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「愛情」と「友情」の重さと深さって・・・

「愛情」と「友情」ってまったく別もののようでもあり、また似たもののようでもあり・・・でも、同じ「情」ですよね。 「愛情」を育んで、その後、結婚となれば同居して(しない人もいますが)、常に寝起きを共にする仲になりますよね。 ま、家庭を作るっていう意味で。 でも、「友情」を深めて、親友同士がひとつ屋根の下に暮らすっていう状況は、あまり耳にしません。 ルームメイトで、一つの部屋をシェアするってことはありますけど、あれって「友情」とはズレてるような気がします。 「愛情」と「友情」、どちらが重いかなんて測れないと思いますが、上に書いたように、「愛し合う者同士は、常時一緒に暮らす」、逆に「友と呼べる人とは、それなりの現実的な距離を置いて付き合う(うまい言い回しがこれしか思い浮かびません。ニュアンスがちょっと違うかも・・・(-_-;))」というのが、常識のようになっています。 「友達(親友)」は、ペアでなく複数人いることがあるっていうのも基因しているのかも知れませんが。 ま、結婚とは形式であって、子孫を残すためにも大事なことですが、「夫」または「妻」を差し置いて、「友」と毎日昼夜を共にする、つまり一緒に暮らすなんてこと、僕は聞いたことがありません。 なんか、不思議じゃないですか? 「親友」で分かりあえれば、ずっとそばにいたいと思う人がいてもおかしくないのに・・・。 どうしてなんでしょう? 言いたいことがうまく伝わらない稚拙な文章かもしれませんが、みなさんはどう思いますか? 「愛情」の方が、この社会にとって大事なんでしょうか? 僕の見ている世界が狭いだけで、実際は色んな例がたくさんあるんでしょうか?

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  • dell_OK
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回答No.4

どうしてだろうね。 不思議だね。 うーん。 仲のいい友達の家に常時寝泊りしているって話なら聞いた事はある。 自宅には帰らないのね。 一緒に生活していると言えるかどうかわからないけど、そんなのもある。 私たちが知らないだけで、実際は色んな例がほどほどにあると思う。 愛人と友人では、一緒にいたいと言う度合いや方向が、ちょっと違うんだろうなあ。 愛人から友人、友人から愛人、と関係が変わった人たちにも、一緒に生活している人はいると思う。

hiro1yuki
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 やっぱり、僕が知らないだけで、色んな生活のパターンがあるんでしょうね。 自分の考え方が、あまりにも凡人過ぎるのかも(^^ゞ 「恋人」と「友人」では、同じ時間を共有したいという度合いが違う・・・そうかも知れませんね。 「友人」には、自分以外の「友人」もいる訳ですから・・・。 みなさんの回答を読んで、はっきりと疑問が解決した訳ではありませんが、何となく色分けが付いてきたような気はします(^^)

その他の回答 (3)

noname#88230
noname#88230
回答No.3

言葉の定義自体があやふやなので、上手く説明できないのですが。 目的意識の問題はあると思います。 愛情が異性間の恋愛→夫婦関係に結び付くとすれば、 子供を作り、育てる、家建てる・・・という目的があります。 友情を同性間のものとして、 一緒に、甲子園行こうぜ→準決勝敗退の後は、 懐かしい思い出を語り合おう位しか目的が残りません。 もし、会社にいて、大きなプロジェクトをやっていたら、 家にも帰らず、仕事に打ち込む人もいます。 戦争中では、もっと大きな目的が与えられています(正しいとは言いませんが) なので、生死をともにする戦友の友情は愛情以上の結びつきであったりもします。 終戦後は、思い出の共有だけが目的ですので、 みんな家庭を持って、夫婦愛を優先します。 こんな感じだと思われますが如何でしょうか? 今は、平和で良かった。という事で、失礼しました。

hiro1yuki
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 僕も、「恋愛~結婚~出産~子育て~そして子孫を残していく」っていうことは生き物にとって重要(この流れは人間についてですが)で、それが「家庭を作る」つまり「同居する」ことにつながるのは分かります。 抱えきれないほどの仕事があって、会社に寝泊まりして、常に同じ同僚と一緒にいるってことは、ま、その期間は一緒に暮らしているのと同じようなものですかね。 確かに、家族といるより、一般的に言って、会社の仲間と過ごす時間の方が長いという人が圧倒的に多いと思います。 credenzaさんの言うように、何か同じ目的をもつ者が集まって、目標を果たし終わったら(または、その期間が終了したら)それぞれ自分の道を歩いて行き、たまに会って過去の思い出話をするというのも広い意味で「友人」に違いありません。 でも、何にもないけど『ただ何となく気が合う』とか『波長が同じで近くにいると楽だ』という「友人」もいますよね。 そういう「友人」同士って、結婚した「恋人」同士と似たものがあるんじゃないか、だったら、どうして一緒に暮らしたりしないのかなぁという素朴な(?)疑問だったんです。 戦時中は、無理矢理集められた男たちが生活を共にして、そこから連帯感が生まれ絆が深まることがあったんですよね。 人間の営みの中でのシステムの影響も少なからずあるんでしょうね。 credenzaさんの言う通り、今の日本が平和で良かったです(^^)゛

  • tomban
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回答No.2

うーん、つまりは「情」だからじゃないの?。 愛情、友情…情とつく言葉もいろいろとあるけど、情というのは「何かのきっかけ」としてのもの。 愛情と呼べるものがあるから、恋愛などもあって、結婚という事態に行き着くこともある。 友情というものがあるから、例え「あやふや」な事柄であっても、相手を信じて行動できる。 「情」というのは「きっかけ」というか「発動条件」みたいなものだと思う。 親友という情愛深い間柄でも、それが「同居」のきっかけとして必要なものかどうかはわからない。 逆に離れているからこそ、相手を思いやることをエネルギーにして頑張れるということもある。 友情も愛情も、あまり変わらないんだよ。 「情」…「なさけ」というのは、深ければ「自分を見失う」という可能性も持ってる。 これが元での「破局」なんて、日常的にゴロゴロしてるんだ。 人間は色々な感情を、バランスをとりながら使い分けして毎日を暮らしている。 あなたもそうやって暮らしているはず。 「これこそが!」と追求することは、情が深いのと同じで、自分の目を曇らせるよ。 バランスが大事なんだ。

hiro1yuki
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 バランスですか・・・。 僕は、tombanさんが言うような、何かあると目の前のものしか見えなくなるタイプですから、広い視野を持つことが必要ですね(^^ゞ 「情」のない人間にはなりたくありませんが、「情」に流されっ放しで、自分の意見を持てない人間にもなりたくないです。 「情」はきっかけ・・・頷けます。 同居するかどうかは関係なく、相手を信頼できるかどうか、その中で自分を保てるかどうか、それが重要なんですよね、きっと(^^)

  • sentber
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回答No.1

勝手に友達と思って利用するやつもいますから、一概に言えません。 食わしてやっても、お礼を言わない人も居ますから。 利用されるので、家族を持てない人も居ますから。

hiro1yuki
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 う~ん、複雑ですね(-_-;) ま、元来が人間関係って絡み合っていますから・・・。 「家族」、「恋人」、「友人」の定義って、人によって考え方も違うし、当の本人でないと腹の中の真意は分かりませんからね(ーー゛) 貴重なご意見、ありがとうございました<(_ _)>

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