体的に解らないので的外れになるかも、です。 私自身、自信に満ち溢れている訳でも、甘え上手でもなく、 えらそうな事は言えないので、参考程度に・・・。 1.他人と比べて自分を判断しない これは時間と労力がモッタイナイ。 「愛されなかった」ということは、他の家庭では親から愛されて育っている、 親は子供を愛すべきなのに、と思ってらっしゃるのですよね? もちろんそれが理想なのですが、色んな親がいますからねぇ・・・。 ウチはウチ、仕方ないな、と開き直る(笑) 楽になります。 2.良い子をやめ、自分を大切にする。 他人からどう思われるか、気になるのですよね? 話の会わない人、話しても解らん人、いて当然。 大勢のうち何人かの人に評価してもらえれば大成功、とハードルを下げてみる。 そして、自己評価を大事にする。 3.恋人に甘える 「~してくれたら嬉しいなぁ」と頼んで負担にならない事から始める。 やはり、決め手は笑顔。 私は親からプレゼントをもらったことがないので、 初めての彼氏から誕生日やクリプレもらった時、本当に涙が出るほど嬉しかった! でも感動と照れのあまり、それを上手く表現できなくて失敗しました(涙) なんで、素直に笑顔で嬉しそうにしなかったのだろうか、と。 今は? 満面の笑顔で喜びますね(^^) 相手は私の笑顔を見たいのですから。 要は慣れ。場数を踏むのみ! ただ、彼氏は親ではないので、無償の愛には限界があるとも悟りました。 あなたは厚かましさとは無縁のようなので、それほど心配いらないでしょう。 要点をまとめると、 他人と比べず、 ハードルを下げて成功体験を積み重ねる、 初めは失敗して当然、恐れず場数を踏む、 でしょうか。
お礼
1、2はとりあえずやってみます。3は恋人いないので、、、近い将来やってみます。
- shift-2007
- ベストアンサー率14% (143/1013)
#3 批判などしてませんよ。 今までの考え方を変える必要があり、また自分を知るという事が絶対に必要だと思いますよ。 そのための助言をしています。 質問を立てたという事は問題が発生しているという事ですよね。 問題をなおざりにしたまま先に進むことはできないのではないでしょうか。 今までの人生をなかったことにはできないのです。 新しい人生を生きるためには自分自身を変える必要があるのではないでしょうか。そのためには自分を知る必要があると思いますよ。 また批判していると感じるなら無視していただいて結構ですよ。
- hasiru750
- ベストアンサー率13% (64/490)
甘えるのが苦手なら、甘えさせてあげてください。 代償行為です。 でも甘えさせてあげるのは甘えるより困難な道かもしれません。
補足
それは相手を間違えると大変なことになりそうなのでやめておきます。
- shift-2007
- ベストアンサー率14% (143/1013)
なぜ、 甘えられなかった=愛されなかった となるのですか? 一般論ではなく自分自身の中でどうしてこのような図式になるのか探れますか? また、姉妹であれ人はそれぞれです、 それぞれの特性がどうであれ、必ずしも曲がった関係になるとはおもえないのですが。 人として均一であることを望むほうが無理じゃないでしょうか。 この社会で生きていくには他人の評価は大切ですが、それだけで自分を支えていける様な代物ではないですよね。 それが分かったのなら、自分が何を求めているのかを自覚することが大事じゃないでしょうか。 どんな自分になりたいのか、それをハッキリさせることがまずは重要じゃないかと思います。 トラウマに縛られるのは結構ですが、時計の針は逆には回せませんので過去はどうであれこれからどう生きるのかという視点が必要ではないでしょうか。
お礼
批判でなく健康的な自信をとりもどすための方法をお聞きしたかったのですが。
おはようございます。 私も男ではありますが、似たように感じることが多々有ります。 甘えるって堕落で、自立できない状態って感じで、絶対甘えたくないって思ってました。他人の評価が無きゃ、自分をうまくコントロールできなくて、 よりよい評価のために常に行動してたように思います。 だから、『これぐらいでいい』とか『こんなもんかな』って評価を一定のところで容認することが出来ませんでした。そう思ったら、誰からも相手にされないような気がするんですよね。今思えば、偏った向上心の奴隷ですね。 今は少し昔より、良くなったかなと思いますが、以前上司に『お前は人の中の自分ブランドを大切にするやつだな』(用は他人の評価ですよね。)といわれるぐらいなので大して直ってないのかなと思います。(汗)だから、あまり参考にはならないかもしれませんが、、、 こういう話題は、結構家庭環境に由縁があって、友人に話をしても、相互の違いがうまく伝わらなくて、解決に至らないですよね。 私の場合は2つぐらいのポイントがありました。 1つは自分の最初の心の声を大切にすることです。人にあったり、何か物事に直面したときに、最初に自分が感じたものを大切にしてみました。頭の中に恐ろしく子供な自分がいるようで、(←決して宗教みたいな話ではありません!)そんな声(自分)を大切にするようになってから少し他人の評価を気にする自制心から逃れることが出来ました。 口に出さずとも、先ず自分の心が最初に発する一言を大事にしてみて下さい。それはたぶん本当の声です。 2つめは、ダメな自分を受け入れるようになってからですかね。 人間誰もが、欠点があるなんて話がありますが、意外と認めるは難しいもので、ダメな自分がずっと頭に引っ掛かった状態でした。他人の評価を軸にすると、良い評価のときはまだいいのですが、どうしようもなくダメなときはもうどん底でした。 奥田民生さんの『マシマロ』という歌の中に『ダメな僕を気にしない』というフレーズで少し気が楽になったのを覚えています。 他人からの評価が良かろうが、悪かろうが自分は自分だといわれたような気がしました。ダメな自分を(もとより何の基準でダメか?という話も有りますが、)楽しめるようになったら、他人のダメなところも受け入れられるようになり、他人の理解も進んだ気がします。 だめでいいやというわけでなく、こんなのも自分で、やさしく愛すべきものだ!と少し思えるようになってから、自然と甘えるということが出来るようになったような気がします。 半分以上私の話ですね、すみません。。。何か参考になれば、幸いです。最後に自分を大切にしてくださいね。他人は時にとんでもないことを言ってきたりしますので、自分を守るのも自分だったりします。 きっと今より心地いい日が待ってますよ。
お礼
あなた自身の克服談が聞きたかったのです。ありがとうございました。 >>半分以上私の話ですね、すみません。。。何か参考になれば、幸いです。最後に自分を大切にしてくださいね。他人は時にとんでもないことを言ってきたりしますので、自分を守るのも自分だったりします。
- elenjynt
- ベストアンサー率4% (17/389)
能力がありすぎるのです。 ありすぎて いろいろかんがえるのです。 能力のない人は そういうことは 考えないと思います。
お礼
優しいご回答ありがとうございました。私が探していた「甘える」の定義はきっと「素のままを受け止めてもらうこと」、これだと思います。