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「お疲れ様でした」と言われると傷つきます。
僕は大学生なのですが「お疲れ様でした」とメールされたり、言われると傷つきます。だって、その言葉は他人行儀じゃないですか。だから僕は先生などに対しては使うときがありますが、基本的には使いません。大体「さようなら」「ありがとうございます」「バイバイ」「また」などを使います。実際には言い方にもよると思いますが。 特にメールの最後に「今日はお疲れ様でした」なんて来ると、真意としては「もうメールしないでくれ」って意味ですよね?すっごく傷つきます。こちらにこれ以上メールをする意志がなくても、向こうからシャットアウトされたような気がして、ああ・・・僕はそのくらいの扱いの人間なんだと思ってしまいます。これって変ですか?
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ふたたびの回答です。 圧倒的に 気にしなくても良いよという回答が多いですね。 ネットでいろいろ見ていても まわりにリサーチしても 「お疲れ様」には 質問者さんがいっているような 他人行儀なニュアンスは 少ないのです。 言葉というのは 自分が こうやって解釈したというのでは なく そうか世間はこうやって解釈して話しているのだ! と 常に 学びながら獲得していくものです。 同じ言葉が 曖昧に使われている例もたくさんあります。 例えば、 「ぜんぜん」は 芥川龍之介や夏目漱石の時代には肯定の言葉だったそうです。 それが 何十年で否定になり 十数年ほど前から 肯定に使う人が出てきて 今や 肯定でも違和感がなくなっていますね。 生きている言葉は 常にニュアンスを変えていきます。 言葉を育てるのは 日常を生きている人間です。 「お疲れさま」もまた 変わりつつある言葉でしょう。 質問者さん派が多くなれば 「お疲れさま」は単なる儀礼語で そのうちに 慇懃無礼 (いんぎんぶれい)な 嫌な言葉に変遷していくでしょう。 でも 今のマジョリティ(多数派)は 心を込めて この言葉を使っていると思います。 自分の子供立ちにも 学生さん達にも お疲れさん! よう頑張ったね! と 僕は いつも 声をかけていますよ。 前の回答にも書きましたが 文章や会話全体で 相手の心を判断すべきで 最後のたった一言で 判断するのは その楽しかった時間を無にするものです。 自分的には 大変面白く 興味深いテーマを教えていただいたので これから 生活や仕事のさまざまな局面で お疲れさまを 調査していきたいと思いました。 ありがとうございます!
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- edchibi
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質問者さん程ではないですが、私も「お疲れさま」と言われるのが余り好きではありません。 例えば、会社の仲良しさん達とご飯しにいった時など、別れ際に「お疲れさまでした~」と言う人は本当に多いです。 それを聞くと、「あんなに楽しい時間を過ごしたのに、仕事の延長線上な感じだなあ。なんか他人行儀で寂しいなあ。」とぼんやり思ってしまいます。そんな深い意味があって口にしてる訳じゃない事は判ってるんですけどね。 だから私はお別れの時には「さよなら~」や「またね」と言うようにしています。
お礼
僕が言いたいのは、まったくそう言うことです。edchibiの言っていることそのままです。そうです、深い意味がないことは分かってはいるんです。 あと、すこし言い過ぎました。「すっごく傷つく」→「少し傷つく」です。僕の質問の仕方が少し悪かったですが、ここの回答者のなかに、この気持ちがわからない人が多いのが理解できません。
補足
すいません、僕は呼び捨てにする気はまったくなかったのですが、No.20さんに言われて気づきました。すみませんでした。
