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自分は本当に浅はかでした(自動車免許を取得してからの心境の変化)

先日、念願の自動車免許を取得した20代後半の人間です。 若かった頃の私は貧しくて自家用車はおろか免許すら無くて、 自動車を自在に乗り回している人と自分を 比較しては「免許を持てない自分はなんてみじめなんだろう」 とドライバーの皆さんに対する憧れと強烈な免許コンプレックス を持ってました。 それから数年後の現在、免許を取得するだけの 経済的余裕ができたので、自動車教習所に連日通って 始めに言ったとおり、なんとかオートマの免許を取得しました。 免許を取るまでを振り返ってみると、学科テストには一発合格 だったのですが、不器用で物事の理解力が無い私にとっては 技能教習はものすごく難しくて、補習の連続でした。 それと自動車だけに限った問題ではありませんが、 乗り物というものは操作を誤ったり、注意不足だったり すると取り返しのつかないくらい悲惨な目にあうという ことも学びました。 さらに言えば、免許を取ったからといって、すぐ自動車を 入手できるわけではありません。 私は今は原付に乗ってますが、自動車は原付以上に維持費、 燃費、税金、車検などの費用が掛かり過ぎるのです。 以上を考えると自動車を持って運転するということは強い責任感と 費用を捻出するだけの働きが無いと難しいということを 思い知りました。 「自動車は憧れだけで持てるものではない」ということを痛感 したのです。 それに気がついて以来、自動車のメリットだけしか見えなくて、 デメリットに気づかなかった若かった頃の私は本当に 浅はかな人間だったと痛感しているのですが、この反省は 有意義なものといえるのでしょうか?皆さんはどう思いますか? 皆さんからのご意見をお待ちしております。

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  • tomban
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回答No.6

若いころの憧れを「あさはか」といったら、それは少し可哀想だな。 そういう意味では、あまり「意義のあることじゃない」と思う。 ものの学び方は「トライアンドエラー」で、それは「過去を刷新し続けること」では無いよ。 今までの「エラー」があるから、現在の選ぶべき答えが導き出されるので、それを「浅はかだった」と自分で言ってしまうべきじゃないよ。 自分は褒めてあげなきゃいけない。 過去の自分だってね。 だから「可哀想」って言ったんだよね。 昔の自分が可哀想、ってね。 そうじゃないと、褒めてくれる人って、とても少ないからね。 こんな風に言うと語弊があるかもしれないけど、怒る人もいるかもだけど、私は運転をしてるときには歩行者は「障害物」として認識してるんです。 歩行者は「動きの遅い障害物」で、自転車は「動きの早い障害物」。 いちいち「生命があって、暮らしがあって…」などと考えると、冷静な判断力が得られないから。 私にとって運転をしてるときの歩行者は「自分とは違う動きをする物体」でしかないのです。 しかしだからこそ冷静に「動き」が読めるのです。 例えばこうです。 「ヘッドフォンをはめながら音楽を聴いて、右側走行をしている自転車」は ・左右の音を聞き分けられないので、車の存在認識は眼に頼るしかない。 ・ヘッドフォンが落ちるのを嫌うから、左右に首を振らないから、尚更認識度合いは低いだろう。 ・こちらが右折しようとするとき、こちらの存在を見つけるのは交差点に入る直前と予想される。 ・歩行者信号以外見ないか、もしくは車両信号をみて、渡れると判断するだろう。 ・結論としては「まず間違いなく突っ込んでくる」。 ・後方車両との間隔を考え、右折の速度はゆっくりで、もしものときに横断歩道の直前で停車しよう。 こんな感じです。 これを「数秒」で判断し実行します。 そのときに「危ない、危ない」とか思っていると、うまくことは働かないのです。 交通法規の中で、自分が正しいと思う行動を、法規に逆らうことをあまりしないように、自分の技術を持って実行するのです。 …もっと平たく言えば私は「私以外の道路通行者を信じない」のです。 これらはみな「過去の経験」から培ったもの。 「可能性」を重ね続けて得た「技術」です。 運転が下手な人の多くは「怖い」ということをトラウマにするだけで、それを「私は下手なんだ」という結論に結び付けてしまう。 でも、それではずっと「下手なまま」なんですね。 運転も人生も似たようなところがあります。 失敗も経験も「積み重ねて」いきながら、大事なこと…「日々無事にいきること」の確立を上げていくのです。 教習所はあくまでも「基本を教える」だけです。 その先は交通法規を守りながら、運転の技術の向上と、実際の状況を把握しながら、無理ない運転を心がけることでしょう。 費用に関しては、なんとも言いがたいので避けますが、運転は時間がたつと確実に忘れていきますので、間を空けないほうが得策ですよ。

sketemiel
質問者

お礼

度々のご意見ありがとうございます。 考えることはいろいろありますが、免許を取得できて 嬉しいか嬉しくないかと問われたら、間違いなく 嬉しいです。日常生活に自動車が溶け込むと良いですね

