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「チェンジリング」を見られた方
昨日「チェンジリング」を見て来ました。本筋とは離れますが、ちょっと疑問に思えるシーンがあったので、ご覧になられた方教えて下さい。そのシーンとは、(はっきりとは覚えていないのですが)警察に通報か何かあって刑事が養鶏場に行く途中でオーバーヒートしているゴードン・ノースコットに会い道を尋ねるシーンです。ノースコットは説明後刑事の車の後ろに回り荷台にオイル缶のようなものを置きます。また置いてあるライフル銃に目をやりますがそのままにしました。すこし思わせぶりなシーンだったのですがその後はそれに関係するものは何もありませんでした。あの置いた物は何だったのか、また何故置いたのか、分かる方お願いします。
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ここはいろいろな意味で多くの観客が引っかかりを覚えるところです。 結論としては#1さんの説明で合っていると思います。 銃は、ライフルではなく散弾銃のように私には見えましたが。 缶には水が入っています。ノースコットがラジエターに補水するカットがその前にありましたよね。そのときに使っていた缶です。 なぜこのシーンが疑問に感じるのか。 私は最初、ノースコットはあの缶を「刑事が乗っている車の荷台」に置いたのだと思っていました。そのときに「(刑事の持ち物である)散弾銃」を発見し、ノースコットは、この道を尋ねている男が「警察官」であることに気づいた、のだと思っていました。でも、なんでノースコットは自分の缶を刑事の車の荷台に置いたんだろう?と不思議に思っていました。 実はこれはまったくの勘違いでした。 ノースコットは「自分の車の荷台」に缶を置いたのです。単に缶を片付けただけだったのですね。だからもちろん散弾銃も(#1さんの説明の通り)ノースコットの所有物です。 補足しますと、このとき刑事が乗っていたのはフォードの乗用車タイプの二人乗りの車で、荷台はありません。ノースコットの車は、(この後のシーンでも登場しますが)荷台のあるトラックタイプの車です。 私が最初に思った勘違いは、多くの観客も感じているようです。ネットでもいくつか同様の疑問を発見しました。なぜこんな風な錯覚をしてしまうのでしょう。 これは、二台の車の停車位置とノースコットの動き、カメラワーク、缶を置いたカットでの撮影レンズ(広角レンズ)、それらが総合的に作用した、映像の錯覚なのです。 もう一度見る機会があれば、ぜひご覧になってください。あのとき自分は何で勘違いしたんだろう?と不思議な気持ちになるはずです。
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- ucok
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#4欄で書いた者ですが、たしかに#5欄でご指摘の通りなのでありました。失礼いたしました。そういえば私も映画を見ながら、「この男、怪しい?」→「あとから忍び寄って、クラークと刑事を同時に殺る気?」→「ああ、なるほど、刑事が偵察している間に逃げるのね。そりゃごもっとも」と感じたのを思い出しました。 ちなみに、ユニバーサルのリンクも面白いですね。私の(またしても)記憶違いじゃなければ、くだんのシーンも、いい感じに微妙にスリムになっているんですね。
- ribisi
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#2,6ですが、#6についてちょっと自己レスで補足です。 >作り手は観客が錯覚を起こすとは思わなかったのではないか これは、オープンスペースでの人間の空間把握能力と、その場所を動画や静止画で記録したものを見たときの、人間の脳内での再現能力に差があるからだと思います。 広大な風景の場所に来たとき、これを残したいなぁと思ってデジカメで撮っても、なかなかその場所の広がりとか奥行きを再現できないのと同じです。 撮影技術が高いカメラマンが、しっかりした機材を使えば、その再現性は高まっていくでしょうが、プロの映画監督・撮影監督でも、まれにこのようなことが起こる、ということです。 それはむしろ、撮影者の問題よりも、鑑賞者の把握能力の問題だと思います。私が#2でコメントしたように、再度、意識して見れば、「あれぇ、なんで錯覚したのかなぁ?」というくらい、あっけなく、その場所の空間が把握できるようになるからです。 映画では、ストーリーを追うことでも脳を酷使していますし、所詮一度見ただけで全部をわかるなんていうことはできっこないですよね。逆にいうと見る度に発見があるということで、いい映画とは、まずは、またもう一度見てみたい、という気にさせる映画なんじゃないかな、と思っています。
- ribisi
- ベストアンサー率28% (247/864)