お疲れさまという文字の意味だけにとらわれてるのかな。 まず、社会人になったらおはようございますと同じくらい使うようになります。そこに悪意はありません。社会人でなくとも、中学や高校でも体育会系の部活では良く使われます。「お疲れさまっしたー」みたいに。部活だと本当に疲れていますが、それに対してお疲れ様と言ってるわけじゃないです。ありがとうございましたの意味です。 僕はネットゲームをやります。チーム同士でとても熱い勝負をしたあと、戦闘が終わって、オフタイムの時に「今日はお疲れ様!あれは本当にいい戦闘だったよ!」と声をかけあうような使われ方も良く聞きます。これなんか明らかに「いい仕事してくれてありがとう!」(敵であったならグッドゲームだったよ)という意味のお疲れ様だと思います。 確かにネガティブな意味でお疲れ様が使われると、もう来なくていいよ的な意味になるけど、そういうときは相手の態度や言いかたに表れるし、お疲れ様という言葉に限ったことじゃないよね。 ネットやメールだと字面だけで言葉を捉えがちになるけど、全て悪い方に捉えるのは、ちょっと損だなと思う。
お礼
そうですね、自分でも少し損な性格をしていると思います。残念ですが。 悪意はないのは分かりますが、同時に意味もないのではと(頻繁に使いすぎると)。僕も中高時代体育会系の部活だったので、覚えてないですが使用していたのだと思います。こんなこと考えないくらい頻繁にしようしていたかもしれません。社会人になったらなったで、またそうなるかもしれません。ただ僕にとって言葉はとても重要なのです。たった一言が人生を変えるくらいに。誰がいつ言うかにもよりますが。だからこそ儀礼的で意味のない言葉は使いたくないのです。「お疲れ様でした」というなら、そこにちゃんと気持ちをこめて欲しいと思うのです。ここで皆さんに意見を聞いてよかったです。
- beatleman
- ベストアンサー率47% (18/38)
一応 辞書的には お疲れ様 [名・形動]相手の労苦をねぎらう意で用いる言葉。また、職場で、先に帰る人へのあいさつにも使う。「ご苦労様」は目上の人から目下の人に使うのに対し、「お疲れ様」は同僚、目上の人に対して使う。 ……とあります。 普通、 お疲れ様とか ごくろうさん とか 聞くと 僕は ほっとします。 この人は 自分のことを気にかけてくれていると感じます。暖かい言葉です。 pepe_2008さんの解釈は あまり一般的では無いかもしれませんね。 お疲れ様が 真意としては「もうメールしないでくれ」って意味ですよね? ……とは 逆に理解できませんよ。 お疲れ様には、好意や愛情、尊敬 などの意味が 内在していると 感じます。 でも 言葉の意味のニュアンスは 使う人や聞く人によってかなり違います。 ですから、単語一つ一つで一喜一憂するのではなく、 文章全体から 真意を読み取る訓練をすると良いと思います。 自分のことを言うと、 メールの最後に 「さようなら」「バイバイ」などがあると ドキッとします。 文面全体を読み返して、その真意を探ってしまいます。 それらを 別れの言葉と理解しているからです。 ですから、僕は メールの最後に そういった別離をニュアンスする言葉は 使いません。 ……ね、 言葉とは このように曖昧で 人によってさまざまな ニュアンスを醸し出すものなのですね。
お礼
質問の仕方が悪かったです。すいません。 「お疲れ様でした」って言葉を聞くと、相手と僕の間には距離感があるなと感じます。回答番号No.15の方の表現がもっともよく僕の気持ちを表しています。 特に友人同士で使う場合は「~様でした」という部分が少々邪魔な気がします。やっぱり「お疲れ様」って言葉に相手との親密感があまり感じられません。二人の間柄が夫婦や恋人同士ならそもそも親密なんで、使ってもいいおかしくないと思いますが、そこまで親密じゃない普通の友人関係の人に対して使うと、あなたとは一定の距離感を保っていますよっという意味も含めて聞こえます。社会人ならばその方がいいのかもしれませんが。学生同士や友人同士ではどうなんだろう?と思います。 別れるときに別れの言葉を言わないで、感謝の意のある「お疲れ様」を使うから僕は少々混乱しているのです。
- kyo-mogu
- ベストアンサー率22% (3398/15358)
