見返りを求める・・・たとえば、「仕事」というものがあります。
もし、「貴方は、何のために働くのですか?」という質問があるとします。それに対する答えが「はい、お金を得るためです」とか「経済的に自立するためです」etc.・・・おそらくは、程度の差こそあれ、似たりよったりの内容が予想されます。当たり前といえば、当たり前のことなのですが、お金や経済的自立を得んがために働くという動機は、立派な見返りを求める行為になります。では、このような動機に基ずく行為が、何故やってはいけないのでしょうか?それは、本末転倒に陥ってしまうからです。本来、働くこと自体に、お金をもらうこと以上に、嬉しい楽しい、満足な世界を見出せるようになっているからです。それなのに、お金という見返りを求め出したら、そのもらう金額によって、一喜一憂し、多いから頑張るとか、少ないから頑張らないとかいうばかげた現象を招いてしまいます。また、ひどいのになると、職種を変えてまでもお金を得たいと思うようになり、完全に主客転倒になっていくのです。つまり、見返りの対象は何であれ、「純粋な仕事自体の喜びや価値」を自ら放棄してしまうことになるのです。仕事に生きる時間量から見ても、もし、金のためとか別のもののために生きるということになれば、トータルして考えれば、人生の膨大な時間を無駄に過ごすことになってしまうのです。もし、仕事自体の楽しみを得た者からすれば、お給料は「えっこんなに面白可笑しく働かせてもらうだけでなく、お、お金までもらえるんですか?いいんですか?まじですか?信じられな~い」ってことになるわけで、感謝が何倍にもなるわけです。
つまり、結果としてもらえる報酬に、多かろうが少なかろうが充分に満足できるのです。このように、見返りを求める行為には、不満が絶えず残り、ますます、何が喜びだったのかを忘れてしまうのです。人間、真剣に考えたら、お金が満足の基準になどはなりえないことでしょう。
わかりやすくするために仕事やお金を例に出しましたが、他も一緒です。
お礼
仕事はお金という形で見返りがきちっと求められていますよね。 私が疑問に思ったきっかけはそこなんです、なぜ仕事以外では見返りを求めてはいけないのか?と思いました。 「報酬が少ない(-"-)」等と、不満が絶えず残る状態は幸せではないですね。 本当の幸せや喜び(純粋な仕事の価値)を忘れたくないと思いました!! 大変参考になりました。 御回答ありがとうございます。