#2です。 >それは何故そんな錯覚を起こさせるような映像にしたかです。 私の想像では、作り手は観客が錯覚を起こすとは思わなかったのではないか、ということです。こうしたハプニングは時折起こっているのではないか、という気がします。 例えば、去年公開された日本映画『クライマーズ・ハイ』のエンディングシーンにも同様なことがありました。関係者試写の際、多くの観客が勘違いするという指摘を受けた監督は、該当するカットを差し替えて(このとき二台のカメラを同時に回していて、引いた画と、それより少し寄った画を撮影していた)、より勘違いを起こさないような編集をしたそうです。 『クライマーズ・ハイ』のケースでは素材としての画があったので対処できたのですが、『チェンジリング』ではそうはいかなかったようです。このシーンの最終カットは、やや俯瞰のショットで、画面左に刑事の車、画面右にノースコットのトラックが、どちらも鼻先をやや右に寄った上方に向けた形で、並んで停車している画になっています。ちょっと引いたこの画が位置関係を説明しているということと、質問者さんがすぐに気づいたように、両車の車両タイプが違うということは、別のシーンでもわかるようになっていること、だからこのシーンはまぁよしとしよう、と判断したんだと思います。 ここは、DVDでオーディオコメンタリーが採録されれば、監督が何か言うかもしれませんね。 それと補足として、このシーンの意図ですが。 #4さんの >次にノースコットが登場するのは、警察の廊下で待つクラークのフラッシュバックとしてですよね。 これはちょっと違いまして、この道路のシーン、ノースコット牧場のシーン、教会、病院と続き、ユニオン駅でノースコットがシアトル行きの片道切符を買うシーンがあります。その後、また病院のシーン(クリスティンが娼婦と会話する)という流れです。 ノースコットは、牧場に来訪者が来たということ、しかもその人物の用事は"Just looking into a juvenile matter."(未成年の件でちょっと)と言っているのでギクリとしたのでしょう。刑事とノースコットの車が同じ進行方向ということは、ノースコットは帰宅途中だったわけですが、ただちにその場を立ち去り駅に行き、着の身着のままでカナダへ逃亡していった、というわけですね。 また、ノースコットの甥の供述では、「誘拐するときは事前にそれとわかった、なぜなら車を念入りに整備していたから。途中でエンストでもして見咎められたら面倒だから」と語っていますが、このときはエンストしたお陰で刑事と鉢合わせせずにすんだわけですね。悪人の悪運ですが、それも長くは続かなかった、というわけです。 参考までに、米ユニバーサルスタジオのサイトで『チェンジリング』の最終稿が読めます。いろいろと確認するのに役立ちますし、映画ではカットされた部分について考えてみるのもおもしろいです(脚本段階ではちょっとくどかったりマニアックに凝っていたりする部分が、映画ではより柔軟かつ流暢な語り口になっているのがわかります)。
- ucok
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#1です。 なるほど、刑事の車だと思っていらしたのですね。私にはそういう発想はありませんでした。刑事の車といえば、まずセダンですし、当時のアメリカの砂漠のど真ん中で出くわす地元民の車といえば、たいていがピックアップトラック、とアメリカ映画を見慣れていると、わりと当然、思ってしまうので。 ただ、ひとつ付け加えるとしたら、ノースコットが初登場した時に、「あれ? この人、誰だろう」と私は思ったんですよね。正確に言うと「誰だっけ? 既に登場してたっけ?」と瞬時のうちに、わりと無意識に、あれこれ考えました。ものすごく有名な俳優さんというわけではないけれど、それなりに存在感がある映され方をしていたからです。そもそも、しゃべりかたも必要以上に不自然だったし、砂漠で故障車と格闘している登場人物といえば、たいていが怪しい者だと相場が決まっているので、「通行人その1」だとは到底思えませんでした。 さらに、荷台に物を置く場合、普通なら、荷台の内側まで映さなくてもいいようなものを、荷台の中身に注目させるカメラアングルになっていたので、「あれ? このシーンでは何が言いたいのかな?」と、少し注目したのです。そもそも、まだ車がエンコしたままなのに、もう道具を片付けるのかなと、なんとなく不思議に思ったので。注目したからこそ、ノースコットの手が、微妙にためらないながら銃を意識しているのが伝わりました。言われてみれば、こうした手法、すなわち、ノースコットを撮影する時のアングルや照明やセリフ回し、荷台を撮影する時のアングルや照明やタイミングや微細な手の動き、などは監督率いるクルーとキャストの力量だと思います。 効果としては、その後、だいぶ経たないと登場しないノースコットを、そこでそれなりにアピールしておくことで、あのシーン以降のサスペンス感というか怖さを盛り上げているのだと思います。特に、次にノースコットが登場するのは、警察の廊下で待つクラークのフラッシュバックとしてですよね。