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映画『赤い砂漠』
先日、ミケランジェロ・アントニオーニ監督の『赤い砂漠』を見ました。 この作品はアントニオーニの初めてのカラー映画で、色彩の実験を試みた作品だと伺ったのですが・・・ どの色遣いが何を表現しているのかなかなか難しくて読み取れませんでした。 空や壁の灰色がヒロインの心情を表しているのかなとは思ったのですが、 たびたび時々出てくる鮮やかな緑や黄色は何かの象徴なのでしょうか? 読み取れた方がいましたら教えてください。
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- ribisi
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アントニオーニは僕も大好きな監督です。以下は個人的に書いた感想文です。 この作品のような映画は、明示されているものを額面どおり受け取るわけには いかないという気にさせられる。環境汚染がジュリアナの神経症に起因してい るとは考えにくく、きっと裏があるのだろうと仮定して、しばし想像の翼を広 げてみることにしよう。 まず気付くのは、ヒロインの性的欲求不満である。男から買った食べかけの パンを貪り食う冒頭のシーンはもとより、釣り小屋ではそのままズバリの台詞が あるし、同じシーンで霧に濡れた埠頭に大型船が滑り込んでくる場面は性交の メタファーととれる。 もうひとつは上流階級意識。工場の管理職である夫、メイド付きの邸宅や、市街 に店を開こうとしていることからも、彼女が有産階級のいわゆる有閑マダムで あることは明白だ。リチャード・ハリスとて、口では進歩主義だと言っているが、 その出自は成功した建築家の跡取だ。上流階級であるジュリアナが、工業化と 民主主義によって、労働者にその立場を脅かされるという図式が浮かび上がる。 だがしかし、こうしたイデオロギー的なものからいかに自由になるか、という ことを追及しているのがこの映画なのではないかと思う。前述の埠頭に入港する 船にしても、その暗喩の成立を拒むかのごとく、映画は自ら船の存在を消し 去ってしまう。 島の少女の挿話もそうだ。形を変えた夢としても解釈できるこの美しい寓話は、 帆船の特権的シンボル性から深層心理を読み解くことの可能性を提示はするものの、 その直後にそれを単なるひとつの子守唄として泡のように処理してしまう。 殺伐とした工場群の造形、群像としての労働者たち、これらを政治的哲学的 イデオロギーとしてではなく、純粋に審美的なヴィジョンとして捉えようとする アントニオーニの試みは、赤く濁った汚泥や黄色く澱んだ煤煙ですら、その生理的 な嫌悪感を超え、私たちの感情を複雑に揺さぶってやまない。 そこにこそ映画というものの底知れぬ凄みがあるのではないかと思う。