• 締切済み

予備校に通っても成績が伸びないのはなぜですか

当方、こういう人間は予備校に通っても成績が伸びない人間だ、といわれたことがあります。 「予備校の教材や参考書はきっかけにすぎない」とも聞きます。予備校の教材を繰り返し解いて努力しているというが、それは実は努力ではないのだそうです。 「予備校の教材や参考書はきっかけにすぎない」という言葉の解釈自体が出来ません。もしかして感覚で理解するものなのですか。 それから真の努力というのは、どういったものなのでしょうか。予備校の教材をこなすというのは努力ではないのですか。 それとも個々人の性格が影響するのでしょうか。予備校に通っても成績が伸びない原因をなぜそこに求めるのか疑問です。受験において全人格的評価など論外だと思います。当方性格に難がありますが、そのために成績の上昇は望めないのでしょうか。 いろんな要素が交じり合ってわかりにくい文章になってしまってすみません。よろしくおねがいします。

みんなの回答

  • kyo-mogu
  • ベストアンサー率22% (3398/15358)
回答No.6

我が子がアスペルガー症候群という発達障害をもっています。いろいろと本を読んだりしています。  まず質問者があるのではと思える箇所ですが。まず文章の上手さはあまり関係ありません。あなたが書かれているご自分の行動からの推測になります。  まず、計画変更は苦手だということ。あやふやな表現など理解できない。暗黙の了解とか苦手だと思われます。  また、空気が読めないといわれていませんか?  他にこだわりが強い。等 100人に一人の割合でいるそうです。私自身もあるのではと思っています。しかし、できないものはできないので、別のことから始めたりします。考え方を変えていくのです。たとえば、自分の住んでいる街で、左右の分かれ道、右なら知っているから大丈夫だけど左は怖くていけない。でも、右に曲がり続けてみようか?何度も右に曲がるといつしか、左で行くところについている。そんな感じですね。  文章を書くのは私も苦手でした。しかし、詩を書くことを始めてから、次第に文章を書くことができるようになりました。文法上の間違いはあるけれども。苦手なことがあっても、何かきっかけでできるかもしれない。できることを見つけて、そこから行く方法もあります。焦らずにゆっくりと考えてみてください。

yadesagaki
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 >まず、計画変更は苦手だということ。あやふやな表現など理解できない。暗黙の了解とか苦手だと思われます。 計画について。計画を立てるということをあまりしたことがなく、要領がうまくつかめなかったのですが、「すべきことの優先順位」を考えることで、計画の細かいところの変更は出来るようになったように思います。ただ、思い切った変更というのは苦手です。 あやふやな表現というと、「教材はきっかけに過ぎない」という言葉を指すのでしょうか。 「教材はきっかけにすぎない」という言葉について周りに聞いても「理解するのが難しい」との意見があがっていました。 また、暗黙の了解が求められる場面ではそれをわきまえて行動しています。 >また、空気が読めないといわれていませんか? そのような趣旨のことを指摘されたことはありません。こちらが口数が少ない人間だからなのかもしれませんが >他にこだわりが強い。等 こだわりというと特になかったりします。(しいて言えば、普段の筆記にはたいてい鉛筆を用いているということです。周りは絵を描くとき以外はシャープペンシルを使う人ばかりで肩身が狭いです。) 発達障害ということが近頃頭から離れません。 以前一度そのことを指摘されていたのにもかかわらず、そのことをほとんど忘れていたことが信じられません。おそらく前回はあまり動揺してなかったのでしょうが、今回の動揺は大きいです。 今日まで、自分自身が発達障害である、ということを前提とした教育は一切受けてきませんでした。そのため、発達障害であっても生きてゆくための技術といったことは一切持ち合わせていません。 正直、学校へ行くということを目指さなければいいのかと思います。 発達障害ということとなるとここのカテゴリーからは離れてしまうのでこれで質問を締め切りにさせていただきたいと思います。毎度毎度長文乱文で失礼しました。

