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結婚せい活

結婚せい活で相手に合わせて(逆もまた叱り)争いを少なくする、と、結局はこの繰り返しだと思うんですが。いつかどちらかに先立たれたときそのような努力自体はあたかも無意味だったかのごとく感じられるんでしょう。結婚ではやはり最初のフィーリング、自然に合うというのが大事だという考えにはどう答えますか?

みんなの回答

noname#5318
noname#5318
回答No.2

こんばんは! やはりフィ-リングが合う、この人とと一生一緒にいたいって気持ちで、 結婚するのでしょうね。 それが大事かどうかは分かりませんが・・・ 多分その時の結婚のイメ-ジはハ-トマ-クのし・あ・わ・せ!しかないはず。 その時は先が見えませんから、その気持ちを信じるしかないのかも知れません。 しかし結婚生活、相手に合わせたり合わしてもらったり争いを少なくする繰り返しだと。 これは無意味なんかじゃありませんよ。 これこそが、結婚生活に意味をもたらすことだと思いますよ。 こうしながらお互いに人間として成長していくものだと思いますよ。 お互い思いやりながら助け合うことが結婚生活じゃないかと思います。 相手に合わせたりするのが無意味と思うのならば、 気ままにひとりで生きていくのが良いと思いますね。

washitakaidou
質問者

補足

お互い思いやりながら助け合うことが結婚生活じゃないかと思います これは早い話が妥協ですよね。

noname#5186
noname#5186
回答No.1

>いつかどちらかに先立たれたときそのような努力自体はあたかも無意味だったかのごとく感じられるんでしょう。 この前提条件に対しては、???ですが。 以下のように考えて答えると思います。  自然に合うという感覚が自分自身に対しては言えるけれど、相手もそう思っていると、どうして言えるのだろう。絶対に言えない。  なぜならば、相手が極力相手に自然に合わせようと考えている可能性があるからで、この真偽の程は、絶対に確認できない。  常にお互いに相手に合わせようと努力しているパートナー同士を第3者が見て、そう感じる事は出来るが、それぞれが本当にそう考えているかどうかは、絶対にわからない。  このときのお互いの考え方のパターンは4種類ある。そのうちどれかを言い当てることは出来ても言い当てた事が本当に正しいかどうかの確証はない。  また、自然にという感覚は、人それぞれなので、決して画一的に語れない。フィーリングという分野も曖昧であるる。  こうして、絶対にわからないという事をお互いに理解できるかどうかというラインが実は大切なのだと思う。  片側にこの感覚が無い場合には、この感覚が無い事に対して、あきらめる状態となり、この場合は、ほとんど理屈は通用しない。  この大前提をお互いが認識していない場合には、フィーリングや自然以前の問題であり、解決しようがない。  理屈が通用しない相手に対しては、我慢して付き合うか、我慢せずに別れるしかない。  だから最初のフィーリングや自然に合う事を正とするならば、相手もそう思わなければ成立しないので、相手がそう思っているという根拠は何なのよ、と問う。私がそう感じるからと言うならば、私さんて、とても自己中心的な方なのですね、と言います。

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