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ヒロシマと言論の自由 大切なのはどちら
- ヒロシマでの平和訴え、8月6日に疑問の声
- 田母神氏講演で広島市長が要請、8月6日はやめて
- ヒロシマでの平和訴えと言論の自由、どちらが優先か
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質問者が選んだベストアンサー
憲法により言論の自由は保障されているのですから従う必要はありません。 また強制を伴わない要請するのはれも憲法の言論の自由を保障されているわけですから問題無いです (直ちに憲法違反とは成らない、余りに行き過ぎた行為は違反の可能性はありますけど) どちらも法律(憲法など含む)に違反する訳でも無いです また、実際に核兵器が無い平和は考えら無い現状を直視することは重要です それに優先順位は人により異なる訳ですから、理想と現実にギャップは大きいですが、現実の正しい情報を得ないことには理想だけ唱えても意味がありません
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- dell_OK
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8月6日はたしか広島で恒例のなんとかがある日ですよね。 一方、たぶん、田母神氏の講演は8月6日に広島で恒例の行事としているわけではないのですよね。 この場合、あえて同日を選んで講演するのはどうした事かと思う。 まず同日にする事に何の問題があるのかわからないけど、講演内容が変わらないのなら、日を変えたところでなんの影響もないように思う。 おそらくだけど、恒例行事に参加する人と、講演に参加する人は、種が異なるために、どちらにも参加したいと言う人は少数だと思う。 私が問題にするなら、両方に参加したい人のためを思うと、別の日に講演を設定した方がいいのではないかと思う。 そんな人を相手にしないのなら、どちらも8月6日で問題ないと思う。 そうすると、さらに言えば、講演を広島でやる事にも意味がないような気がする。 と言うわけで、優先順位は同位。 平和を訴える事にはどうとも思いません。
- v008
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30万人の葬式会場で軍と行政が内輪でけんか? 不愉快に思う他の人間が 抗議をすればいいし 日本会議も どうせなら対馬にでも出かけてやるか 翌日広島でやるなど大人の配慮をすればよいと思う。 体のなかで死の灰がぴゅんぴゅん放射線をだして体を壊している現実に苦しんでいるところで 戦術核の話をされても、、、 私だったら ちょっとそこでは聞きたくないかもしれませんね。 チェルノブイリの石棺を作った人の家で 再処理施設の誘致運動をするようなものですからね。 素直に理不尽だが慮る事に依存は無いと 配慮した上で 堂々と 持論を訴えるのは自説に反しても先ず市民感情に配慮をして一歩引く毅然とした態度は 真っ向から反論するより説得力が増すし 平和団体の行動に対しても 当日は顔を出してきちんと聞き それを後出しで 反論できるのだから いっそ そうしては?
- QES
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この場合、言論の自由は関係ないでしょう。 何も広島市長が講演そのものを反対しているのでなく、 8月6日を避けてもらえないかと言うことですから。 田母神氏も大人の対応なら前後どちらかにずらしたら済むわけです。 しかしこれは田母神氏の問題ではなく 元社会党出身の広島市長に対し、保守系の日本会議が宣戦布告をし わざと原爆記念日に講演を企画したものです。 まあそれで広島市が混乱しても田母神氏はもちろん日本会議は何の責任の負わないわけで、その意味では広島市長のほうが理解ある態度と思います。