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人の信じ方

私は人を信じれません。 1年前ぐらいに、友達に相談事をされたときに『ふーん、そっかあ…』『~すればいいんじゃない?』と軽い感じで答えてしまって、家に帰ったときに『もっとちゃんと答えてあげればよかった…』『嫌われたかも』など考えてしまいました。 それで人と話すときに相手の様子を伺いすぎて口下手になって、『あたしつまんないかも…』とか『何て答えればいいのかな?』とか考えちゃって結局言いたいことも言えずに家に帰ってまた反省の繰り返しになりました。 それから友達に何を言われても、疑ってしまい(私のこと本当はどう思ってるの?とか)信用できなくなってしまいました。 実は私は友達に対してトラウマがあって、前に友達を数人いっきに失った(私を嫌いになった)ことがあります。そのときのことを思い出すと、今度は絶対に失いたくない、傷つきたくない傷つけたくないと思って、人の気持ちを分かろうとして『本当は何を思っているのか』というのばかり考えるようになり、人の信じ方を忘れてしまいました。 どうやったら人を信じれますか? どうゆうことが人を信じるとゆうことなのですか? 教えてください。

みんなの回答

  • bodhi
  • ベストアンサー率35% (24/68)
回答No.7

質問文をよく読んでみると、 人を信じれない、というより、自分が信じれない、というふうに見えるのですが・・・ 友人との対応の後で、自己嫌悪に陥っているみたいですね。 ようするに友人との付き合い方で自分に自信が持てないのでしょう? 自分のことで考え過ぎているように見えます。 人を信じたい、というその動機が、友人を失いたくない、自分が傷つきたくない、ということであれば、ちょっと、信じるという意味合いが違うような感じを受けます。 >どうやったら人を信じれますか? まずは自分を信じることです。自分を好きになることが大切です。 自分の言い方が友人からどう思われているのか、ということにすごく神経質になっているようですね。 そういうのって、けっこう相手に伝わるもんですよ。悪く言えば重たく、胡散臭く感じてしまうのです。 私の周辺にも、無理して周囲の人と仲良くしようとして、それが逆にうっとうしく感じられる人がいます。 リラックスして自然体でいることです。考えすぎず、気楽に、良い意味でいいかげんに、適当にやってみてください。 ちょっと真面目すぎる傾向が見られます。

  • dai-ym
  • ベストアンサー率22% (848/3824)
回答No.6

人を信じるのとは別の問題だと思いますよ。 まずは人の気持ちなんてどうやってもわかることは無いんです。 他人と分かり合えると思っていることが大いなる間違い。 考え方も価値観も違うんだから絶対に無理です。 表面上仲良くしているってことは、その人は内心どうあれ仲良くしたいと思っている。 そう思ってくれているだけでいいじゃないですか。 本当は何を思っているかが大事なのでなく、表面上今どういう関係かが大事ですよ。

  • jun8686
  • ベストアンサー率13% (10/72)
回答No.5

あなたのご両親はあなたのことを信じているでしょう。。無償の愛を感じられませんか?? 私も学生時代一斉に無視されたりしてつらい思いしましたが、幸いに私はまた、友達できるさーと楽観的だったので、すぐに友達できました。が、やはりつらい想いってなかなか消えないんですよね~ でも、それをトラウマと思えばいつまでも引きずるけど、人はいざというときは人を裏切る時もある、とわかったことが一つの経験ですよね。けど、そんな人ばかりではない。あなたが、相手の立場にたって考える感じることが一番その人にとって暖かく感じるものなんです。 本当にその人と同じ立場で考えるのは、とても難しい。同じ経験者じゃないと人の気持ちはわかりにくいと思いますが、限りなく近づいて考えることはできると思います。そんなことをくりかえすうちに、相手にとってあなたが大切な存在に思えてきたり逆にあなたにとって相手が大切に思えてくるんじゃないですか? 人は自分の気持ちを理解してもらえると、なんかホッっとするもんですよね。自分がそんな気持ちになるので、他人に対してもそうできればいいと思います。あなたが、見返りを期待しない愛情を思いやりを人に注げるようになったら、相手もあなたを信じてくれるし、あなたも人を信じれるようになると思います。