  • kyo-mogu
  • ベストアンサー率22% (3398/15358)
回答No.5

すみません、もしかして発達障害などがあるのかもしれません。どうしても理解できない部分があるのかもしれません。これは勉強方法云々でもなく脳の仕組みの問題なので。  応用が利かないのであれば、まず基礎を重点的に攻めてみて。もしかして、基本はわかっているつもりだけど、実は間違って覚えていた可能性もあります。  どうしてもわからないのなら、他のことから考えていくのもいいです。学習的に遠回り的な感じで、連想ゲーム的につないでいく方法が発達障害の場合の教え方にありました。  

yadesagaki
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 予備校側はテキストが万能のように言いますけれど、そこに掲載されているのは、易しいものばかりではないように思います。ひょっとしたら自分にだけ難しく感じるのではと思ってもいて、それならそれで何か手を打つべきなのであると常々思ってきましたが、自分自身でことを起こすというととたんに不安でいっぱいになってしまうのと、なかなか時間が取れないのとで実行できませんでした。 発達障害に関して、以前ネットの掲示板で指摘されたこともあるのですが、いったい自分の文章の書き方のどのようなところから発達障害ということがみてとれるのですか。当方、文章を書くこと自体あまり得意じゃないので、あまり良い文章でないと思っています。それとも、書き方でなくて自分の行動や振舞いからですか。

回答No.4

NO3です。 なかなか成績が伸びないのであれば、 自分が理解できていないところまで立ち戻って、基本問題集を1週間で1冊終わらせるなど短期集中で基礎をやり直すことをお勧めします。 計画は、あくまで計画です。計画通りに進まないことがあって当然です。 定期的に計画を見直して、「無理がないかどうか」「無駄がないかどうか」をチェック、修正していけばいいと思います。 計画通りにすることが目的ではなくて、受験に合格することが目的なのですから。 予備校のカリキュラム・問題集が自分に合わないのであれば、他の方法をとるのも作戦です。 予備校のカリキュラムはそれなりに利点もありますが、万人に通用するように設定されているのでなかなか自分に合ったものにはなりにくいです。 それに比較して、「新・受験勉強入門 参考書ファイル」など市販の良質なテキストを使って自分の実力・志望校の出題傾向に合った勉強方法を自分でカスタマイズしていく方法もあります。 以下のサイトを参照してみてください。 自分のいいところと悪いところをちゃんと把握していると、 それに適した(楽な)生き方を選べるようになるかもしれません。

参考URL:
http://sankosho.blog103.fc2.com/
yadesagaki
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 予備校のテキストに載っている問題の問われ方には対応できてもそれ以外は駄目なことが多いような気がします。 自分の場合、「予備校に入ってきちんと勉強しなければならない」と思ったのが予備校に入る動機でした。もちろんそれでよい部分もありました。しかし、予備校側は予備校から離れた勉強の仕方(授業にでないで自習するなど)をすることを悪いこととらえていて、昨年の「予備校在籍者分析」というプリントが配布され、それの「志望校に合格しなかった生徒」の分析では「授業を選別して出席していたためついていけなくなった」「予備校のテキストではなく問題集を用いて勉強したために成績が伸びなかった」という一文がありました。もっともむこうも商売ですからそんなことも言うんでしょうが、予備校についていっても駄目だった生徒というのは存在しないような感じを受けました。もしかしてそれも間違いであるのでしょうか。 自分でカスタマイズとなると、自由度が高いと思いますが、そのぶん自分を律することが重要になってくると思いました。今までを鑑みて自分にとってはすごく難しいと思います、 あと、基本問題集というとマーク型のものでもいいんでしょうか。

回答No.3

勉強の成績と人間的な成長は別個だと思います。 成績がよくて人間的に幼い人もたくさんいれば、成績が悪くていい人もたくさんいます。 一方で、勉強ができるようになる仕組みと人間的に成長する仕組みはすごく似ていると思います。 とりあえず勉強で大切なことは (1)目標を決め、正しく分析する 「どんな問題がでているのか」 「どのくらいのレベルまで押さえておけばいいのか」 (2)今の自分の状況を正しく把握する 「二次関数は理解できているけどベクトルはなんとなくしかわからない」 「英単語は高1レベルでもあやしいものがいくらかある」 (3)目標に比べて自分に足りない部分をはっきりさせる 「合格点まであと数学を○点伸ばす必要がある」 「チャート式のベクトルを完全に解けるようにする必要がある」 (4)入試までに上記の部分を埋められるような計画を立てる (5)計画を実行できるように自分をモチベートする 受験生は、実は落ち着いて自分と向き合えるチャンスでもあります。 まだあわてるには早いです。 落ち着いてじっくり、自分はどうしたいのか、どうするべきかを考えてみるのがいいと思います。

yadesagaki
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 計画を立てると崩れるのがいやだと思っていたのですが、崩れてしまってもうまく立ち回れるようになるのがよいのでしょうか。 自分自身に関心を持つのはおかしいと思っていたのですが、自分と向き合うということも大事なことなのですか。

