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母の供養ができない心情
- アパート独り暮しの私は、亡くなった母への供養ができず心が立ち直れません。
- 供養することで思い出が押し寄せ、無気力状態に陥ってしまいます。
- 母の死と向き合わずに生きていくことができるのか、悩んでいます。
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質問者が選んだベストアンサー
お礼を拝見しました。 死後の世界などは・・・あまり分からないように思います。 人間は天国か地獄かにいくとされ、極楽浄土を求めますよね。 だけど、本当にそうなのか・・・? きっと私は死後の世界でも、会えると信じてます。 痛みに耐えて苦しむ姿は、本当に記憶から離れません。 お水一滴さえ制限が入って、喉が渇くと言っていた言葉が頭から離れず、私も苦しみました。 でも、それも一つの思い出。 お母様が元気でいらした時に、一緒に見たテレビで笑ったことや、あなたが子供の頃のエピソードなど、喜怒哀楽・・・様々にあるでしょう? 忘れなきゃと思ってもなかなか忘れられない。 だから、日本人はお坊さまにお経を唱えていただき、法事に明け暮れ、そんな忙しさもまた、故人を偲んで懐かしく思い出すように思います。 つたない文章ですが、私はあなたが少しでも元気になり、笑って生きるまでは、泣いてもいいんだよ・・・って言いたかったんです。 本も私は読まなかったけど、縁があるからまた別の形で必ず出会えると思います。 お水が飲めない苦しみをといてあげたかったら、お水をお供えすればいいんですよ。 あなたがやりたいように、あなたのやり方で、供養すれば、お母様は喜んでくれます。 私は大切な人を亡くし、泣いてばかりいましたが、立派に生きて死んだ時には、彼は私を待っていてくれて、『よう!なかなか頑張ったじゃん!』と頭を撫でてもらおうと、今は一生懸命生きてます。
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- 光明寺 徹性(@koumyoji33)
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おはようございます。 お辛いことでしょう。 お察し申し上げます。 私も10年前に父を8年前に母を亡くしました。 両親がなくなるというのは、今まで心の支えであったものが突然無くなるような感じです。 心に穴が空いてしまったような・・・。 悲しくて寂しくて涙が止まらなくなってしまう事は仕方がないことです。 無理に思い出さないようにする必要はありません。 ただ、貴方様が泣いて毎日を過ごされる姿をお母様は喜んでくださるでしょうか。 私は喜んではくださらないように思います。 元気に精一杯にご自身の人生をお歩みになるお姿こそを喜んでくださるのではないでしょうか。 私は仏教者ですので、仏教の立場でお話しさせていただきます。 お母様がお亡くなりになった後、お葬式をされたかと思います。 お葬式は弔うと言います。 弔うという字はもともと象形文字で、一本の棒にツルが巻き付いて垂れ下がった姿を現しています。 弔いとはこの世を卒業された方から後を生きている貴方様のところに「こんなふうに生きてほしい」という願いのツルが垂れ下がり貴方様のところに繋がってきているのです。 自分のところにどんな願いが垂れて繋がっているのかをお尋ねさせていただく、問わしていただくのが本当のお弔いです。 その結果、願いを受け止めた私がどう生きたら喜んでくださるのかを見つめるのが喪中期間です。 まだ貴方様はお弔いから喪中期間が意識の上で終わっておられないのです。 後を継ぐ者のお役目として、お母様の生前のお志や願いをお敬いさせていただく中で偲び、私の志と合わせて生きるということがあります。 「倶会一處」(くえいっしょ)と言って、志を受け止めた私はお母様と「共に生きる命となる」という言葉です。 「いつも一緒にいますよ。」ということなのです。 また、私がこの世を卒業した時には、同じように極楽に生まれます。 その時に、再び逢わせていただけるという言葉でもあります。 お母様はいつも一緒にいて貴方様を見守っていてくださいます。 お母様がお喜びになる生き方をお心がけください。 お母様に恥ずかしくない生き方をしてください。 これが貴方様の務めであり、お母様への御恩返しです。 どうしても寂しくなったらお母様のおられる極楽への扉であるお仏壇のご本尊と「にらめっこ」してください。 なんとなく声が聞こえてくるような気持ちになります。 お写真は伏せたままで大丈夫。 見たくなられたときに立ててください。 前を向いてしっかりお歩みください。
