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想い出は美化されるのでしょうか?

昨年、私は高校を卒業したのですが 今はなぜか嫌で仕方なかった高校生活が 「そこそこ楽しかったかも」と思えたりします。 ほんと、高校時代は一刻も早く卒業したくて仕方ありませんでした。 他には、二度と食べたくないと思った小・中学校時代の給食を 今はなぜか久しぶりに食べたいなと思ったりします。 楽しいことはもちろん、辛いことも時の流れは美しく洗い流すのでしょうか。 それとも、ただ単に記憶があいまいになっているのでしょうか。

みんなの回答

  • ye11ow
  • ベストアンサー率40% (230/564)
回答No.6

もしタイムマシンがあって、当時に戻ることができたら、 高校での毎日の生活は、やはり苦痛なものであり、 まずい給食は、やはりまずく感じるのではないでしょうか? 当時と、現在の快・不快の認識が異なるのは、 「過ぎ去った苦痛は、今現在の苦痛ではない」ということが、 まずあると思います。 人前で「洗面器の水に3分間顔をつける」という挑戦をしてみれば、 3分の間は死ぬほど苦しいかもしれませんが、 3分の目標を達成し、顔を上げた瞬間、苦しさが吹き飛んでしまうものでしょう。 もしかすると、あまり感情を伴わない苦痛のほうが、記憶として残りにくいのかもしれません。 また、ある過去の出来事について、現在どのような評価を持つかということは、 体験が完了した時点から、現在に至るまでの間に、 頭の中で行われた再評価の作業にも、よるものだと思います。 例えば、卒業という目的を叶えるために、 仕方なく苦痛な手段を用いたのであれば、 後に強く印象に残るのは、卒業という目的達成の事実のほうのはずです。 手段として仕方なく味わった苦痛のことは、あまり振り返りません。 上の「洗面器の例」でも、これが言えそうですね。 不要な部分を捨て、自分に必要な部分に着目することで、 記憶は、体験が完了した後も、再構成され、変容していくことが十分に考えられます。 「記憶に対する感情」という主観的で曖昧なものに関しては、特にそれがいえるでしょう。 また、「自分の過去を美化したい」という、ある程度意図的な欲求も、 記憶として残る内容に少なからず影響していると思います。 これは、人間が生きていく上で、精神衛生上必要なことです。

  • TYWalker
  • ベストアンサー率42% (281/661)
回答No.5

思い出は美化されるか、という質問については、美化されると思います。 心理学では記憶の変容というのですが、短期的には悪いことが、長期的にはいいことが印象に残るように脳はできているようです。 たとえばデートに行くときに長く待たされて、数時間過ごしたとすると、その時は相手が来るまでの数分間は何時間にも感じられ、一緒にすごす時間は一瞬に過ぎたように思います(不安な時間が引き延ばされ、楽しい時間が短縮される)。 しかし帰宅してからデートのことを思い出すと、相手が来るまでの時間のことは数秒のように感じられ、一緒に過ごした時間のことは1秒1秒が鮮明に蘇ってすごく長い時間のように感じられます。 短期的には不幸が強く印象づけられないと、手当てが遅くなるのでまずいですね。 でも長期的には幸福が強く印象付けられないと、人生がどんどん暗くなっていくのでこれもまずいです。 だから脳が調整してくれているんですね。 よく老人が戦争中のことを楽しそうに語ったり、ギャンブラーが負けたときのことを忘れ、勝ったときのことばかりを思い出して、平均すると負け越していることは分かりきっているのに何度もギャンブル場に行くのはこの作用のせいです。 でも、よかったことを思い出している、その思い出の1つ1つは真実だと思います。 もしよかったことが1つもなかったら(デートの例だと相手が結局来なかったなど)思い出すことさえないです。 思い出すいいことがあったあなたは幸福だと思いますよ。

noname#81568
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 なるほど、幸・不幸と記憶の浸透度は興味深いです。 よくない想い出と認識しているようでも 思い出す次元での事であるのならば それは実はマイナスの過去でなはくて 美化できうる次元での対象=プラスなのかもしれませんね。 しかし、単純化すると人は基本的に楽天的なんでしょうか。

