世の中の大多数の人は、「愛すべき価値にあるモノに愛する」ものです。
無償の愛がどういう愛か解りませんが、
大多数の人間はもともと駄目な存在なので、愛すべき価値あるように愛されないと育ちません。
さらに、愛すべき価値があるように育てようとしても子供はそれを拒否します。
また、愛すべき価値があるように育てようとしても、やり方が間違って、愛すべき価値の存在にならない時があります。
愛するというのは、愛する人が○○という行動することが良いことだと思っています。
つまり、受ける側ではなく、与える側のもろもろで決まる訳です。
それが時としてストーカーみたいな受ける側にとっては苦痛・恐怖のように感じます。
逆に言えば、愛を与え貰っているのに、愛を受ける側は、自分の言い分を聞いてくれることだけが愛と思い込んで、相手の愛を愛と見なさず、愛に飢えることがあります。
以上のことを踏まえると、愛をされたいのなら、愛されるべき価値になり、良い愛を感じ取れるようになることです。
生きる意味とは、生きる価値であり、価値とは自ずから生ずる感覚です。言うまでもないですよね。愛と一緒です。
人間には、頭と心と欲望と体があります。連携はしていますが、同じものではありません。
頭=心ではないです。
生きる意味や希望というのは、心の部分です。
ですので、心が生きることを望まなくても、欲望と体は生きることを望み、食欲、睡眠欲、性欲、自己中心的快感追求欲などがあります。頭と心が壊れた時、制御能力が低下した時にもしくは欲望が強くなった時、欲望が発動します。
それで生存していけるのが人間です。(生存が許される限りですが)
まあ、それでは虚しいので、人は、心を満たそうとします。心を満たすためにはまず、欲望を抑え、頭が心を否定することを辞めなければいけません。心がまっすぐに明るくがんばるという気持ちを応援しなければなりません。それ以上は信じる域を出ない理論になるので自分でお探しください。
以上、個人的意見です。
お礼
ありがとうございました。感謝します。