私の回答について、その実例を指摘します。追加補足ということになります。
>介護の必要な老人がいても、お金があれば、高くても有料の施設に入れて、家族は介護をしなくてもよい。
できることなら家族介護が当然良い。家族は金で買えないかけがえのない存在です。
たとえ贅沢な施設であっても、そこに入れられただけの年寄りは孤独だ。できれば家族介護が望ましい。
単に平穏だけを望まない家族もいる。介護は大変だが、そこに喜びや生きがいを感じる家族もいる。
そしてそういう親子関係が出来上がるためには、お互いの心の問題が『解決』されなければいけない。
「家族に介護してもらうことが嬉しい」「大変だけど家族を介護したい」という関係であれば、
それはそれで、一つの幸せな家族関係である。これは金では買えない。
家族全員が心の問題を『解決』している、そういう家族関係。決して金で買えるものではない。
>私立の雰囲気の良い学校に、子供を行かせることができる。
学校とは、子供が何を学べたかでその価値が決まる。
公立だろうが私立だろうが、金の力による雰囲気作りの程度だとか、そんなことはその本質には関係ない。
「殆ど」というのは、それはかなり高いパーセンテージを意味するものである。
公立・私立を比べて、私立の方が遥かに高いパーセンテージで「本質的な教育」
が行われているなどという統計は、元よりどこにもあるはずがない。
公立でも立派に育つ子供は大勢いる。私立でもダメになる子供は大勢いる。
それは「教育にとって一番大切なもの」と金は殆どまるで関係ないことを証明する一つの材料だ。
貧困の環境から立派な人間になった人はゴマンといる。そして「立派な人間」とは
何も金持ちになったことを意味するものでも決してない。
ダメになる子供は心の問題を抱えている。その『解決』に金は殆ど何の役にも立たない。
結局一番大切なものは、殆ど金では『解決』されない。
>今回の相談は、そういうことではなく、天罰のことについてです。
そもそも、元より、殆どのことは金で解決できるという聞き捨てならないことを言い出したのは
私からではないし、又、こういう私の論旨に反した言動が「お礼」とは何事か。
>こういうことは、どう考えたらよいのでしょうか。
これに対する回答をするためには、出てしまった「金~」という、この言葉を決して避けて通ることはできない。
こちらも痛みと怒りを堪えながら必死に回答をしているのであり。
これがお礼とは…。
あげくの果てに、お礼と銘打って私の回答が回答という主旨からズレていると、あらぬ歪曲をされ
侮辱されたことについては、これは必然的に大変な怒りと憎しみを感じるものである。
しかしこの怒りと憎しみは、長くは続かない。
これだけ分かっていない人なんだから、別に私が憎まなくても、この人は生きるのが辛いだろう。
これからも、辛い思いをし続けるだろう。
誰かを憎んでいるにしても、己がこういう態度なら、時には相手がこの人を憎んで当然だ。
回りの人は正当な怒りを感じることも多々あるだろう。この人はそういう人だ。
懸命に家族を介護する人々を、公立でがんばっている人々を、極論すれば敵に回した。
それなのに自身それに気づかず、一方的に、時には相手に天罰が下ればいいとさえ思い、
憎しみのかたまりになって、重苦しい、ざわざわした心を抱えて生きている。
何も私が憎まなくても、この人はこれだけで充分天罰が下っているに等しい。
憎しみで澱んだ重苦しい心を抱えて生きていなければならない。これは天罰だ。
結局、なんだかんだ言ってもこの人は、未だに親を卒業できていない、ただの子供だ。
子供に目くじら立てても仕方ない。
それより少しでもそれを伝えられないだろうか。
この人が親を卒業するというのは、それはよっぽど大変なことだ。それができたら、よっぼど凄い人だ。
それができたら、たとえこの人が金持ちになろうとなるまいと、まごうことなく「立派な人」だ。
それがこの人の運命だ。それができるかどうかなのだ。それがこの人の人生の意義だ。
それこそが、天罰ということを「どう考えたらいいのか」に対する回答の核心なのだが…。
私もそうだった。そうだった。
あー憎しみが遠のく…
憎いというか、悲しいね。悲しい人やね。
そのうち忘れるから放置しよ。もういい。もう気が済んだ。
これ以上何もできん。自分なりに精一杯やったから、もういい。
あー憎しみが遠のく…
≫介護の必要な老人がいても、お金があれば、高くても有料の施設に入れて、家族は介護をしなくてもよい。
>できることなら家族介護が当然良い。家族は金で買えないかけがえのない存在です。
>たとえ贅沢な施設であっても、そこに入れられた年寄りは孤独だ。できれば家族介護が望ましい。
だからって別に、無理する必要はない。
この老人が「市民ケーン」の主人公ならば、一人で死なせなさい。
貴方の方が死にそうなら、無理する必要はさらさらない。もしそうなら、心ある人は誰も貴方を責めない。
私の言っていることが、少しでも分かるか? 今すぐ分かってたまるか!
5年や10年位では、貴方には分かるまい。…いや、もう諦めた。貴方に知らせるのは、私は諦めた。
だから貴方もせめて今すぐ「分かったような口」をきくのだけは止めなさい。
以上実例。及び完全終了。
お礼
ありがとうございました。確かに人生は、死ぬ寸前までわかりませんね。今回、いろいろな方のご意見をお聞きして、まず、自分がこれからどんな人生を送っていきたいのか、もっとよく考えてみようと思っています。