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JALのロスアンゼルス就航年

日本航空がロスに就航した年を教えてください。 ホームページなどで検索したのですが、私が見たところ、見つかりませんでした。 また、以下についても教えていただきたいです。 ・1988年には成田-ロス線はあったか ・1988年に日本航空ではどんな機内・空港サービスがあったのか 当時利用していた方がいらしたら、詳細もいただけると嬉しいです。 どうぞよろしくお願いします。

質問者が選んだベストアンサー

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  • ddeana
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回答No.3

ddeanaです。 >トランプなどは、黒い地に、JALとごろが小さく印刷されたシンプルなものが80年代後半だったと思います。 よく覚えていらっしゃいますね。素晴らしい!  B-747-400が登場するまではビデオもいわゆるVHSだけでしたから、トランプや囲碁などの貸し出しがそういえばありましたっけ。 80年代後半は、JALの国際線、国内線共に機内販売やお子様用アメニティーにDisneyのキャラクターがよく登場していた記憶があります。 全席禁煙になったのが、90年代に入ってからで、それまでは最初は赤字にゼブラ模様のプラティックの箱に入ったマッチから始まって、降りたたみ式のマッチなど、マッチも機内アイテムのひとつでしたね。 サービスに関しては、80年代はOne-size-fits-all という印象があります。いつどの路線に乗っても、サービスの内容やお酒の種類などに違いはそれほどなかったという意味です。 90年代に入ってからは路線別の違いも出てきましたし、ANAが本格的に国際線に参入してきたので、競争という意味でソフト、ハードともに結構細かく変わってきた印象があります。ハード(シート仕様)に関しては90年代の方がずっとよくなりました。電動リクライニングや、フルフラットなどより機内での快適性を追求したデザインが主流になってきたのはいいことだと思う反面、収益を考えてYの座席などは本当にゆとりがなくなってきたと感じました。仕方ないことだと頭では割り切っていますが(苦笑) Crewに関してはANAもJALもいわゆる日本的なサービスというか、細かな気配りをなんとか保とうと努力しているように感じます。これは他外国エアラインにはなかなか真似できない点だと思うので、これからも追求していって欲しいなと思います。

avovocado
質問者

お礼

80年代、90年代とそのような違いがあったのですか! アメニティは、トランプ以外にも、囲碁などもあったんですね。私は、そのようなアメニティも飛行機に乗るときの楽しみだったので、現在では少なくなってきてしまっているのが残念です。(機内シート装着の画面ができてからアメニティは少なくなったのでしょうか?) また、私も、日本的なサービスを両社とも保とうと努力していると感じます。 ddeanaさんは、専門家でいらっしゃるということで、お聞きしたいです。 JALとANAのサービス差、ANAが追いつけない部分は何だと考えていらっしゃいますか? 私はJALは、サービスの品質に一貫性があるところだと考えています。また、ANAよりもグループの一つ一つが個性があると感じています。一方、ANAはグループ全体で統一感があると感じます。 最初の質問とずれていますが、上記についても意見交換ができたら嬉しいです。 よろしくお願いします。

その他の回答 (3)

  • ddeana
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回答No.4

ddeanaです。 追加の質問にこの場でお答えすることは禁止される行為になる可能性がありますので、いったん締め切って新たな質問をされる方がよろしいのではないかと考えます。他の方からの意見も伺えるのではないでしょうか。

