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モーツアルトに匹敵する作曲家は他に誰がいるでしょうか?
モーツアルトの音楽を聴くと、どんな時でも、心が洗われる気分になり、飽きることがありません。 彼は人間界のドロドロを描いているのではなく、天使や天上の世界から、常に希望の光と共に、世の中を眺めている、超越した視点で曲を生み出していたように感じます。しかも、旋律が大変にポピュラー的で、難解でなく、分かり易く、曲の構成も調和が取れてバランス的に並外れている、という点でも、追随を許さない次元に達していると思います。 生涯で残した殆どの曲がこういう傾向を満たしている曲で占めている、偉大で普遍的な天才作曲家としては、他にどの様な人々が居るでしょうか? (「高音のひろがり感、きらめきが深く、美しい曲調」「作曲時の視点が人間界を超越している」「旋律が親しみ易く、明るい」「曲の構成のバランスが取れている」という条件を満たす曲が生涯の作品の殆どを占める作曲家、という意味です。) あくまで個人的な主観ですが、ベートーヴェン、シューベルト、スカルラッティ、ショパン、バッハ、チャイコフスキー、グリーグなどの曲にも、たまに曲中の一部の箇所で断片的に、同じような「純粋な希望の光」を感じることがありますが、”生涯で作曲した曲のほぼ全てが”、という観点で見ると、自分にとっては、彼らはこれに当て嵌まりません。勿論、皆、素晴らしい作曲家であるには変わりないと思っていますが。) 思い当たる方、教えて下さい。
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- kottinQ
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こんばんは。 質問を拝見しながら、私とクラシックとの付き合いは、どうしてはじまったのかと考えていました。 今はモーツアルトは嫌いではないのですが、クラシックを聴き始めて初めて出会ったモーツアルトの曲は、「アイネクラリネ・ナハトムジーク」でした。この曲が、どうしても好きになれなかった。今でもそうです。ですからモーツアルトは、長らく私の中では、好きな作曲家ではなかったのです。 何を聴いても同じに聞こえました。 料理にたとえれば、酢の物のようでしたね。 それよりも、ベートーベンの後期作品群や、シューベルト、チャイコフスキー、ドボルザークなどのロマン派、いわゆる「歌える」旋律のある曲に惹かれました。 中でも、シューベルトの弦楽四重奏「死と乙女」は大好きでしたね。 私は、出会いからモーツアルトが好きになった人間ではないので、質問者さんのご意向には添えないようですが、モーツアルトのようなタイプの作曲家としては、質問者さんも上げておられる、スカルラッティがそうではないでしょうか。どこまでも抜ける青空のような曲想は、初めて聴いたときから、心を奪われました。
- keyyoh
- ベストアンサー率57% (40/69)
「クラシック音楽」の代名詞のような人物ですよね。一人で600曲以上の作品を残しているのですから、それを全て聴くだけでも一生かかってしまうくらいだと思います。よって、数多いる作曲家の中で、モーツァルトだけをひたすら聴き続けるということも、クラシック音楽を聴く(楽しむ)一つの選択肢として、充分成り得てしまうことと思います。 それに世に出回っているモーツァルトの曲のCDの数だって、輸入盤や国内盤を合わせたら、とてもコレクションできる数ではないですし、これを達成しようとしたら、やはり一生かかるでしょうね。 私もヘンデル、ヴィヴァルディ、バッハ、ハイドンとメジャーなバロック時代の作曲家の主要作品を順番にクラシックを聴き始めて、モーツアルトの作品に接した時、一つの大きなインパクトを受けました。 明らかにそれまで聴いてきた作曲家とは異なる印象を受け、交響曲や序曲を引っ切り無しに聴いて、「中毒」になった時期もありました。 