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以前書いた字(書)が上手に見えることはありませんか?
書道を始めて、ン十年・・・。 いまだに書いていて心底納得できた試しがありません。 特に書いたすぐ後の字を見ると、クシャクシャにしたくなります。 ところが、一晩とか2、3日たって改めてそのクシャクシャに したくなった字を見ると・・・、 「へー、けっこう上手く書けてるなぁ」と思うことが時たま あるのです。 愛着が湧くというか・・・。 皆さんはありませんか?。 私の場合、不思議なことにペン字ではこういう感覚は ほとんどないのですが、毛筆の書では時々あるのです。 なので、書いたすぐ後は、「なんだ!前の方が上手じゃ ないか!」とがっかりばかりしています。 もし同じ経験をされている方がいて理由をご存知でしたら 是非教えて欲しいのです。
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kaitara1ですが、もう少し書かせていただきます。ゲシュタルト崩壊などとも関係があるかと思いますが、脳の中にあるイメージとの関係で考えることも可能ではないでしょうか。美しい字に関するイメージが頭の中にできていない段階ではお手本を見て見えるように書いていても内部イメージがあやふやなためお手本と自分が書いた字の差がわからないので書いた直後はうまく書けたと思ってしまいます。内部イメージではなくお手本と似ているということでうまく書けていると思うという意味です。後になって自分が書いた字を見ると自分の字は頭の中に美しい字のイメージを再現してくれないので一向に自分の字が良いように見えないのではないでしょうか。ところが内部イメージがしっかりして来るとお手本なしでも常に自分の内部イメージと実際の運筆が比べられるのでうまく書けないという感じが強くなりますが、内部イメージができていなかったときに比べればはるかにうまく書けているのではないでしょうか。
- calculus
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私の場合はペン習字なのですが、同じ事を考えていました。 私が思ったのは…。 字を練習する時って「字」として見ていないんです。(私の場合) 「十」っだったら「横線はこのくらいの角度でこのくらいの長さ、 縦線はまっすぐでこのくらいの長さ」っていう風に、記号みたいな 感じで見ているのです。 だから、書いたばかりの時は「字」として見られない。 しばらくすると「字」として認識できる。ってことかなって。 ちなみに同じ字をたくさん書いていても、同じように「下手」と 感じます。一つ一つは結構上手く書けていたりするんですけれどね。
お礼
記号→字として認識…、うーん、このあたりにもヒントがありそうですね。 そうですか、ペン習字でもありましたか。 ということは、文字だけではなく、絵画や彫刻といった芸術一般に 応用できるのかも。 特殊から一般へ…、もしかすると、大発見?なんてね。 そうそう、「同じ字をたくさん書」くといえば、ご存知かと思いますが、 ゲシュタルト崩壊!は大丈夫でしたか。 『同じ文字をずっと練習し続けると、字を正しく見取る感覚が 失われ、きれいな字を書くことができなくなる』そうですね。 (「まっすぐな線が引ければ字はうまくなる」高宮き峰さん著 89ページより) 私、以前は7~8時間ぶっ続けで書いていたことありました。 きっと完全に崩壊していたんだと思います。恐ろしや…です。
私はまったくの初心者ですが、同じような感想を持っています。始めたばかりのころは書き上げた直後なかなかうまいじゃないかと悦に入っていると、見ているうちにひどい字であったことが分かり、がっかりしました。ところが最近は全く逆で書いた直後は相変わらずだめだなと思って、数日後見るといやいやなかなかうまくなったじゃないかと安心するようになりました。おこがましいとは思いますが貴方のお感じになっていることと原理的には同じであると思います。私は勉強と同じで勉強すればするほどわからないことが出てきますが、周囲の人はそういう人の方が何でもわかったつもりになっている人より勉強していることを知っています。
お礼
そうですか、やっぱりありましたか。 不思議ですよね。 私はこの感覚って、誰かきっと名前をつけて 発表しているような気がするのです。 もしまだ未解明なら、「書写文字後日上手化現象」とか 勝手に名前をつけて、発表しようかな。 まだ他にもいらっしゃるような気がしますので、サンプル 抽出の意味も込めてもう少し受け付けてみようかしら。 あと、長くやっているからと言って上手くなるわけでは ないのかも、と最近思うのです。 テクニックは増えますが、最初の頃のあの書きたくて うずうずして書いた時の出来栄えには届かない気が・・・。
- peacementh
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私の場合は、筆にせよ楽器にせよ、イメージに忠実にできるのを最上としています。なので、逆にそのときは問題ないと思っていたのに後から気がつく場合があります。 もちろん、テープやMDなどに書き記した文字も殴り書きと丁寧に書いたのとがあり、懇切丁寧に書いたものはそれなりに味のある文字になっている感じがします。 細部までイメージが行き届かないとき、眠いときや音楽を聴きながら集中力がやや音楽よりの時などには予期せぬ筆のミスや離れ方に意外な旨みを見るときなどもありますね。
お礼
早速のご回答どうもありがとうございます。 演奏もなさるのですね。 参考になりました。 「懇切丁寧に書いたもの」というのは、確かにキーワードかも。 書いている時は一生懸命ですものね。 あと、「予期せぬ…」というのもよくわかります。 もう一度やれと言われてもできそうにないだけに余計ですね。 半紙でも、半切でも、今ではクシャクシャにしたい思いを抑えて、 その日書いた少なくとも一枚は壁に貼っておくことにして、廊下 一面展覧会状態です。 (家族からはブーイング。もちろん来客時には速効で外しますが)
お礼
なるほど、なるほど。 出来上がった脳内イメージとの関係…、これは実感できます。 「九成宮」の臨書をひたすらやっていた時、夢にまで出て書いていたことがありました。 ただ、まったく初めての臨書(例えば張旭クラスの狂草)でも、何日かたって見ると 「これってホントに私が書いたの?」とか思う時があるんですよ。 不思議です。 kaitara1さんはないかしら。 kaitara1さんはとても理知的ですね。 どんな字を書かれるのか、とても興味があります。 なお、ゲシュタルト崩壊ですが…、旦那によれば私は書道を始める前に すでに頭が崩壊してたらしいです。アハハ。 なので、今でも崩壊を無視して、3~4時間書き続けることがあるのです。 あと、「参考になった」をクリックしても反映されませんでした。 どうしてかしら。 とても参考になったのに、ごめんなさい。