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尼崎付近の廃止線について?
お世話様です。以前兵庫県尼崎付近に、「尼崎」「金楽寺」「尼崎港」といった、駅名の路線があったように記憶していますが、今現在地図を見ても、探すことが出来ません、。おそらく廃止されたのでしょうが、廃止の経緯や現在の廃線跡というのは、いったいどうなっているのでしょうか?お分かりになる方ご教示下さい。
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この廃止路線は塚口と尼崎港を結ぶ福知山線の支線で、尼崎港線という通称で呼ばれていました。 晩年は旅客列車は1日にわずか2往復で他は貨物列車というほとんど貨物支線のような扱いでしたが、歴史を遡ると、この支線は福知山線の最初の区間であったりするのです。 1891年(明治24年)9月に、 川辺馬車鉄道が尼崎(後の尼崎港)-伊丹間を開通させたのがこの福知山線の発祥で、その後2度の買収を経て阪鶴鉄道となった後には東舞鶴行きような長距離列車が尼崎を発着するようになります。 その後、東海道線に乗り入れる部分に神崎駅(現在の尼崎駅)が開業すると、福知山線の列車の主体は大阪に乗り入れが行える神崎経由のほうが主体になっていき、尼崎(尼崎港)発着の列車は減少していきます。 昭和24年に神崎駅が尼崎駅と改称するのと同時に旧尼崎駅は尼崎港駅と名前を変えますが、この時代でもまだ尼崎港発着の篠山口行きや三田行きといった本線の列車が残っていました。 しかし、その後は尼崎港発着の列車は川西池田までとなり本数も2往復に減少、さらには塚口-尼崎港という支線内での運行に短縮されます。 末期には殆ど貨物支線状態であったために、1981年(昭和56年)4月の塚口-宝塚間電化の際に旅客列車が廃止されて貨物支線となり、その3年後1984年(昭和59年)2月の貨物列車大減量ダイヤ改正で塚口-尼崎港が廃止されて93年にわたる歴史に終止符を打ったのです。 廃線跡訪問記 http://www.geocities.co.jp/SilkRoad/5193/amagasakikou.html 晩年の尼崎港線 http://ycp.jp/ama.files/amako01.htm 実はこの尼崎港線に乗ったことがあるのですが、尼崎港線の尼崎駅というのは、東海道線の尼崎駅の改札を出て線路沿いに西宮方向に行った先の築堤上に寂れたホームがあるだけで、とても駅があるとは思えないような雰囲気でした。 廃止直線は多くの鉄道ファンが訪れていましたが、私が行った時はこの支線自体が殆ど知られてない状態でしたので、当然のことながら?他のお客はゼロ。 早く着き過ぎて時間が余ったため、東海道線をまたぐ支線の橋の上を渡って往復して暇潰ししたのはヒミツですw
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- suiton
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もうほとんど跡形がありませんが、空き地なっていたり道路になっている箇所もあり、丹念に歩くと面影を感じることができますよ。 http://tiara-y.hp.infoseek.co.jp/tr/photo/amafuku/index.html
お礼
了解です。ありがとうございました。
- born1960
- ベストアンサー率27% (1223/4397)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%87%91%E6%A5%BD%E5%AF%BA%E9%A7%85 金楽寺駅についてはこうかかれてありました。 私もこの付近をよく知っていますが、今はすっかり住宅地に変わりましたよ。
お礼
了解です。ありがとうございました。
お礼
了解です。詳細なレポートありがとうございました。