コンサートでも、残念ながらだいぶ前に終了してしまいましたが、東京・渋谷のオーチャードホールで夏に開催されていた「モーストリー・モーツァルト・フェスティバル」には必ず出向いていたほどです。 その後も、さらなる出会いを求めてクラシック音楽の「探究」は続いているのですが、ブラームスの第1交響曲の冒頭に音楽の深淵を知り、チャイコフスキーの第5番では、第2楽章の凍てつく切なさにむせび泣き、マーラーの「巨人」の最終楽章のコーダに胸躍る爽快感を感じるといった素晴らしい体験の数々は、私自身にとって、こうした音楽に出会えたことを無上の喜びだと感じております。 さて、モーツァルト以外で、 >>旋律が大変にポピュラー的で、難解でなく、分かり易く、曲の構成も調和が取れてバランス的に並外れている という作曲家ならば、メンデルスゾーンとドヴォルザークはいかがでしょうか?二人ともメロディーの質からいえば、まさに「天才!」だと思います。私個人としては美しい旋律が泉のように湧いてくるという印象が強いです。 具体的な作品として、メンデルスゾーンでは、 交響曲第3・4番 「メン・コン」の愛称で知られるヴァイオリン協奏曲、あとあまり演奏されませんがピアノ協奏曲もいいと思います。 一番メジャーなのは「パパパパーン!~」でおなじみの「結婚行進曲」が含まれる劇音楽「真夏の夜の夢」かも知れませんが。この序曲は本当によく出来ていると思います。 ですが、彼がたぐい稀なメロディーメーカーであることを示すならば、以下のリンクの作品ですね! http://www.naxos.co.jp/title.asp?sno=8.553161&cod=1071 http://www.naxos.co.jp/title.asp?sno=8.553162&cod=1072 http://www.naxos.co.jp/title.asp?sno=8.553163&cod=1073 それとドウォルザークでは、これも有名な交響曲第9番「新世界より」、他にも第6~8番までの交響曲も心ときめく旋律のオンパレードだと思います。これまた有名な「チェロ協奏曲」や「スラブ舞曲集」も同様に素晴らしいメロディーが満載だと思います。 この二人の曲を聴いていて眉間にシワを寄せて唸なることも、哲学や思想的なことを考えたりすることがありません。っていうか感じられないです。正直言って。すごく純粋な心地良さがあると思います。 長々と書いてしまいましたが、私の回答はこんなところですが、いかがでしょうか。
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- jupitan
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#1です。 もともと、西洋音楽(クラシック音楽)は教会から生まれたといっていいでしょう。 先ず、神を敬い心から賛辞する気持ちと、そして何より言葉が重要であり(ここが邦楽などとは決定的に違うところ)、それに作曲家が旋律を付けていき(必然的に強い宗教性を帯びているのは当然であり)、やがて楽器の発達とともに純粋に器楽のための音楽(これが質問者さんの言うところの普遍的な純音楽とでも?)が完成しました。音楽史における最大の功績ともいってよい「ソナタ形式」なども完成されます。 そして、器楽の集合体であるオーケストラでは音楽におけるドラマ性や色彩性等を最大限に表現することが可能になり、古今の作曲家たちがこぞって数々の名曲を送り出してきました。 また、室内楽・小編成のもの(ピアノソナタ、弦楽四重奏等)ではより内面的・精神性の強い音楽表現が可能であり、作曲家自身自己に厳しく対面したり、哲学的であったり、時を超越した普遍性の強い作品を生み出したりしていきます。 モーツァルトはご存知のように生涯にわたり膨大な作品(しかもあらゆるジャンルに於いて)を残し、それらのほぼ全てが一貫してメロディアス(旋律的・歌謡的で親しみ易く)で、勿論、きちんとアカデミックな音楽形式に則り、ある時は当時の流行をいち早く取り入れたりもしている。