  • mimi--ko
  • ベストアンサー率29% (386/1308)
回答No.4

ちょっと違った例かもしれませんが、私は、旅行している時より、旅行から帰って旅行を振り返った時の方が楽しいです。 旅行している時は、時間や、段取りや、色々気にしなくてはならないことが多く、楽しむことに集中できないからかもしれません。 質問者様の高校生活も、似たようなところがなかったですか? 食べ物に関しても、私は納豆があまり好きではないのですが、2週間程のヨーロッパ旅行も終盤に差し掛かった頃、無性に納豆が食べたくなったことを覚えています。 帰国後、納豆ご飯や、納豆巻きだとかをガツガツ食べましたが、ほとぼりが冷めると、また食べなくなりました。 不思議ですね。 納豆は、私にとっては、日本、の象徴だったのかもしれません。 郷愁だったのかもしれません。 質問者様にとっても、給食は、郷愁なのではありませんか? 「ふるさとは、遠きにありて、思うもの」 とでも言うところでしょうか? 的外れな回答だったらごめんなさい。 でも、少しでもお役に立てれば幸いです。

noname#81568
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 確かにあとあと冷静に振り返ると 経験した出来事が鮮明に思い出される事がありますね。 苦楽の引き算で楽しいことトータルでプラスなんでしょうか。 ただ、私の高校生活はトータルでマイナスでした・・・。 公立トップ校に入れなかった自分自身の後悔といいますか 大学入試で挽回したけど高校入試がトラウマになってました。 第一志望校でないゆえ高校生活に勝手に幻滅して 自分自身で今の高校生活は「仮の姿」と考えていました。 給食と少し郷愁はリンクするとおもいました。 慣れてるものから離れてしまうと 嫌なものであっても気になるのが人情というのでしょうか。

noname#140045
noname#140045
回答No.3

自分がポジティブかネガティブかによっても違ってきます。 ポジティブな人は、美化することでさらにポジティブになれます。 ネガティブな人は、辛い人生を運命と信じて、不幸な現状を容認します。

noname#81568
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 どちらかというと私はネガティブなほうですが 今の現状を容認しません、容認しないゆえのネガティブです。 こんなはずじゃない自分を変えたい希望を持ちつつ 現状に停滞する自分も肯定したい相反する感情が存在します。 ただ、運命は自分で切り開く大前提は念頭にあり そのための努力は惜しまず実践しています。

  • jimmy35
  • ベストアンサー率26% (468/1774)
回答No.2

人に「不満のない人生の瞬間」はあり得ません。例え金持ちで何不自由なく過ごせていても、何不自由ない事が不満の原因になり得ることだってありますからね。もっともその力も明日に自分を良くしていこうとする力になり得もしますから人は難しいとも言えますね。 で、あれば、その瞬間瞬間に足りない何かが過去にあれば、少々つらい思い出が含まれていても美化してしまうものではないでしょうか?例えそれが数年前のあまり過去と言いづらい時期のものであっても、最近は人が時間を早く考える傾向にありますから、しっかりと思い出になってしまう事はあると思いますね。それもアナクロニズムの一種と言えますが、人に影響させない限り取り立てて悪いものでもないようには思います。 おそらく、あなたの周囲の環境が高校卒業とともに変わってしまったので、今のあなたに足りない何かが高校生活の中に含まれているのだと思います。 食の場合は確かに成長すれば嗜好は変わります。子供時代は成長したいという本能からどうしても炭水化物系(でんぷん・糖分・タンパク質)に走ってしまいがちですが、大人になると成長せずに太りになってしまうので理性・本能とも食事バランスを考えるようになってきがちにはなろうかと思います。(但し、その人の気持と言う意味での時間的な余裕がないと、日本は即席に走れる環境下にありますから、乱れたままの方も多く出る可能性は大でしょうね) これがあなたが体力が落ちてきだすともっとそう思うようになりますよ(実際40代の自分がそうですから)

noname#81568
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 人の欲望は無尽蔵といわれますが なるほど、何かしらの不満が過去にあれば それが美化の対象になりえるとおもいます。 良い思い出はそもそも美化でもなく 良くない思い出ゆえの美化なんでしょうか。 今の自分に足りないものを探す中で 高校時代や中学時代を振り返り 今を生きる上でのヒントを模索しているの確かにはあるのかもしれません。

noname#83348
noname#83348
回答No.1

>想い出は美化されるのでしょうか? 老化現象と言います。 つまり都合の良い事しか思い出せない。

noname#81568
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 老化なんでしょうか・・・。 たしかに一分一秒と生物は老化しているわけですが 想い出の美化=すなわち老化と考えるのもどうかと。

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