その前年だったか、自民党からかなりの人数の所属議員が離党した事などにより自民党が過半数を割った。
その結果、社会党から新党魁や日本新党、公明党などによる非自民の連立内閣が成立した。
その結果自民党は、四五十年ぶりの野党に転落した。
年が明けると、連立内閣を構成する各党間の軋轢が大きくなりその後細川首相が退陣する。
何とか連立の枠組みは保持しながら、羽田さんが首相を引き継ぐが連立内の不協和音は限界に達する。
そのような状況を野党に転落した後、虎視眈々と政権復帰を画策していた自民党が見逃さず
連立内で常に邪険に扱われていた旧社会党に対して自民と社会という少し前ならあり得ない枠組みでの連立政権樹立を働きかける。
社会党としては連立与党内で邪魔者扱いされるのは嫌だが、かといって連立を飛び出して野党に逆戻りするのも勿体ないなぁと悩んでいた最中に
自民党の方から新しい枠組みでの連立政権の話が転がり込んだ上に、連立政権の首相には、社会党の村山さんでイイとの話もあり
もう願ったり叶ったりの状況で、あまり深く考えずに自社さの枠組みで連立政権を作ってしまったのでしたね。
(その二つの政党の接着剤として新党さきがけが働いた)
その後の社会党は、政権維持のためにそれまでの社会党の方針から大きく右に軌道修正を行った(当然擦った揉んだの大揉めの結果
左側の路線の人々は党から離れやがて雲散霧消し、右側の人たちはそんなんなら社会党である必要はないとして、離党して今の民主党の一部になった。
結局、社会党自身が社民党と名を変えた頃には、すっかり弱小政党に落ちぶれてしまった。という感じでしたでしょうか。
1.理由は
非自民の連立だとのけ者にされるが、自社さ連立なら社会党を立ててくれる。という甘い期待と一度味わった政権与党の美味しい味を諦めることができなかったので
その事がどの様な結果を招くか深く考えずに踏み切った事と
自民党側にしてみれば、首相という御輿に村山さんを担いだとしても要所要所を自民党が押さえればコントロール可能と判断し
名を捨てて実を取ったということか?
それだけ、どんな手段を執ってでも政権与党に復帰しなければならない程切実だったということ
2.論調は
そりゃビックリというか、ホントに大丈夫か?という感じ。
最初は懐疑的だったけど、『トンちゃん』なんてあだ名を付けた首相とは別に、実質的には自民党政権との見方だったので
非自民の連立崩壊して、自民党が与党復帰という扱いでした。
その後の阪神淡路大震災などに対する、政府の不手際もイニシアティブの欠如=長年野党でのんびり過ごしてきた社会党の影響?
という論調もあったように思うが、特段特別な事は無かったと思うが。
お礼
結局日本社会党が自壊の道を歩み、自由民主党が政権に帰り咲くきっかけになったのですね---。信じられないな。