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戦争の是非
戦争は良いか悪いか、と言えば殆どの人が悪いと答えると思います。 では、 Q・正しい戦争ならば良いか、或いは致し方ないか ○国土に攻め込まれ、殺されそうになった時の自衛行為は除きます。 ○自衛目的であっても、率先して攻撃をしなければならない物は戦争と定義します。 ○戦争に発展する可能性を充分に判った上で他国への対応を決める事も戦争と定義します。 よろしくお願いいたします。
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ANo.21のANo.22です。 質問者様が、私に聞きたいのは、 私が戦争をどのように考えているのかではなくて、 私が戦争に対してどう思っているのかと言う事でしたのでしょうか。 人間的に、感情的に、人の思う事、人の感じる事、として、でなら、 良いか、致し方ないか、と言う回答はできませんので、 他の言葉でもって、回答してみます。 先の回答へいただいた補足については、 私は、どのように回答したらいいのかわかりませんので、 あれは、なかった事にして、今回の回答にしてください。 これについても、何か納得できない事があれば、 可能な限り、回答したいとは思っています。 また、戦争をしないでいる、と言った考えはなくし、 もしかしたらこれから起ころうとしている戦争や、 噂に聞く戦争に対してどう思うかを回答し、 過去の戦争がどうだったかなどは、私の知る事ではないので、 まったく参考にしていないつもりでお読みください。 私は、日頃、戦争について、どうとも思っていません。 たぶん、今は私にはあまりにも関係なさすぎるからだと思いますが、 戦争について、何か話題があれば、 「そうか、戦争か。 したい者もいれば、したくない者もいるのだろうな。 巻き込みたい者もいれば、巻き込まれたくない者もいるのだろうな。 そうして、たくさんの人が死んでいくのだろうな。 そうして、生き残る人もいるのだろうな。 したい者はするがいい、したくない者はしないがいい。 巻き込みたい者は巻き込むがいい、 巻き込まれたくない者は巻き込まれないがいい。 死んでいく者は死んでいくがいい、 死なないでいる者は死なないでいるがいい。 私には、その者たちを、その戦争をどうにもする事ができない。 私は、どうする気もないが、やりたければやるがいい」 と思ってしまいます。 子供の頃に、戦争と言うものを知った時、 「自分も戦場に行って戦争しなければならないのかな。 いやだな。こわいな。行きたくないな」 と思いました。 戦争がどんなものか今よりもよくわかっていなかったし、 なぜ戦争が起こるのか、どうしたら終わるのか、 なんて考えもしませんでした。 「でも、自分の番がきて、行かなければならなくなったら、 行って戦わないといけないな。 自分は死んじゃうかも知れないな」 と、覚悟のようなものを決めていました。 いつか「戦争なんて起こらないんだよ」と言うような話を聞いた時、 どれほど、気が楽になった事でしょう。 私には、戦争なんてしないで欲しいと願う事しかできない。 けれども私が願えば、戦争が起こらないと言うわけではない。 例え、すべての人間が、戦争が起こらないで欲しいと願ったとしても、 その願いには関係なく、起こってしまうのが戦争だと思う。 私は苦悩した。 私にも、世界中の人にも、どうする事もできない事がある。 苦悩しても、どうする事もできない事はどうする事もできない。 そうして、それから、私は苦悩しなくなった。 もし、日本が戦争するような事があって、 私が徴兵されるような事があれば、 自分自身に否応なく戦場へ行こうと思っています。 何が正しくて何が間違っているのかわからなくても、 誰が敵で誰が味方なのかわからなくても。 少なくとも、私は、 「戦争反対」の看板を掲げるような人間ではありません。 正直なところを言うと、今回のご質問のような、 戦争の是非を問うような話を聞くと、いつも不思議に思います。 なぜ戦争の是非を問うのだろうか、 是非を問うたところで戦争がなくなるのだろうか、と言う疑問。 質問者様がどのようなお気持ちでご質問されたのかはわかりませんが、 もしかしたら、どうにかしたいと思われているのかも知れない、 どうにかなるのならどうにかして欲しい、と言う期待。 そう思って、私は回答したくなります。 私は、どのような戦争も起こらないで欲しいと願うばかりです。 他にも、思う事はあると、自分でも思いますが、 それは、たぶん、先の回答に加えるような内容になると思うので、 今回の回答には含めません。
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- 1manbou
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「正しい戦争」とはどのような戦争でしょうか。 私は戦争=殺人と定義します。 人は一人では生きていけません。 その人が死んだら誰かが悲しみ、殺した人を恨みます。 そしてそれを仕返しすればずっと不幸が続きます。 し返し続けていくことで、戦争が大きくなっていくのではないでしょうか。 「正しい」人殺しとは何ですか。 殺人はいけなくて、戦争が正しいなどと認められません。
お礼
回答有難う御座います。
- 25no12
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「正しい」=「やっていい」ではないでしょうか。 だって、正しいのですから。やっていけない理由はありません。 問題は、戦争という行為を「正しい」と思えるかどうかではないかと思います。 そのように解釈してお答えすると、個人的には思えません。 それは憲法9条の国、戦後の日本で生まれ育ったからかもしれません。 アメリカ人なんて、同時多発テロ後にブッシュの支持率が急上昇したことから分かるとおり、大部分の人(おとな)があの中東への戦争を「正しい」と思ってた(少なくとも当初は)わけですし、おそらく世界的には、戦争という行為を肯定している人の方が多いのだろうと思います。
