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供養について

考え方はひとそれぞれあるのは充分理解してるのでいろんな人の考えを聞きたいです 友人が約四ヶ月前に他界しました。友人の家族とも少しばかり付き合いがありました。入院して一ヶ月少しの看病の末の他界だったので残った家族の心境はそれは計り知れないものがあると思います 百か日をすぎてからは少しばかり涙も少なくなったらしいですがまだまだつらいと思います でもやっぱりこれから先は二人で生きていかないといけないのやから少しは自分達のことも考えたらいいのではといってるんですが、一年は供養の生活したい。一年たったら自分のことを考えてもいいかなといってるんです 別に新しい出会いをすすめてる訳ではないですが供養といって自分を追い詰めて我慢の日々を送る必要はないかと思うのですがどうでしようか 一年たったらはじけたいというぐらいなら今からでも我慢せずしたいことをしたらいいと思うのですが私の考え間違っているでしょうか

みんなの回答

  • pmmp
  • ベストアンサー率30% (194/643)
回答No.1

喪に服すのは、家族としては当然でしょう。 喪に服して、家族としての気持ちを切り替えるにも、相当の期間が必要です。 一年には、四季がありますよね? それぞれの季節で、亡くなられた方との思い出もあります。 無闇に、切り替えを言わないで、本人が切り替えをしなければ意味がありません。 友人なら、その事を理解して、見守るのがベストだと思いますよ。 私は、阪神大震災で妻子を一瞬に亡くしました。 立ち直りには、数年間の時間が必要でした。

m033165
質問者

お礼

早々の回答ありがとうございました 言われることはまったくその通りだと思います でもしたいことを無理に我慢までするのは見ててつらいだけなんです それが供養と言われればそうかもしれないですが

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