  • ryuken_dec
  • ベストアンサー率27% (853/3139)
回答No.2

>「予備校の教材や参考書はきっかけにすぎない」 予備校の教材や参考書は、一般的にこのような課題をこなすと受験に必要な学力がつくというもの。自分にそれが最適かは分からない。8割の人に有効な教材でも自分には有効でないかもしれない。 自分に必要な学習は何かを理解して、長所を伸ばし、弱点を克服することが真の勉強で努力。 すでに自分ができる内容の課題を与えられてこなすだけでは学習成果が無い。また、自分には難易度が高すぎる課題を与えられてそれに取り掛かっても身につかない。 予備校の教材や参考書から、自分に役立つ部分を抜き出して勉強することが重要。 >自分の人格や他人に対する態度であるとかそうしたことから、 >予備校に通っても成績が伸びない人間だ >といわれました。 他人の意見の許容度では?正しくないやり方をしていて、それを指摘されても、何かと理由をつけてそれを認められずにいたりすると、伸びづらい。勉強に限らず、音楽やスポーツといったジャンルでも同じ。

yadesagaki
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 >すでに自分ができる内容の課題を与えられてこなすだけでは学習成果 >が無い。また、自分には難易度が高すぎる課題を与えられてそれに取>り掛かっても身につかない。 >予備校の教材や参考書から、自分に役立つ部分を抜き出して勉強する >ことが重要。 とありますが、応用問題には手がつけられないため、予備校の教材の、基礎~標準の問題だけをやっているのでも効果が期待できるということなのでしょうか。(しかし応用問題を早く解けるようになるように言う講師もいます。また自分自身応用問題が解けるようになることにすごく憧れます)ただ、 >自分にそれが最適かは分からない ということが気がかりです。もしも。予備校のテキストの基礎・標準問題をひたすらやっているよりもほかの何かいい方法があるかも知れない・と思うこともしばしばです。 >他人の意見の許容度では?正しくないやり方をしていて、それを指摘>されても、何かと理由をつけてそれを認められずにいたりすると、伸>びづらい。勉強に限らず、音楽やスポーツといったジャンルでも同 >じ。 なかなか人の意見は認めづらかったりするというか、どうも意地を張ってしまったりして、結局苦しくなることが多いです。

  • kyo-mogu
  • ベストアンサー率22% (3398/15358)
回答No.1

予備校に限らず、参考書などはきっかけにしか過ぎません。 それは、実際に作られる試験がそこには無いからです。こういった科目で、こういった内容のものがよく出ていますよ。程度です。  参考書や教材をそのまま覚えるのではく、どういった理由でその答えを出しているのかを理解する必要があります。それを問題集など解いたり、考えたりしながら自分の中に取り入れるのが勉強です。応用問題ができて初めて理解でき成績が伸びるのです。  恋愛マニュアルを読んで彼女ができないのと同じでしょうね。変化しているものに対して無意味だけども、こういった方法がある。だから、どうすれば、その子にあう方法があるのかな?と考えないとね。勉強とはそういうものです。

yadesagaki
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 「予備校の教材や参考書はきっかけにすぎない」 という言葉は自分にとってはなにか哲学的な意味をはらんでいるようで難解に思いました。 やがてやってくる職業選択のさいに、若しくはそれ以前の、学部・学科の選択するさいのなにかの「きっかけ」になるのだろうか、という考えしか浮かびませんでした。 >応用問題ができて初めて理解でき成績が伸びるのです。 応用となるととても苦しいです。応用問題を解く手がかりとなるのが予備校のテキストであると信じていいのですか。よく予備校の玄関なんかに、テキストと同じ問題が入試に出た、ということでテキストと入試問題の張り紙をしてあるのですが(自分の地域だけかもしれません)考えてみればそれも稀なことですね。 自分の人格や他人に対する態度であるとかそうしたことから、 予備校に通っても成績が伸びない人間だ といわれました。人格や他人への接し方などだけが判断材料となり、成績が伸びる、伸びないということがわかるものなのでしょうか。人格というとすぐには変らないと思います。何年も大学受験を繰り返すというわけにもいかないために、どうしたらいいのかわかりません。大学受験が終っても自分は生きてゆかねばならないので、人格などの問題も解決するべきだと思います。(もっともその言葉にとらわれすぎなのかもしれませんけれども) もしもよろしければ、このことにも触れていただけたらと思います。