そして、何よりも凄いのは音楽表現の全てがあえて明るい曲想(全作品の殆どが長調)にサラリと込められており、各楽器の特性や表現能力を最大限に生かした曲を泉の如く湧き出るように書いた作曲家を彼の他には誰一人知りません。 そして、彼の音楽を聴いていると音楽を超越したところで、この世に生まれた幸せ・喜び・苦しみ・辛さ・悲しみ・はかなさ・そして希望や美しさ・・・そういった様々なものを感じます。洋の東西・古今を問わず全人的な規模で、です。そう、まさに普遍的という言葉を使うとしたらここでしょうか・・・ さて、音楽にはそれぞれ作曲家が生涯を通じて追い求めた芸術性やスタイル(時期ごとに)というものが通常はあります。 ご質問者さんの「純粋な希望の光」というものがどういった観点なのかは今ひとつ理解出来ませんが、例えば、モーツァルトの師であるハイドンはあえて純器楽的な音楽に一貫して自身のスタイルを生涯守り、作曲し続けました。お分かりでしょうか?これはとても凄いことです。かのモーツァルトもベートーヴェンも彼から見れば俗人?でしょうね。笑 また、ベートーヴェンの生涯はよく三期に分けられますが、なかでも中期に分類される俗に「傑作の森」には幸福感に満ちたメロディアスな作品が集中していますよね。しかし、それもやがて深く厳しい精神性・哲学的な後期群に突入していきます。 例えば近代。新ウィーン学派のシェーンベルク、ベルク、ウェーベルンといった人達の作品は無調・無旋律が主ですが曲の構成やバランスは見事で素晴らしく、古典やロマン派とはまた違った観点で音楽史に重要な足跡を残しています。やはりそこにも普遍性を感じます。 また、ストラヴィンスキーほど当時としては強烈なリズム・色彩・斬新性は感じないけれど、しかし、プロコフィエフの作品は彼が紛れもなく真の天才であるのに異論は無いし、特に各ソナタ・協奏曲・交響曲の緩徐楽章の美しさは比類のないところ。ショスタコーヴィッチも当時の体制下で作曲表現の規制を余儀なくはされましたが、やはり革新的でありかつ崇高な美しさも随所に秘めています。 生涯に渡り親しみ易く旋律的で美しいメロディーを多用した作曲家を単純にモーツァルトと比べる?のか、或いは別の視点・観点から音楽をもっと多角的に捉え追究し、結果的にかの大作曲家と比較するのか、そのあたりは難しく甲乙つけ難いものがあります。
お礼
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- PAPATIN329
- ベストアンサー率33% (109/322)
こんばんは。 >モーツアルトに匹敵する作曲家は他に誰がいるでしょうか? いますよ。 ●ベートーベンです。 「高音のひろがり感、きらめきが深く、美しい曲調」 「作曲時の視点が人間界を超越している」 「旋律が親しみ易く、明るい」 「曲の構成のバランスが取れている」 二番目の項目は抽象的で捉え方が色々あると思いますが、他の項目は他の作曲家でも表現されていると思います。 私は、古典期は ・ハイドン、モーツアルトがスタンダードを造り ・ベートーベンがそれを展開した。(殻を破った)と考えています。 モーツアルトはそんなに突飛なことはしていませんし(私生活は知りませんが) 曲もビバルディほどではないにしても似た曲が多いと感じています。 ベートーベンは、 ・第一楽章にアダージョを持ってきたり ・楽章間をつなげたり ・この頃ですでに標題音楽的な構成を用いたり(ビバルディ四季がありますが) ・交響曲に肉声を用いたり (モーツアルトもやっていたらごめんなさい、全部知っているわけではないので) と、既成概念を打ち破ることをやっています。 で、田園などは、こんなに厳しい人が、こんなにやさしさと力強さを現したものを構成したのかと、信じられないくらいです。 ですから、私の評価では、 ●ベートーベンがモーツアルトに匹敵すると言うよりその上をいくのです。 ちなみに私は、 大作曲家と言うのは我々から見ると皆さん天才ですが、さらにその中から天才を選べと言われたら それはシューベルトではないかと思います。 -----以上
