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経験したことあるからこう感じてるのでしょうか?
昔アトピーがひどかった経験とか、人にいじめられたり馬鹿にされたりけなされたり変なあだ名で呼ばれていた経験があります。 でも最近自分がアトピーのひどい人を見た時に嫌悪感を抱いてしまって、そんな自分に違和感を感じます。この違和感は自分が経験してるから、嫌悪感を抱いてはいけないと思えるのでしょうか? 同じように嫌いな人とか誰かに対して、心の中で馬鹿にしたりけなしたり変なあだ名で呼んでしまったりしています。これに対しても違和感があって、やはり自分が経験してるから心の中でも思ってはいけないと思えるのでしょうか。 つまりアトピーがひどくなかったり馬鹿にされたりといった経験がない人はこの違和感すら感じないのでしょうか・・? 自分は違和感を感じてるということは、思ってしまうから仕方ないとか、自分はされたけどそれはもう忘れたし、あの時の辛さも過去だから感じられないといった理由がないとは言えず、違和感となって現れてくるのでしょうか? つまり自分が言いたいことは、自分はそういう人に対してそう思いたくないということです。だから自分で自分をしつけることを繰り返すことが大事なのかと思います。 みなさんは自分の意見をどう思いますか?よろしくお願いします。
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質問者が選んだベストアンサー
「自己投影」があるのかな?という気がします。 つまり「アトピー=昔の自分」というロジックが出来上がっていて「自動的に」対象人物を過去の自分と挿げ替えて考えてしまう。 それで「あなた、いじめられるでしょ!?」「あなた、もっとしっかりしなさいよ!」「あなたは弱虫よ!」というふうに考えてしまうのではないかと。 通常はそういった場合「同情心」がおきます。 しかし「同情心」は「自分を正当化できた場合」での例です。 いじめを受け、それが未解決のままで残留している場合、憎しみは一番近い場所…自分に向きます。 自分で自分を許せていなければ、同情心は湧きません。 自分への苛立ちは、たとえ忘れたつもりであっても消えてはくれないのです。 >嫌いな人とか誰かに対して、心の中で馬鹿にしたりけなしたり変なあだ名で呼んでしまったりしています これもまた「許せていない」ということですね。 自分を責める、といいましたが「自分よりも劣っていると思う」人がそばにいたらどうでしょうか?。 自分の責めには永遠に解決口はありません。 自分は自分に何よりも優しいのが人間だから。 でも「他人には」そうじゃないですね?。 だから「同じだ」と思えば、自分が解決できない課題を対象に「放り投げて」しまうこともできます。 一時の解決策です。 そしてこれらの「方法」の最大の利点は「相手が傷つかないこと」そして「それによって自分も傷つかないこと」です。 私の想像ですが、いじめを受けてきたとき、相手に対抗しないで我慢して来ませんでしたか?。 まわりも「かわいそう」と思うことはあれ、相手の子供を叱り飛ばしに行きませんでしたか?。 「守ってくれる存在があること」の強い確信は、自分の中で処理するべき問題を「肩代わり」してくれるのです。 もしそれがなかったとなると…または「同じ境遇の人間と励ましあった」という経験が無いと、結果「自分が」の世界に行き着いたまま成長してしまうのです。 それが >自分はそういう人に対してそう思いたくないということです。だから自分で自分をしつけることを繰り返すことが大事なのかと思います。 という「齟齬」を含んだ結論になってしまうのです。 逆読みすれば 「自分で我慢をしてれば、そんなこと考えないで済むんだ」 ということになります。 でもこれ、あなたが見ても「おかしい」とは思いませんか?。 そもそも「何で我慢が始まるのか?」がわからないじゃないですか?。 悪いのはあなたじゃないんです。 悪いのはあなたのことをあげつらっていじめをした人たちです。 あなたは少しも悪くは無いんですよ?。 だから自分を許してあげるべきです。 自分を憎む理由は何も無い。 あなたは、あなたを生きてください。 あなたがつなげるであろう「命の輪」の、その先の命のためにもね。
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- aymhfgy
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先程、別のご質問に回答させて頂いた者です。 ご縁があったように思えましたので2回目の回答を致します。 私はアトピーではありませんが、アレルギー疾患はありそれに近いものはかつて、ありました。 それとは関係なく、人格障害者の遠戚の者から苛めをうけた体験もあります。 しかし、もう、どちらも卒業しました。今では苛めから受けたものは得たものが大きかったと思っています。 さっきも感じたことですが、やはり、そうだと感じたのは、質問者さまは物凄く、ご自分に対しても潔癖ですね。 心の中で思ってもいけないことか、というような発想を持つ人は少ないでしょうね。もう少しツラの皮が厚いと(笑)こういうものの考え方はしないと思います。自分に体験があろうがなかろうが、違和感を持つ人は持つし、持たない人は持たないものだと思います。 又、人の心は自分をまず大切に考えるように守られているので、別に厚かましくなくても違和感を少し感じたぐらいで自分を責める必要はないと思います。 ここでまた、登場するのが自意識過剰だと思います。 どうか、ご自分の心を覗き込んで完璧であろうと思われませんように。 質問者さまは十分に優しい方だと思います。 自分で自分をしつけ過ぎると必ず心が辛くなり、病んできます。人は心の中で何を思おうと自由なのですよ。 大事なことは身体と心に休養をとることです。考えすぎないことです。 すべての原因は繊細すぎる神経だと思います。もっと、もっと、気楽で良いですよ。くれぐれも考えすぎないように。お大切になさってくださいね。
まぁ貧乏が金をもつと貧乏人を馬鹿にするってのと同じかもね。 要は逆に嫌悪感をみせることにより 自分のコンプレックスを隠すことで 自分を慰めているわけですな。