avovocado
質問者

お礼

そうします。 ありがとうございます。

  • ddeana
  • ベストアンサー率74% (2976/4019)
回答No.2

おー、懐かしいですね。 No.1の回答者様の情報を少々補足いたしますと、太平洋線の機材は路線開設時DC-8が主流でした。太平洋線(シスコ、ロス、ニューヨーク)はいずれも偏西風の影響を受ける為に行きと帰りで飛行時間が違うので、DC-8では行きはよくても帰りは直行で飛べなかったのです。なので、ロス、シスコはホノルル経由、ニューヨークはアンカレッジ経由になったのです。しかし路線開設後、B-747(200もしくは300)での直行便が可能になり1975年7月1日からロス便は直行になりました。(シスコは同年6月1日から) ・1988年には成田-ロス線はあったか はい、もちろんありました。成田空港が開港したのは1978年5月20日。それ以後路線として休止したことは一度もありません。この時代は直行便のみです。 ・1988年に日本航空ではどんな機内・空港サービスがあったのか 自分の持ってる昔のアメニティーとか探してみたんですけど(苦笑)、なかなかはっきり年代がわかるものがなかったので、わかる範囲で。 機材:B-747300LR (LR:long rangeの略。国内線など短距離用の747はSR:short range と言ってました。) クラス:P/C/Y (JALはFではなく、ファーストクラスをPと表示してました。Cクラスはビジネスではなく、エグゼクティブクラスと言ってました。) 二階席:FCから螺旋階段であがるようになっていて、FCのラウンジとして使われた時代、ベッドとして使われた時代、そしてファーストもしくはエグゼクティブの座席として使われた時代などさまざまでした。1988年、ロス便は062/061は毎日運行していましたが、曜日によっては063/064もあったので、使用機材によって二階席の仕様も違いがありました。 エンターテイメント:個人テレビ(F/C)がついたのはB-747-400(1989年以降)ですから、それまではどのクラスでも映画は前方のスクリーンで一括で見るようになってました。今のやってるNHKのニュースの他、映画は2本はありましたね。冬場などロスからの帰りの時間が行きよりも数時間長いのでその場の判断で追加の映画や短編ビデオを流したこともありました。 シートピッチ:Yは84cmですから現在とあまりかわりません。リクライニングは手元にはっきりとわかる資料がないのですが、テレビや電話などの回線が座席内にくみこまれていなかった分、今よりも確実に深くリクライニングできてたと思います。横のアームレストをあげることが出来れば真ん中4席横にして眠ることが出来るので、すいてる時は皆こぞって中央の空席を探したものです(笑)。Cクラスから横になって眠るためだけにYに来た人もいたぐらいです。 食事:Yに関しては1・5食でした(暖かいアントレがつくのが1回、ハーフトレイに冷たい食事が到着前)。P/Cは当然チョイスがありました。 空港サービスに関しては今とそれほど違うことはなかったような気がします。ただ今と違い他外国航空会社との共同運航がなかったり、マイレージサービスも発達していなかったので、ラウンジを使える旅客は今より限られた人たちだったと思います。

avovocado
質問者

お礼

詳細、ありがとうございます。 曖昧だった記憶がよみがえってきました! アメニティですが、私も年代がわかりませんでした。トランプなどは、黒い地に、JALとごろが小さく印刷されたシンプルなものが80年代後半だったと思います。 ddeanaさんの、80年代のJALと90年代のイメージはどのようなものでしたか? サービスについて良かった点や、悪かった点、現在になって改善されてきたものなどの意見がありましたら、お願いします。

  • nidonen
  • ベストアンサー率55% (3658/6607)
回答No.1

 1954年( 昭和29年 )1月7日にロサンゼルス営業所を 開設しており、1959年( 昭和34年 )5月28日にホノルル 経由でロサンゼルス線を開設しました。機材は DC-7C です。  ちなみに初の国際線は、1954年2月2日開設のサンフラン シスコ線ですね。 > 1988年には成田-ロス線はあったか  もちろんありました。LA線から撤退したことはないはずです。 > どんな機内・空港サービスがあったのか  機材は B747-200 だったはずです。2階席が全8席のファースト クラスだったらしいですが、残念ながら経験がありません。いまと 違ってフルフラットシートとかはなかったはずです。また、MAGIC 導入以前なので、シートテレビもなかったでしょう。

avovocado
質問者

お礼

早速のご回答ありがとうございます。 LAからはずっと撤退していないんですね!(^ー^)

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