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- jupitan
- ベストアンサー率36% (227/616)
>モーツアルトに匹敵する作曲家は他に誰がいるでしょうか? おそらく(私が今迄聴いた中では・・・そしてこれからも・・・)いないでしょうね。 ご質問者さんの彼に対する賛歌は十分すぎるほど伝わってきます。 確かに、天上の音楽、神が人間の手を借りて書かせた、等々昔から枚挙に暇がない程です。 ただ、そんなモーツァルトでも偉大な父、レオポルドやまた彼の友人でもあった恩師ハイドンの存在を抜きには考えられないでしょう。 あと、モーツァルトの音楽は実は結構、人間のドロドロしたもの(人間らしさ)を表現していて(全作品を聴くと分かります)、いびつだったり、俗っぽいところもあります。 その意味から、シューベルトの音楽の方がより純粋で天上に近い音楽だと思われます。
お礼
回答ありがとうございました。 皆さまへの回答を通じて、自分が感じたこと等を、No1,の回答者の方への「補足」欄と、No.5の回答者の方への「補足」と「お礼」欄に、まとめて記させて頂きました。折あれば、そちらをご一読いただけると幸いです。
補足
皆さま、回答下さり、ありがとうございます。 記入頂いた内容を読み、音楽は聴く人の好みの傾向、その時々の気持による受け留め方によって、様々な印象となりそれぞれの人の心に届いているというのはやはり真実なのだ、と改めて実感しています。 さて、補足をさせて頂きます。 自分が探している条件を満たす作曲家をより明確に形容するために、 「クラシック音楽を普段、全く聴かず、何ら予備知識がない不特定多数の人々がたまたま耳にした時、何らか心地好く感じ、親しみ易い印象を与える曲調が生涯の作品の殆どを占めている」 「ジャンルとしてはクラシック以外の分類として認識されている作曲家でも、クラシック楽曲と同等かそれ以上の完成度、重厚感、普遍性を持っているのであれば、それらも含む」 「人類にとって普遍的なテーマを、誰もが簡単に取っ付ける分かり易い表現だけで作曲することを実現出来ている」 「過去の作曲家のみでなく、20世紀、21世紀の作曲家も含む」 という説明も加えるべきだった、と気がつきましたので、この四つの条件を追加させて頂きます。 今回、これを皆さんにおたずねしてみている理由として、実は、モーツアルトを賛美したいから、という目的は全くありません。私自身、彼が自分にとって最も好きな作曲家という訳ではないのです。 あくまで、自分の研究のひとつのリサーチとして、自分が探している傾向の作曲家で、他にどんな人々が居るのか、そして、その情報を頂いた上で、自分自身が実際に聴いてみて、どの作曲家を、その様に感じるのか、を知りたいという目的で、今回、おたずねしています。
お礼
(「お礼」からの続き)◆一方、私は「音楽のこの世での役割」は、”ままならない事が多く、矛盾と理不尽に満ち満ちた世の中で、「自分自身の生を愛し、(特に、自分と異なる価値観、視点を持った)存在を愛情深い眼差しで見つめていられる前提となる”素直な心の状態の維持”」の大切さを想起し、人間が自分自身の力で)心を浄化するキッカケとなること であり、又、そうであって欲しい、と考えています。 モーツアルトの曲は、確かに、(聴き方によっては)どの曲を聴いても、同じ様な曲調に聴こえ、劇的な変化は少なく、使われている様式の数も、大きく見れば、多くはないと思います。 作曲技法、奏法など技術的な側面で語ると、もっと他に工夫を凝らせている作曲家が居るでしょう。 子供の頃は、彼の音楽を魂で感じ取ることが出来ず、まるで金太郎飴状態の音楽だ、と思い、強制的に課題として弾かされていた感覚が強く、モーツアルトは好きではない、と思い込んでいました。 しかし、大人になり、クラシック音楽の世界から飛び出し、米国のショービジネス音楽、中南米やヨーロッパ、アフリカ、中東のあらゆるワールドミュージックやジャズなど、色々なタイプの音楽を経験した末、今になって、”自分が興味が湧く作曲家(または、音楽家)はどんなことを成し遂げた人だろう?”