コミュニケーションにおける矛盾
コミュニケーションとは、一般的には、他人をよく知り、仲良くなることを目的としていると言えます。しかし、私はコミュニケーションにおいて、常々、一つの矛盾を感じています。それは、話し合えば話し合うほど、お互いの溝が言語によって明晰になり、その溝の乗り越えがたさが浮かび上がっていくというものです。
仮に全く同じ考えの人がいるのであれば、溝など生まれないかもしれません。だが、人間とは、それぞれが異なるものです。全く同じ人間などいないと言い切った方が、現実的であるでしょう。しかし、そうであるとするのなら、コミュニケーションとは、いくら友好関係を築くという目標を掲げていたにせよ、その一方で、双方の相違 を確認するという作業を伴っているのです。そしてコミュニケーションをすればするほど、相違点が明らかになり、乗り越えがたい溝が、より露わになってきます。結局、最後は断絶に向かっていきます。
断絶、とは言い過ぎかもしれません。理屈の上では、溝の形が明らかになれば、溝を埋める方策について議論することができる、と言いうるからです。しかし現実には、多くの人が、相手に対して、自分の意見に同意するか・否か、を突きつけるものです。そして同意しないと述べるのであれば、失望の意を露にします。感受性が違った、方向性が違った、センスが違う--いろいろな言い回しがありますが、言わんとすることはただ一つです。「あなたは私とは違う」。
しかし「あなたは私と違う」など、全く当然のことで、コミュニケーションをとる前から分かりきっていることです。すると、わざわざコミュニケーションという労をとって確認するだけ、くたびれ損の骨折り儲けです。これほど、ばからしいことはありません。そして、この考え方に即せば、コミュニケーションを多くとった人ほど、周囲との断絶がより露わになって、他人より数倍も孤独になるということが言えるでしょう。となれば、コミュニケーションなどとらない方が、利口なのではないか?という疑問が浮かびます。実際、人との交流は腹六分目くらいで止めておけ、という言葉もあります。
さて、ここで質問です。
(1)「あなたは私と違う」ということが明らかになった後、単なる「断絶の確認」ではなく、別の発想が働き、有益な展開になることが、ごく稀にせよ、あるのでしょうか?
(2)(1)についてYesであるとするのなら、どのような要因によるとお考えですか? その可能性のある相手はどのようにして見分けますか?
(3)コミュニケーションとは究極的には、どのような行為なのでしょうか?
※なおこれは、私個人の相談ではなく、コミュニケーション一般について思想的に考えようとする問いです。よろしくお願いいたします。