その他の回答 (5)

  • khngrncr
  • ベストアンサー率30% (78/258)
回答No.5

結論からいいますと、「浅はか」ではありません。 「現実」に気がついただけと思います。また、物事の「メリット」と「デメリット」は表裏一体でもあります。 「憧れ」という原動力を持って、免許取得を成功させたわけですから、とてもすばらしいと思います。次のステップである「自動車の保有」に向けて動き出せばいいのです。 質問者様のような意識(交通事故の悲惨さを理解している)を持って自動車の運転に臨むならばきっと「無事故・無違反」なカーライフになるであろうと思います。 「運転免許証の保有」と「実際に運転できる」ことは似て非なるものです(免許保有が前提ではありますが) できることならばペーパードライバーにならないよう、「運転スキル」を身につけて、本当の意味での「運転免許証」になるように願っています。 「できなかった」ことが「できる」ようになる、何物にもかえがたいと思います。

sketemiel
質問者

お礼

そうですよね。どんなに練習を積んでもブランクがあれば 技術を忘れて、運転免許証はただの紙切れと化してしまう・・・ まさにそのとおりです。ありがとうございました

  • inu_0004
  • ベストアンサー率28% (38/135)
回答No.4

卑屈すぎます! 世の中なにごとにもメリット・デメリットがあり人生はバランスなのです! まあネットカフェ難民とか派遣切りとか経済力がほぼ無いに等しいような人達には到底手の届かない高嶺の花でしょうけどね。 あなたのような人は飛行機は墜落が怖いから乗らないとか船は沈没が怖いから乗らないとか外は危険が多いので家から出ないという感じに近く感じます。 そして一番安全な家でビクビク暮らしていたら転んで頭を打ったり心筋梗塞や脳梗塞でお亡くなりなってしまうような… デメリットを知ることは重要ですがチキンになり下がるのはただの臆病者とも言えます。 車の必要性不要性を今一度メモに書き出して自己整理してみることをすすめます。 最後に危険も責任も軽視理解せず(理解できす)無謀犯罪運転をするようなDQNに比べたら、 あなた様が100億倍有意義なのは言うまでもありませんw

sketemiel
質問者

お礼

確かに憶病であることは事実です。 ありがとうございました

noname#90012
noname#90012
回答No.3

昔は、給料が月に5万円もないような状態で車を維持していたのです。 維持費は今と殆ど変わりません。 中古の軽でも購入をして、月に2~3万円くらいなら、 捻出できるでしょうに。 素晴らしい、カーライフをお楽しみください。

sketemiel
質問者

お礼

中古の軽自動車を買うことを検討してはいるのですが、 いろいろ考え過ぎてしまうのです。 ありがとうございました

  • takas223
  • ベストアンサー率22% (299/1308)
回答No.2

 まぁ、コンプレックスをクリアできたという意味ではいいことだと思いますよ。  自分で自分を克服したなんて、すごいことです。  自信がしっかりと持てたんじゃないですか?  確かに車は維持費がかかりますが、本当に車がないと動けないところもあるので、必要なこともあります。  今の時代エコという話であれば公共機関を出来るだけ使ったほうがいいんでしょうけどね。  前に仕事で済んでいたところはバス停のある道まで歩いて20分。  最寄の電車の駅まで30分。  こんなところは、車がないと生きていけません(笑  いつか必ず役に立つと思います。  身分証明でも十分役に立つでしょう?

sketemiel
質問者

お礼

気持ちは楽になりましたよ。急に自動車を持つことは 難しくても、運転する資格は自分にもできたんだということは 嬉しいです。せっかく手に入れた免許証ですので 宝物にしたいですね。ありがとうございました

  • noel1117
  • ベストアンサー率22% (11/50)
回答No.1

難しく考え過ぎな気もしますが、新しい考えを持てたと言う事は良い事じゃないでしょうか?

sketemiel
質問者

お礼

ありがとうございます。そう言って頂けると嬉しいです。 自分で言うのも心苦しいのですが、物事の見方が 多角的?になったのは良いことなのかもしれません