今日はお疲れ様でしたね。また明日頑張りましょう。 お疲れ様にはありがとうという意味も込められています。字面だけでみるからおかしいのであって、なんの悪意も無い言葉です。 仕事とか会議とか終わって、疲れましたねって意味でしょう。お互い疲れましたねって意味でしょう。 もうすこし、小説とか読みませんか?言い回しとか勉強してください。
お礼
悪意がないからこそ、そこにちゃんと意味を付与して言わなければ、その言葉自体が悪意に変わるのです。それ以外言う言葉がないのかよ、と思うくらい。「お疲れ様」ばかり聞いていると、それはただの挨拶でその言葉の意味は飛ばしているように感じられます。 あと質問の仕方が悪かったです。別れ際に言う「お疲れ様」の場合です。
- thetruth66
- ベストアンサー率44% (15/34)
好きなコにそうメールされたから?? ちゃんと補足説明入れていただかないと・・・ 回答者がみんな「???」です。 そう思うことが変だし、自分を卑下するのもどうかしてます。 メールのように文章にすると話し言葉より堅苦しくなるときはありますが、「今日はお疲れ様でした」をそのように取る人がいるとは思いませんでした。 「すっごく傷つきます」って・・・あいた口がふさがりません。 夫婦や親子、恋人同士で普通に使う言葉ですよ。
お礼
「すっごく傷つきます」は言い過ぎたと思います。少し傷つくくらいです。 >夫婦や親子、恋人同士で普通に使う言葉ですよ。 それくらいお互いが近い間柄ならそれはそれでいいんです。あと逆に疎遠な場合も、仕事上のみの付き合いとか、学校で仕方なく先生ととか。学生同士や友人同士くらいの間柄で使用した場合です。そうなると僕はあまり使いたくないんです。「お疲れ様でした」って言葉は誰にでも使える言葉じゃないですか、言ったら目上の人や先輩など言葉遣いを気をつけなきゃいけない相手にも。それと同じ言葉をなぜ、同じくらいの立場にある人間同士(社会人じゃなくて学生同士や友人同士)が使わなきゃいけないのかと。使いすぎて、その言葉の意味を考えずに言っている人が多いんじゃないかと思ったりします。
- arigatouSY
- ベストアンサー率35% (7/20)
私も「お疲れさま」という言葉は使いません。 言葉ってとても大事だと思います。 水の結晶(ごめんなさい、氷の結晶だったかも。) を調べると、綺麗な言葉と綺麗ではない言葉と 人間がかけたことばで、形が全く違うのです。 植物も、綺麗な音楽を聞かせると、 上手に育つといいますよね。 人間も、ネガティヴな言葉よりポジティヴな言葉をかけるのが 気功とかヨガとか、オリエンタルな精神的な世界では大事とされています。 「疲れ」という言葉には、人を疲れさせる作用があります。 あなたは繊細で、正しいと思います。
お礼
>私も「お疲れさま」という言葉は使いません。 そうですか、僕と同じですね。 繊細というと聞こえがいいですが、ただデリケート過ぎるのかもしれません。もう少し図太く生きないと、人生損な気がします。でもこればっかりは性格だから。
「お疲れ様」というのは、「おはよう」「さようなら」と同等なもので挨拶、礼儀みたいなものだと私は思います。 「もうメールしないでくれ」という意味では決して無く、相手を労わる為に私は使うし、殆どの人がそうだと思います。 なので、これからは、「今日はお疲れ様でした」というメールがきても傷つかないで下さい。 それにしても、自分が傷つく事を相手にはやらないというのは、良い心がけですね(^^)
お礼
僕も「お疲れ様」が挨拶や礼儀だと思います。だけど、まだ「お疲れ」ならいいんですが「様」までつけて敬語表現にすると、友人同士で使うときには相応しくない気がするんです。いやそんなこともないか・・・えー「でした」までつけるともう友人同士では相応しくないと思います。 あとこの説明が抜けてました。「お疲れ様でした」を使う場面が別れ際のとき、ということが。逆に向かいいれるときに言う場面とは違います。別れ際に言うのに、言葉自体には別れの意味がないから、違和感を感じるのかもしれません。
- mixture007
- ベストアンサー率10% (43/411)
