豊かになった。環境破壊。資源を貪り尽くしてきたはあまり関係なく、純粋に人間が存在することが原因かと思います。
雇用、景気、医療、福祉等々の問題は人類が少ないときから存在した問題です。100年前でも、200年前でも、300年前でも、1000年前でも同じです。
雇用に問題はありましたし、景気にも問題はありました。14世紀にはペストの大流行で欧州の人口の3割が死亡するなど、昨今のインフルエンザ騒動などよりはるかに重大な医療問題もありました。栄養不足から来るカッケなどもありました。
ここ数十年の現代は、人類に数千年の歴史から見ると異常なまでに人が生存しやすい環境になっており、実は問題は少ない世界です。(天気次第で飢え死ぬ人が続出したり、ちょっと病気が流行ると人口の何十%が死亡したりしません。)
実は、人間社会は昔に比べてすごしやすくなっています。しかし、そのような辞退の深刻度はマシになっているのに、問題が大きく感じられるというのは・・・贅沢になったからでしょう。
昔の人が現代で生きれば極楽かもしれません。しかし、現代のぬるま湯生活を当然と思っている現代人は、ちょっとしたことで大騒ぎ。いったん金持ちになってしまうと生活レベルを落とせないのと同じですね。年収10億もあると、年収5000万の生活は大問題と感じてしまうようなものでしょう。
人間が人間という存在である以上、このようなジレンマは存在すると思います。世界人口が半分に減っても10億人に減っても解決は出来ないでしょう。人間が2人集まれば社会は出来て、問題が発生します。そして天候や自然環境などによってでも経済的に豊かな時期などもあれば、人間関係が良好な時期も悪い時期もあります。
人間が神のように絶対的に正しい行いが出来る存在まで昇華しない限りは解決しないでしょう。
お礼
ありがとうございます。 >純粋に人間が存在することが原因かと思います。 私も究極はそれじゃないかと思っていますが・・・ ただ、人類の見解ではなしに自然からみると、人口は過剰だと言うのは1000年前から見ても明らかです。 比率的に多すぎだと思います。 『実は、人間社会は昔に比べてすごしやすくなっています。しかし、そのような辞退の深刻度はマシになっているのに、問題が大きく感じられるというのは・・・贅沢になったからでしょう。 昔の人が現代で生きれば極楽かもしれません。しかし、現代のぬるま湯生活を当然と思っている現代人は、ちょっとしたことで大騒ぎ。いったん金持ちになってしまうと生活レベルを落とせないのと同じですね。年収10億もあると、年収5000万の生活は大問題と感じてしまうようなものでしょう。』 これは確かに現代の人間からだけの方向から見ればという前提でいえますね。 また格差問題や凶悪犯罪の増加(と感じられる)部分もそういうところから来ているのでしょうね。