と考えるに至った時、「全人類にとって、最重要である普遍の感情(境地)を、どんな人にとっても何らかの好感が持たれる”容易な音楽表現”によって伝えることが出来ている人物」となる、と気が付き、あらゆる音楽ジャンルで自分なりに探究した結果、自分にとってはモーツアルトしかそれに当て嵌まらない、と実感したのでした。 しかしながら、現代人として、今の時代の何処かに彼に匹敵する程の作曲家が、(ジャンルはクラシックに限らず、)存在していないものか、という強い希望があり、加えて、自分自身が知らない作曲家で、”分かり易い曲調で哲学的テーマを実現出来ている人が居ないものか”、という事も知りたく、この様な質問を広く皆さまに投げ掛けさせて頂いた訳です。
補足
皆さま、回答をありがとうございました。No.1~No.5まで、様々な方々が下さった回答を拝読し、自分では、以下の様に感じました。 (1)”聴き手の好み”によって、それぞれの作曲家(音楽家)への「印象」や「評価」が、著しく異なる (=「天才」と呼びたい条件が、人によって、異なる) (2) (1)には、「音楽」を聴いた時に、「受け取りたい"感情”」や「なりたい"気分”」が、人それぞれであること、そして、「生涯における"音楽体験”」、「それに伴って認識している知識・情報の方向や範囲」や「その折々の、境遇や心理状態」が、個人個人で全く違うこと等が、影響している (3)私自身にとっての”作曲家として、最高の仕事”を生涯でやり遂げた人物像は、 「芸術音楽」としての社会的役割を、”全人類”に向けて果たすことが出来ている人物(=「究極の"慈悲の精神」を、音楽を通じて、(特に、音楽に全く興味がなく、音楽予備知識も何らない人々に対してまでも、)漠然と、しかし、明確に伝えることが出来ている。普段、音楽を聴く習慣がない人々が、敷居の高さを感じず気軽に聴け、しかも、哲学的次元の精神性を伝えている。) ■さて、既に前述しました通り、モーツアルトは私にとって、最も好きな作曲家ではありません。 好きな作曲家と言えば、自分にとっては、 ■ショパン(ピアノ音楽技法を限りなくパーフェクトに近い次元まで完成させた彼の曲は、弾く者に身体と心が繋がる心地好さ、ピアノという楽器と一体になる悦びを感じさせてくれます。また、ポーランド民謡のリズムが大好きだから、それを垢抜けた使い方で多様している点も個人的に◎) ■シューベルト(天上の世界と繋がっていた意識状態で作曲していた彼の”超越した心理状態”を感じます。私は聴いていて、気持が浄化されます。誰が聴いてもすぐに取っ付ける曲ばかりではないのが、広く一般的な人々に頻繁に好まれるまでに至らない要因になっているのを感じ、とても残念です。彼がさり気なく多用しているハンガリー・オーストリア国境地帯の民俗音楽のリズム、アクセントの付け方、ハーモニーの在り方も大好きです。) ■チャイコフスキー(オーケストレーションの仕方、スコアの書き方、個々の楽器の用い方・活かし方の工夫の方向が、自分の好みと合っています。また、民俗音楽要素が出ていて、特有のリズムが用いられている点も、特に好きです。) ■アントニオ・カルロス・ジョビン(クラシック音楽要素をベースにポピュラー音楽として、芸術性の高いヴォーカル曲を残した功績と努力に、同じ現代人として"勇気”を感じます。聴いていて心地好いリズム、上品な作風、リズムとメロディー・ハーモニーと歌詩の完璧な密着性が五感に気持良いです。) ■コール・ポーター(20世紀前半の米国文化と米国英語ならではのニュアンスで選ばれた言葉の在り方、作詩と作曲を同じ人物が創り上げている状態でしか実現し得ない、「言語と音楽の一致度」が、好きです。この点においては、トム・ジョビンとヴィニシウス・ヂ・モラーエスがの作詩作曲コンビが残した数々の最高傑作と同等か、それ以上の「一体感」を実現できているという意味で、英語圏のヴォーカル音楽作曲家としては唯一無二の存在だと私は感じています。) など等です。(「お礼」へ続く)