お礼
>まだ貴方様はお弔いから喪中期間が意識の上で終わっておられないのです。 その通りです。 いろいろ試してみましたが、心が全く納得していません。 自営の仕事も1人でできるものなのに、生前「来なくていい」と言っても、母は末期がんの痛みで 歩けなくなる直前までやってきて、やがて死を受け容れずに亡くなっていきました。 今の仕事の有り様が、どうしても心の中で結び付かないのです。 やめたくなります。 「もっと突き放してくれればよかったのに」と人のせいにしてみたりしますが、それも違うと わかっています。 >お母様がお喜びになる生き方をお心がけください。 >お母様に恥ずかしくない生き方をしてください。 そう自分に言い聞かせ勇気が出ることもたまにはありますが、それより例えば、 仕事に行くべき時間になって慌てて家を飛び出し、そうやってしばし母のことを忘れている方が、 心情的につつがなく過ごせる時間帯を持てます。 なので今回このような質問をしましたが、 頂いた御回答を読んで、そうした心の持ち方で今後も生きて行くことは逃げであり、よくない ことがよく分かりました。 気持ちを少しずつ変えていく必要があるのですね。 御回答有難うございました。
補足
頂いた御回答は、大変心に響きました。 ベストアンサーを2つ選びたい気持ちです。 心に滲みるお言葉を頂きまして本当に有難うございます。
- luna478
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形ばかりの遺影や位牌、お線香やお花などは、私は関係ないと思います。 あなたがお母様を思っている時は、亡くなられたお母様は傍にいてあなたの肩をそっと抱いてくれていると思いますよ。 現実を認めたくないのは、とても分かります。 だけど、あなたが嘆き悲しんで涙を流さないように写真を伏せているのを、お母様は喜びますか? 涙は枯れるまで流せばいいです。 お母様の写真を見ながら語り掛けたり、涙を流しても、それはお母様が傍にいて、きっとあなたを優しく包んでくれます。 だけど、悲しみを乗り越えて生きていかなければなりません。 生きている人間には生きる意味があるからです。 供養なんて、形だけの物。 あなたなりにお母様を偲び、懐かしい頃を思い出しながら、元気に生きていくことが、1番の供養だと思います。 お経となえ、お線香をたいても、心がなければ意味がないのです。 だから私は、そんな形式ばったことではなく、亡くなったその人を思っている時は、その方が傍にそっといてくれると信じています。 どうか・・・元気になり、涙を流した分だけ優しくなり、しっかり生きていく姿をお母様に見ていただきましょう。 あなたが逃げていたら、お母様は心配で心配で・・・あなたを遺して死んだことから離れられず、天国にも行けなくなります。 お母様は、あなたのそばに・・・あなたが思う時、必ず傍にいてくれます。 魂というのは、自由ですから。 束縛された身体から離れて、いつでもどこにでも、あなたが思う時は、いつだって飛んで行けるんです。 だから、たくさん泣いて涙を流して、そして・・・自分の生活を大切に生きてください。
お礼
亡くなった親のことを思い出さずに生きていくのは、やはり”逃げ”であり、 有り得ない生き方ということですね。 >懐かしい頃を思い出しながら 一番思い出すのは、末期がんの痛みで苦しんでいた姿です。 ありありと思い出します。 「助けたいのに助けられない」もどかしさと、モルヒネもあまりきかない痛みを抱えながら 死んでいった姿に「かわいそう」と思う気持ちが、心を占めてしまいます。 母は緩和ケアに移行すべき段階でも、最後まで種類を変えて抗がん剤をやり続け、自分が死ぬことを 死の瞬間まで受け容れていませんでした。 だから「無念だったろうな」と想像します。 