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モーツアルトに匹敵する作曲家は他に誰がいるでしょうか?
モーツアルトの音楽を聴くと、どんな時でも、心が洗われる気分になり、飽きることがありません。 彼は人間界のドロドロを描いているのではなく、天使や天上の世界から、常に希望の光と共に、世の中を眺めている、超越した視点で曲を生み出していたように感じます。しかも、旋律が大変にポピュラー的で、難解でなく、分かり易く、曲の構成も調和が取れてバランス的に並外れている、という点でも、追随を許さない次元に達していると思います。 生涯で残した殆どの曲がこういう傾向を満たしている曲で占めている、偉大で普遍的な天才作曲家としては、他にどの様な人々が居るでしょうか? (「高音のひろがり感、きらめきが深く、美しい曲調」「作曲時の視点が人間界を超越している」「旋律が親しみ易く、明るい」「曲の構成のバランスが取れている」という条件を満たす曲が生涯の作品の殆どを占める作曲家、という意味です。) あくまで個人的な主観ですが、ベートーヴェン、シューベルト、スカルラッティ、ショパン、バッハ、チャイコフスキー、グリーグなどの曲にも、たまに曲中の一部の箇所で断片的に、同じような「純粋な希望の光」を感じることがありますが、”生涯で作曲した曲のほぼ全てが”、という観点で見ると、自分にとっては、彼らはこれに当て嵌まりません。勿論、皆、素晴らしい作曲家であるには変わりないと思っていますが。) 思い当たる方、教えて下さい。
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お礼
(「お礼」からの続き)◆一方、私は「音楽のこの世での役割」は、”ままならない事が多く、矛盾と理不尽に満ち満ちた世の中で、「自分自身の生を愛し、(特に、自分と異なる価値観、視点を持った)存在を愛情深い眼差しで見つめていられる前提となる”素直な心の状態の維持”」の大切さを想起し、人間が自分自身の力で)心を浄化するキッカケとなること であり、又、そうであって欲しい、と考えています。 モーツアルトの曲は、確かに、(聴き方によっては)どの曲を聴いても、同じ様な曲調に聴こえ、劇的な変化は少なく、使われている様式の数も、大きく見れば、多くはないと思います。 作曲技法、奏法など技術的な側面で語ると、もっと他に工夫を凝らせている作曲家が居るでしょう。 子供の頃は、彼の音楽を魂で感じ取ることが出来ず、まるで金太郎飴状態の音楽だ、と思い、強制的に課題として弾かされていた感覚が強く、モーツアルトは好きではない、と思い込んでいました。 しかし、大人になり、クラシック音楽の世界から飛び出し、米国のショービジネス音楽、中南米やヨーロッパ、アフリカ、中東のあらゆるワールドミュージックやジャズなど、色々なタイプの音楽を経験した末、今になって、”自分が興味が湧く作曲家(または、音楽家)はどんなことを成し遂げた人だろう?”と考えるに至った時、「全人類にとって、最重要である普遍の感情(境地)を、どんな人にとっても何らかの好感が持たれる”容易な音楽表現”によって伝えることが出来ている人物」となる、と気が付き、あらゆる音楽ジャンルで自分なりに探究した結果、自分にとってはモーツアルトしかそれに当て嵌まらない、と実感したのでした。 しかしながら、現代人として、今の時代の何処かに彼に匹敵する程の作曲家が、(ジャンルはクラシックに限らず、)存在していないものか、という強い希望があり、加えて、自分自身が知らない作曲家で、”分かり易い曲調で哲学的テーマを実現出来ている人が居ないものか”、という事も知りたく、この様な質問を広く皆さまに投げ掛けさせて頂いた訳です。
補足
皆さま、回答をありがとうございました。No.1~No.5まで、様々な方々が下さった回答を拝読し、自分では、以下の様に感じました。 (1)”聴き手の好み”によって、それぞれの作曲家(音楽家)への「印象」や「評価」が、著しく異なる (=「天才」と呼びたい条件が、人によって、異なる) (2) (1)には、「音楽」を聴いた時に、「受け取りたい"感情”」や「なりたい"気分”」が、人それぞれであること、そして、「生涯における"音楽体験”」、「それに伴って認識している知識・情報の方向や範囲」や「その折々の、境遇や心理状態」が、個人個人で全く違うこと等が、影響している (3)私自身にとっての”作曲家として、最高の仕事”を生涯でやり遂げた人物像は、 「芸術音楽」としての社会的役割を、”全人類”に向けて果たすことが出来ている人物(=「究極の"慈悲の精神」を、音楽を通じて、(特に、音楽に全く興味がなく、音楽予備知識も何らない人々に対してまでも、)漠然と、しかし、明確に伝えることが出来ている。普段、音楽を聴く習慣がない人々が、敷居の高さを感じず気軽に聴け、しかも、哲学的次元の精神性を伝えている。) ■さて、既に前述しました通り、モーツアルトは私にとって、最も好きな作曲家ではありません。 好きな作曲家と言えば、自分にとっては、 ■ショパン(ピアノ音楽技法を限りなくパーフェクトに近い次元まで完成させた彼の曲は、弾く者に身体と心が繋がる心地好さ、ピアノという楽器と一体になる悦びを感じさせてくれます。また、ポーランド民謡のリズムが大好きだから、それを垢抜けた使い方で多様している点も個人的に◎) ■シューベルト(天上の世界と繋がっていた意識状態で作曲していた彼の”超越した心理状態”を感じます。私は聴いていて、気持が浄化されます。誰が聴いてもすぐに取っ付ける曲ばかりではないのが、広く一般的な人々に頻繁に好まれるまでに至らない要因になっているのを感じ、とても残念です。彼がさり気なく多用しているハンガリー・オーストリア国境地帯の民俗音楽のリズム、アクセントの付け方、ハーモニーの在り方も大好きです。) ■チャイコフスキー(オーケストレーションの仕方、スコアの書き方、個々の楽器の用い方・活かし方の工夫の方向が、自分の好みと合っています。また、民俗音楽要素が出ていて、特有のリズムが用いられている点も、特に好きです。) ■アントニオ・カルロス・ジョビン(クラシック音楽要素をベースにポピュラー音楽として、芸術性の高いヴォーカル曲を残した功績と努力に、同じ現代人として"勇気”を感じます。聴いていて心地好いリズム、上品な作風、リズムとメロディー・ハーモニーと歌詩の完璧な密着性が五感に気持良いです。) ■コール・ポーター(20世紀前半の米国文化と米国英語ならではのニュアンスで選ばれた言葉の在り方、作詩と作曲を同じ人物が創り上げている状態でしか実現し得ない、「言語と音楽の一致度」が、好きです。この点においては、トム・ジョビンとヴィニシウス・ヂ・モラーエスがの作詩作曲コンビが残した数々の最高傑作と同等か、それ以上の「一体感」を実現できているという意味で、英語圏のヴォーカル音楽作曲家としては唯一無二の存在だと私は感じています。) など等です。(「お礼」へ続く)