あんなちょびっとしか映らない夜のシーン、前もってトラックのシーンでアピールしておかないと「あの時の男だな」というのがわかりにくいと思うんです。 特に、それまでは母子にまつわる物語の周辺がまったくの謎だったというか、観客は、この母子物語にやきもきするだけで精いっぱいでしたよね。それを、「怪しい男」→「スプラッターお決まりの寂れた農場に、思わせぶりな斧」→「格となるかもしれない家出少年クラーク」→「怪しい男の返り血は誰の?」、という具合に、じわりじわりと次の展開、すなわち猟奇殺人の世界をあぶりだしているのだと思います。そして、その間、ずーっと我々観客は、「どうせ、この刑事も使えない奴なんだろうな」と思っているので、次に登場するクラークの告白シーンが余計に心に響くわけです。 前回申しましたように、史実は、遺体発見→捜査線上にノースコット→ノースコット周辺のクラークに聞き込み→ノースコット逮捕、という流れになっています。その流れをわざわざ変えたのは、そうした映画的効果が狙いだったのではないでしょうか。察しの良い観客は「怪しい男」の場面で既に、ウォルターは殺されているのかもしれない、と感じたと思います。もちろん、映画の流れは、まだまだ序ノ口だったわけですが。 ちなみに、あの銃は確かに散弾銃かもしれませんね。銃にうとい私にはライフルと散弾銃の見分けがつきませんでした。まあ、農場主が持っていそうな護身用の武器、って描写なのだと思います。
- takesuke
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「警察かーボクを捕まえにきたのかな?違うのか 今、銃持ってるし、、撃って殺しちゃおうかな。。やっぱやめとこ。さっさと逃げようっと」というシーンに見えました。 でもそう見れたのはベースになった事件の概要を先に知っていたからでしょうか。。 素直に見たら”警察に対してうしろめたいことのある人”って暗示のシーンだと思います。
お礼
ご回答ありがとうございます。 私は何の知識も先入観も無くこの映画を見たものですから、出てきたノースコットが大変な殺人鬼だとはこの時点では分からず、何かやたら思わせぶりなシーンだなと思っただけでした。
- ucok
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以下、ネタバレあり。 おっしゃるように、置いたのは単なるオイル缶(あるいはオーバーヒートなので、入っていたのは水でしょう)だと思います。そして、「缶を置くだけのふりをして、ついでに銃の位置を確認し、いつでも手を伸ばせるようにしておく」というのを描写したシーンなのだと私は解釈しました。 ノースコットの存在は、あのシーンで初めてわかります。それまでは名前すら出ていませんし、刑事はクラークを探しに行っているわけなので、観客は成人男性の登場を予期していません。だから、あそこで観客に「こいつは怪しいぞ。その銃で刑事を撃つかも」と見せて、場を盛り上げているのだと思います。さらには農場の様子からいって、オーバーヒートしていた男が戻ってきて斧を振り回しかねないのが観客になんとなく伝わるわけです。実際には、刑事が脅威とならなかったので、銃は使わず、それよりは一刻も早く逃亡したかったのでしょう。 ただ、当時の農場にライフルがあるのは当たり前としても、のちに生還した少年の回想場面で、逃げる子供たちに向けて撃たれた銃は、あの銃でしょうから、オーバーヒートの場面を伏線と見るかどうかは、観客次第だと思います。私はそうは感じませんでしたが。 ちなみに、史実では、最初に砂漠で遺体がひとつ発見され、そこから警察が辿って、クラークへ、やがてノースコットへと行きついたようです。
お礼
ご回答ありがとうございます。 確かに言われてみれば、「缶を置くだけのふりをして、ついでに銃の位置を確認し、いつでも手を伸ばせるようにしておく」という事になるのでしょうが、その置いてある車を刑事の車とNo2の方がおっしゃるように勘違いしてしまい思い至りませんでした。もっとはっきり缶を置いた車がノースコット自身の車だと分かる映像だったら、自分の銃を確認する映像に見えたと思います。監督の意図が知りたいところです。
お礼
ご回答ありがとうございます。 いまさらこんな事を言うのもなんですが、自分自身「ノースコットは説明後刑事の車の後ろに回り荷台にオイル缶のようなものを置きます。」と書いておきながら、意識の隅では何となくおかしいなと思っていました。それは刑事が農場に来た時に乗っていた車を見た時一瞬ですがアレッ、普通の乗用車で荷台が無いなと思ったからです。しかし缶を置いたのがノースコット自身の車だったとまでは思い至りませんでした。 そうなると自然に次の疑問が湧きます。それは何故そんな錯覚を起こさせるような映像にしたかです。あの映像では普通に見ればやはり刑事の車に置いたように見えます。監督の意図が知りたいところです。またもしribisiさんの、こうではないかとのご意見があれば教えて下さい。