震災では津波で失った方々は突然命を奪われ、残された家族だって自分よりもっとつらいだずだと思って みても、そうした比較の気持ちはやがて忘れ、自分(と母)に降りかかったことばかり考えてしまいます。 死後の世界に関する本を、アマゾンで何冊か取り寄せて読んでみましたが、おっしゃる通り 「この世に降りてきて、傍らで見ている。」とするものもあれば、 「あの世の世界ですべき事に従事していて忙しい。」 「亡くなった家族は違う階層に住み、死後も原則会えない。」とするものもあり、 結局何も分かりませんでした。 >たくさん泣いて涙を流して、そして・・・自分の生活を大切に生きてください。 現状の生活と気持ちをそのまま受け容れて、なるべく前向きに生きていこうということですね。 御回答有難うございます。
補足
下記私の文章に誤字がありました。 失礼しました。 ×震災では津波で失った方々は突然命を奪われ ○震災では津波で亡くなった方々は突然命を奪われ
お礼
>お水一滴さえ制限が入って、喉が渇くと言っていた言葉が頭から離れず、私も苦しみました。 そうなんですよね。 同室の人が水道で手を洗っている音を聞いて、「お水おいしそうだこと」 と言っていました。 でも実際飲むと大変苦しみます。 そうした一連の光景が、頭に焼き付いて 離れないです。 母は自営の仕事先で、来た人に商売抜きで相手が喜ぶ物を与え、ジョークを言っては笑わせて、 みんな「こんな人いない」と母のことを言ってくれました。 私なんかそっちのけで母に会うために 来ていたようなものです。 なんの罪あってこんな苦しむ最期を迎えたのか、疑問が解けません。 抗がん剤で苦しんだ1年半も大変でしたが、それより末期の4~5ヶ月の痛みは想像を超えて いました。 病院で4人部屋から2人部屋、そして最後は1人部屋に移され、今思えばそれが 病院的に確実に死に向かっていたことの表れでしたが、ある日主治医から「もうそろそろ危ない」 と言われ、私は「え!?」となりました。 余命1年とだいぶ前に言われてはいましたが、その後 そういう話はなかったこともあり、最後まで亡くなる実感がなかったのです。 また普段から 母との主従関係があったので、母の「必ず復活するから」という言葉を信じていました。 主治医の「危ない」という言葉の日も、母と話ができましたが、その数時間後に亡くなりました。 私も母も少しずつ死を受け容れるという作業をしていなかったのです。 >お母様が元気でいらした時に、一緒に見たテレビで笑ったことや、 >あなたが子供の頃のエピソードなど、喜怒哀楽・・・様々にあるでしょう? 写真には、母が姉の子供をだっこしている姿を飾っています。 私は独身なので子供いませんが、 母と姉の子供と過ごしていた頃は楽しかったな、という思い出から飾っています。 写真の母を見ると 涙がポロリ、甥を見るとかわいい気持ちから笑みが出る”泣き笑い”のような気持ちになる写真です。 見たい時だけ見て、あとは伏せてしまうのですが。 >私は大切な人を亡くし、泣いてばかりいましたが、 luna478様の文章には大変心が慰められました。 と同時に「人生とはかくもつらいもの。 でもそれを乗り越えて生きることに意味がある。」という、人間に与えられたメッセージを 垣間見たような気がします。 御自身がつらい思いをされたのに、顔も知らない私に勇気を 与えて下さり本当に感謝いたします。 実は前に、テレビにも出たことのある、有名な霊能者に予約をとって会いに行きました。 そうしたところ「お母様は成仏しています。 が、大変心配してらっしゃいます。」と 誰でも言えそうな一般的なことだけを言われ、質問も一切遮られ、30秒くらいで部屋から 出されました。 礼儀やマナーはわきまえて接したつもりです。 いずれにせよその言い回し、 表情から察するに、何も見えていなかったと思っています。 母のことを知りたいと思うあまり、 人生で始めて行ったオカルト的試みは、お金だけとられて終わりました。 こんなことを書いてはみもふたもないですが、お金を払っても何も心に響くものを得られないこと だってあったのに、無料で、しかも心あるお言葉と共に、人としての基本部分そして地道な人生から 学んで行く姿勢の大切さを教えて下さり、有難うございました。 私もluna478様のように、 人の心を前向きにする力のある人間になりたいと思います、いつか