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国語力のない博士の院生への助言にあたり…
博士課程において、留年期間や休学期間がかさんでいる友人、先輩後輩から相談を受けているという方にお伺いします。特に、「投稿論文に落ち続ける」「口頭発表で議論が膨らまない」「研究上の指摘をすると言い争いになったり、はぐらかされたりなど、議論にならない」という人が周囲にいる方です。 こういう方というのは、研究者として適性がない、その適性のなさは理解力や表現力といった国語力が欠如していることにつながるというご指摘を、以前、この場でいただきました。私は、研究者として適正なしと見放されていく人を数人見ています。また、後輩に抜かれつつも、鹿島茂先生や東郷雄二先生の論文作成のための読本を片手に、四苦八苦している人も見ています。 こういう方々というのは、自分の思っていることを正確な言葉で言い表したり、書き表すことができないのでは?ということに、最近思い当たりました。そこで、質問(というより、確認的なこと?)です。国語力の欠如が生む不都合とその克服に向けた対応を次のように考えてみました。アドバイスをする都合上、自分で自覚したいので、あえてくどく言い表してみました。以下のように考えることにずれがないでしょうか。それとも、それはちょっとちがうと言うところはありますか。 「言葉の理解力がないとどうなるか」 文章理解が不正確なため、著者の主旨を正確につかめない。だから、先行研究調査で既知の事実と未知の事柄とを自分の中で区別がつけられないし、資料分析でも的外れになったり無理な解釈になってしまう。また、そもそも、研究上の問いを立てるのに必要な疑問が出て来ない。以上のことから、研究として不成立であると評される状況が延々と続く。 「言葉の表現力がないとどうなるか」 理解力と密接に関わっている。その場その場に応じて、自分が使うべき言葉と実際に表現される言葉を取り違えてしまう。よって、書く文章や話す言葉が、相手に違和感をもたらす。 「理解力、表現力をつける・補強するための対応」 研究と同時並行で、日常生活でも言葉を正確に使うように心がける。 まず、家族や親しい人に対し、曖昧な言葉を使わずに意思表示を明確にする。次に、やや距離のある人との間でなされる用件の授受を、意識的に正確にするよう心がける。総じて、「相手に察してほしい」「自分の言うことはすべて納得してもらえているはず」という思い込みを捨ててもらう。そうすれば、言葉や文章の意味に無自覚な自分を認識でき、本の読み方、文章の書き方が少しずつ変わってくる。 アドバイスをする側になる方からのお考えやご指摘を願えないでしょうか。また、勝手なお願いながら、上記のような人は適性がないのでアドバイスは無駄・無理だというお考えの方、質問の主旨が分からないという方は、何も書き込まずに、スルーしていただけないでしょうか。
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- kirin_beer
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貴方が何を質問したいのか、よく分からないので、私も国語力が無いのかもしれませんが、私の少ない経験から言うと、研究が進まない人の多くは「How?」という答えは答えられるのに「Why?」という問いには答えられない人が多い気がします。つまり、ゼミやミーティングで討論するとき、常に「なぜその手法をとったの?」「なぜその考察を導き出したの?」と聞くようにしています。それを答えさせる事によって鍛えられると思うからです。ただ、やっぱりどうしても「Why」を考えるのが苦手な人もいるようです。そういう人は、厳し言い方ですが、研究適正が無いんだと思います。