そうですね。世の中には長いばかりで読んだ者を損した気にさせるような中身の薄い長文がたくさんあります。昔から読み方・書き方・つづり方というのが学問の基礎であったので、きちんとした文章を書けてはじめて一人前だったのですが、最近では文章のレベルが大変なことになっています。このことの背景には商業と結びついた、もしくは文章そのものが商品であったりして、紋切り型でとっつきやすい表現が多く用いられるようになったことがあるでしょう。また、インターネットの一般化にともない、よく吟味されていない駄文を読まされる機械は爆発的に増えました。誤字や慣用句の使い間違い(「以外と○○だ」「流れに棹さす」など)などは大変に恥ずかしいことであったのに、今ではデファクトスタンダードとなっている間違いまで見られるくらいです。このように、読むのに時間がかかるばかりでなく含意がはっきりせず、うんざりさせられる文章に、アレルギー気味になっているのは質問者様だけではないでしょう。読んでみて無駄だったという経験がそう思わせるのです。しかし、考えてみてください。量のわりに中身が希薄、という意味では文章などまだかわいいほうではありませんか?テキストなどいくら書いても容量はキロバイト単位です。見る価値もなかった画像のほうが目を覆わんばかりです。画像は大きくするとすぐに数メガバイトになりますが、見て1秒で飽きるものも少なくありません。これこそ本当の意味で「見て損した」といえるでしょう。一千万画素を越えるデジカメで、何を撮ったかわからないような写真を撮る人は多いです。一千万画素あればjpegでも3~4メガバイトは食います。なんという資源の無駄使いでしょうか。画像だけではありません。動画になるともっとひどいものです。ポニュだかポニョだかの映画を見ましたか?2時間近く時間をかけて観たのに、何が言いたいのかさっぱりわかりません。あの映画は容量にするとどのくらいでしょう。作るのにどれだけお金がかかったのでしょう。これは浪費ではすみません。カタストロフです。本当に、面倒です。
お礼
なるほど、好きな役者さんに置き変えて読めれば、読む意欲も沸きますね!妄想力を養いつつ読むことで、一石二鳥な感じがしますね。ありがとうございました。