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おかしい悩みを持っています
はじめまして。 深刻に悩んでいます。 私は大好きになれば大好きに成る程心の中でキモくもないのに 「キモい」と思ってしまうことがあります。 しかも、好きになれば好きに成る程「キモい」と思う回数が増えていくのです。癖になってしまうのです。 そう思ってしまうのは、恋人でも友人でもなく、 愛してやまない大好きなミュージシャンなのです。 彼はもう亡くなっています。 いつも心の中にいて、勇気や夢を与えてくれる彼に 失言を吐く自分がとても嫌いで、、 だからいつもそのミュージシャンをパソコンなどで長時間眺めていると 「キモい いやいや、どこがキモいんだ、自分ほんとにウザい…」 (↑言葉が悪いですがこんな感じです) と、上記のようなやりとりを頭で何度もしてしまいます。 自分が本当に許せません。 申し訳ない気持ちでいっぱいになります。 どうして私は尊敬する人にこう思ってしまうのでしょうか…。 どうすれば解決すると思いますか。 みなさんは、自分の大好きな人を、いつもどのような気持ちで 見ているのですか。 教えてください。
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- goon
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こんにちは。 大好きな人に対して「キモい」というのは一体どうしたことだろう!と 思ってしまうような感覚ですね。 ncrmnc1213さん自身も戸惑っていることを、読んでいてとても感じました。 人間の精神には、防御反応という機能があります。 例えば、とっても痛い・辛い思いをしたとします。 すると人間はそれを忘れたり、他の感覚とすり変えたりすることが出来るんです。 死んでしまいそうな程に辛かったりすると、記憶が曖昧になったり 痛みを感じなかったりする事もあるくらいです。 もしかすると、ncrmnc1213さんの「キモい」と感じるのも、そういった ものの一種かもしれませんよ。 とっても好きだから、好きであると付いてくるような切ない気持ちや、 沈んでしまうような気持ちをやわらげるための感覚。 大好きなミュージシャンの方はもう亡くなっているそうですね。 だからなおさらどこかで辛い気持ちがあって、好きな気持ちを否定する 言葉を思いつくことで(逆の事を感じることで) ncrmnc1213さんの気持ちをやわらげようと、心が頑張っているのではないかと私は思いますよ。 そう考えると、「キモい」と感じてしまうことも許せたりすると思うのですが、どうでしょうか。 自分の気持ちを防御する方法は、人それぞれです。 人それぞれだからこそ「自分は少しおかしいかもしれない」 「変かもしれない」と思ってしまう事も多いものです。 でもそれは個性であって、「本当におかしい」ことでもないし 「間違ったこと」でもありません。 好きだから「キモい」と思ってしまう。 それは「とっても好きだから」。 好きな証拠なんだ、と感じてあげて、気持ちを楽にもってくださいね。 きっと気持ちが穏やかになった時に、そういった感覚も薄まってゆくのではないかと思います。 少しでも元気の出るお手伝いになれていたら嬉しいです。^-^
- fumie0725
- ベストアンサー率30% (28/93)
なんか周りの友達を見ていると、「キモイ」というのが口癖になっている気がします。 何かを思うと「キモイ」 他の場面で「キモイ」と連発していませんか? テスト勉強でいろいろな言葉を詰め込むと、何かを考えるときに関係ないテストの言葉が浮かんできたりします。 それと一緒にするのは少々強引かもしれませんが、似ているとは思います。 「キモイ」も「ウザい」も言葉としては使って気持のいい言葉ではありませんね。そこを注意して、使うのをやめてみたらいかがでしょうか。 私自身はきれいな言葉、優しい言葉を好んでいますので、あなたみたいな経験はありません。素敵な人には素直に素敵と思えます。 まぁ…嫌な人に素敵とは思いませんが、罵倒する言葉もそんなに浮かびません。 人を認める言葉、褒める詞で自分を満たしていると、とてもいい気分になりますよ。
お礼
回答ありがとうございます。 確かに「キモい」という言葉を良く使っていると思います。 そういう言葉を使わなくなれば、確かにふっと浮かぶことすら なくなるのかもしれませんね、、 しかし、関係ないのに浮かんでくる、というニュアンスとは また違った何かなのです。私はなぜか苦手な人に対しては (凄く苦手な先生などに)「この人の、この脂肪とか、可愛いなあ」 と、なぜか褒めてしまうのです。普通、脂肪=恥ずかしいもの だと思うのですが、強引に褒めてしまうのです。 ようするに何が言いたかったかと言うと、 自分の思いとは逆のことを考えてしまいます。それが、なぜだか わからなくて苦しいのです。それが知りたいのです。 とはいえ、汚い言葉、人を罵倒するような言葉を使うのは 良くないと改めて言われたことに関して、確かに、と 自分を見直すきっかけになりました。 これからは人を認める言葉を持ち、素直な心の持ち主に なれるように励みたいと思いました。