noname#189246
noname#189246
回答No.4

人を信じるって、なんだろう・・・ 人は絶対嘘をつく生き物です。 それがついていい嘘か、悪い嘘かは別として。 だから、言葉そのものについては、 誰も信じる事は出来ないということになってしまいます。 その時は、冷静にその人がどうしてそういう言い方をしたのか、 考える力が必要になって来ます。 でも、人の心なんてなかなか突き止められるものではありません。 では、一体なにを指して信じるというのだろう・・・ 嫌われた、嫌われるのが怖い、ってなんだろう・・・ それは人を愛するよりも自分を守りたいということ。 では、自分を捨てて人を愛せれば、嫌われるのが怖くなくなるはず。 嫌われてもいい。 嘘をつく未熟な人たちを愛する。 嘘をつく人たちだって、どうすればいいのか分からないからそうしているはず。 色んな苦悩を抱えて、良くなるにはどうしたらいいんだろうともがきながら、 ああでもないこうでもないと、不器用に行動しているはず。 そして心の底には、善の心があるはず。 表面的な行動よりも、もっとも奥にある善の心を信じてあげればいい。 また、心の底に抱えた利己心を行動の中心に持ってくる未熟な人もいます。 そんな人は愛せないんだろうか・・・ 心の底に抱えた利己心を行動の中心に持ってくる人の相手は、 しなくても良いとは思う。 子供と違って能力を持ち分からずやだから。 でも、その人は未熟だから、あなたを傷つけるのでしょう。 その人の性質を許さなくてもいいけれども、 その人の未熟さを理解してあげる事によって、傷つかない。 それが利己心を行動の中心に持ってくる人への愛なのかもしれない。 しかし、長年歳を重ねないと、 なかなかこういった精神が鍛えられるものではありませんよね。 自分も相手のレベルを超えなければならない。 今はとにかく、相手の未熟さは何なのか考えて、 そして相手の未熟さを受け入れる気持ちが必要かも知れません。 それは相手の未熟さを許すという事ではなく、 冷静に受けとめるということですね。 それが愛なのかも知れません。 自分を捨てて相手を冷静に受け入れられること、 それが出来れば、もう傷つかないのかも知れません。 この時信じるとは、いつかは相手は向上する、 心の底には善のエネルギーが隠されているから、 ということを信じる事なのかなと思います。

回答No.3

もしかしたら自分から離れていってしまうのではないかと心配になることは あると思います。 そう感じてしまうと自分の行動を相手の都合のいいものにしようと努力を 始めたくなるはずです。 そうすると自分のやりたいと思うことをだんだんと控えることになるでしょう。 そうやって、自分が何を信じていいのかが分からなくなっていくのです。 問題は自分自身のことを信じていないことです。 自分の周りから誰もいなくなったら何も出来ないとたぶん思っている のかもしれません。 だから誰かに頼ることで安心をしようとしてしまうのです。 そして誰かを失わないようにするには相手の気に入ったことをすること だと思い込むようになるのです。 誰もいなくなったとしても自分一人で取り合えずどうにかするという 気持ちがあるのなら頼りがいのある自分だと少しは思えるでしょう。 少しずつでも自分でどうにか出来ることを増やしていくことで自分が成長 していくのです。 自分を信じられれば人が近づいてこようが離れていこうが自由にさせて あげられることが出来るのです。 自分が信じられないと相手を束縛して相手の自由を奪っていくことになり 自分は自由に振る舞えなくなっていくのです。 相手は支配を受けているように感じ、自分は相手から支配を受けている ように感じることで関係は壊れていくことになりなるでしょう。 良い人間関係に必要なことは自立と自由ではないかと思います。

  • f5system
  • ベストアンサー率8% (79/896)
回答No.2

人を信じるには、基準が必要ですよ。誰でもうやみに信じていては生きていけません。半信半疑がちょうどいいのです。 たとえば、お金を貸してと言われて、はい、と貸せますか。 貸せないでしょう。 人には信じれる部分と信じれない部分がありますが、その許容範囲だと思います。 たまたま、周りに全面的に信頼できる人がいなかっただけです。 信用できないのは、その人の人間性なのでしょう。 人は信用するのではなく、人に信用されるものなのです。

  • marcy1
  • ベストアンサー率27% (96/346)
回答No.1

好きな人はいますか? 尊敬できる人はいますか?疑うのは何故でしょうか?一つ言えるのは、いつも間違わない人。いつも正しい人なんていないということだと思います。嘘をつかない人はいません。時には、そんな嘘に救われる人もいます。確かに人の評価が気になることってあると思います。ただ、それをあまり続けると疲れます。万人に好かれる人がいないのと同じで、万人に嫌われる人もいないと思います。 堅苦しいことを考えず、自分が好きなことや、好きな人と楽しく幸せに生きることを考えたらどうでしょうか。多分、信じる信じないで悩む必要がなくなると思います。

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