変です。 個々人が自立してない感じがします。 社会人の別れ挨拶は、みんなそうです。 ねぎらいなのです。
お礼
社会人ならそれでいいのだと思いますが、すいません、僕が言っているのは学生同士、友達同士でのことです。
- formidable
- ベストアンサー率15% (470/2940)
幼少時から現在まで、ご家族との人間関係は 親離れ・子離れがパーフェクトに済んでいることを含めて 円満・濃密・豊饒でしょうか。 であれば大丈夫ですが……言葉の問題は 許すことも思い遣りの1つです。 方言に反撥したり、 《無礼だ!》と怒りを見せた人を知ってますが 善意・厚意・恩義・感謝・労いのコトバは アナタさまのイメージ通りのコトバでなくても 受容するほうが宜しいでしょう。 個々のコトバに感情に反撥していますと、 敬語法として正しくないから気分が悪いとか、 アナタさま式の日本語でないから不快だとか、 本質から乖離したところで気分を害してしまうように エスカレートして、通常の日常生活に支障が出てしまい メンタル・ヘルス面でキケンですよ。 いまの暮らし、充実感に満ち満ちていますか。 なにかしら、ご不満・焦燥感・飢餓感etc. ネガティヴなエネルギーが蓄積されているようなことはないですね。 ご自身を、真に許し、他の人も許し、 自他肯定〔=I am OK,You are OK.〕で参りませんか。 アナタさまがいるところが、すべて、 笑顔が溢れている夕食の食卓 のイメージであるといいですね。 常に、そんな雰囲気をつくってください。
お礼
なぜ上の質問からそのようなことを聞くのですか?確かに僕は、ネガティブなエネルギーを溜め込んでいた時期がありましたし、今もそれを消化しきれていません。父親のことが大嫌いだし、今の暮らしに不満はあるし、今までの人生を含めて自分自身を許せないし、もちろんそれまでそのような環境に身を置かせた親(特に父親)も許せません。 ただ僕の幸せは、周りにいる人の笑顔なので、僕の周りにいる人達ができるだけ笑顔になれるよう努力はしています。実家以外は。
- matukaze7
- ベストアンサー率33% (63/188)
考えすぎですね。 そんなことで傷つかれたら、正直やり辛い相手だなと思いますよ。 ああ、この人は意志の通じない相手なんだな、と思ってしまいます。 社会人になれば毎日「お疲れ様」を言うのが当たり前になりますから、今ほど気にならなくなると思いますよ。
お礼
当たり前になるとそれを言うことに慣れて、言葉の意味がなくなってしまうからそれはそれで、こんな風に思うことはなくなるかもしれませんね。実際、僕も高校のとき部活で言っていたような気がしますし。 はい、どちらかというと付き合いにくい人間の部類に入ります。しかし傍から見るとまったく逆の人間に見えます。見た目と言動でよく誤解を受けます。
お礼
>他人行儀なニュアンスは 少ないのです。 ええっ!でも言葉自体に親密感はないですよね? >言葉というのは世間はこうやって解釈して話しているのだ!と常に学びながら獲得していくものです。 ああ!!そうなのですか。勉強になります。 >でも今のマジョリティ(多数派)は心を込めてこの言葉を使っていると思います。 一人の人間が同じ言葉を使いすぎると、その言葉はその人にとって意味を含まなくないものにならないですか?意味が削り取られ、言葉の音だけが残って、その状態のまま使用することにならないですか?最初にこめていた気持ちはちゃんと残っていますか?と思わなくもないです。 >最後のたった一言 No.21さんのコメント引用しますが『メール文の最初に挨拶代わりとして「今日はお疲れ様でした」と打つことはあっても、結びの言葉に使う事はあまり無い気がします。』とあります。実際別れ際に使うことが多い「お疲れ様でした」。メールの最後に「お疲れ様でした」が来ると、やはりそこで「バイバイお別れ」→「返信希望しない」という意味が含まれているように感じるのです。 >その楽しかった時間を無にするものです。 はい、まったくそのとおりです。しかし、楽しい時間を過ごしたあとに「お疲れ様でした」はおかしくありませんか?No.15さんのような気持ちになります。