お礼
正しい、と言う事に納得さえ出来れば容認できる、という理解で宜しいですか? 問題が有りましたらご訂正下さると幸いです。 回答有難う御座いました。
- phantom1
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神の視点で俯瞰している間は否でしょう。第三者として観察する立場でもそうです。しかし、当事者になったとたんに是に変わる事は恐らく間違いありません。ここで、どんなに高邁な殺人否定論を展開している方も、例外なくそうなると考えます。戦争に賛成するか、反対するか。それは、その人物が置かれた立場と切迫度によって、如何様にも変わるものです。状況に応じて、最も先鋭的な反戦論者が最も過激な主戦論者に豹変する事も、決して珍しい事ではありません。 だからこそ、戦争を根絶する事は当面不可能としても、利害から超越した冷静な仲裁者が国際社会に存在する事には意義があると考えます。 つまらない回答でしょうが、こんなものでしょう。
お礼
回答有難う御座います。 >つまらない回答でしょうが そんなことはありません。
私も戦争に反対ですね。 そして正しいという意味をつけた戦争が仮にあったとしてもそれは偽善でしょうね。 質問者さんの ○国土に攻め込まれ、殺されそうになった時の自衛行為は除きます。 ってのを踏まえたうえでの回答でしょ? だったらやっぱり殺し合いは殺し合いでそれ以下でもそれ以上でもない。悪いんですよ。私らだってそんな完璧な奴なんかじゃあないんです。そんなの当たり前。みんな分かってる。 でもね肯定はできないんだよ。 そんなのがいるから戦争はなくならねえしって思います。
お礼
回答有難う御座います。
- aho0xff
- ベストアンサー率12% (218/1771)
再度です。お礼ありがとうございます。 まあ確かに質問には答えてませんでしたね。失礼しました。その上で 私個人はどう思うか?で答えます。 >Q・正しい戦争ならば良いか、或いは致し方ないか んなわきゃない。です。先に書いた自論を以ってしても・・・・です。 でも、それでも争いは起きてしまいますよ。そういうものだと思っています。 それでもおきてしまう理由が先に書いたものだと思っています。 そして戦争を個人レベルにまで落とすと、また話は違ってきますよ。 確かに戦争なんざやりたくは無い。形はどうあれ他人を殺すのだからね。 でも私なら「やらなきゃやられる」なら「やるしかない」となります。 身近な人を失えばなおさら、それでも戦争反対と武器を捨てれるほど 立派なつもりも無いので。そうなると国はあんまり関係なくなります。 自分とそして自分の身の回りだけ何とかなればそれで良しです。 そしてそのためにはどうしても相手の方を何とかしないといけないなら やるかも知れません。 個人レベルにまで話を落とせば、もはやそんな大きな事などどうでも良くなるのかも 知れません。 個人的に思い出したことがあります。前に9.11・・あのアメリカの事件の時ですが ビルを見て悲痛な声を上げている人たちと裏腹に、こちらはあんまり報道されませんでしたが 逆に大喜びの人たちがいました・・・それはアメリカからはかなり遠い小さな村であろうところで こういうことが無ければ人の良いおばあちゃんに見える人でしたが、 自らの神に感謝しつつ両手を挙げて喜んでいました。(できるだけ遠まわしに書いたつもり・・・) たくさんの人が死んだのにね。その映像が忘れられません。 戦争というのはそういうものなのかも知れないと、その時思ったのかも知れません。
お礼
再度有難う御座います。 当然難しい問題である事、どんな回答も確信なんか得られない事、承知の上で質問しました。 質問で、 >○国土に攻め込まれ、殺されそうになった時の自衛行為は除きます。 と書いたのは、自分自身の身の回りに話を持ち帰ればある程度単純化され、判りやすいと思ったからです。 殺人鬼に襲われたら、相手を殺してでも生き延びたい。別段辛い選択では無いでしょう。飽く迄も机上の空論ですが。 ただ、そういう状況になる事が目に見えている場合、つまりは自分がどう思うか、状況をどう捉えるか、ですが、自分から攻撃しなければ生きて行けない状況を考えた時、其れが仮に国家の政策であったとし、更にそうしなければ国民が生きてゆけ無いと言うシュミレーションを提示された時、戦争を仕方がないと受止めるか、それでも戦争は否定するか、と言う事をどのようにお考えになるか、之を実は一番お伺いしたかったのです。 飽く迄も論理の域を出ない段階では答えは出せない物、その様な回答と受止めて構わないでしょうか? 違うならば訂正をお示し下さると幸いです。
これまた、難しい問題だな。 確かに、戦争に「よい戦争」だの「正しい戦争」だのといってものはない。あるのは、ただ「自分にとって」よい戦争、正しい戦争のみだ。誰の目から見ても客観的によい戦争、正しい戦争などありえない。 が。ならば「すべての戦争は認められないか」というと、残念ながらオレはそう断言できないんだよな。「悪い戦争だが、やむを得ない戦争」というのもあるような気がする。「明らかに正しくないが、やらないよりましな戦争」というのもあるような気がする。 人間って奴は、そんなに立派な生き物かね。「戦争」というからどうも大げさになっちまうが、これを「争い」ぐらいにしてみると、ぐっと身近になる。「悪いとは思うが、やむを得ず争いを起こす」ことってのは、人間、誰しもある。それが個人の場合もあるし、自分たちのグループとして起こす事だってあるだろう。時には町や村ぐるみのことだってあるだろう。 その行き着くところに「国ぐるみの争い」がある。今や、それは更に広がって「仲間うちの国ぐるみの争い」という状況になってきた。ここで、「戦争は悪い」とわかっていても、しかし自分だけがそこから抜けてわが道を行くことが常に可能か、というと、こいつはきついぜ。たとえば、「戦争参加は断る!」と為政者が断言することで、すべての国民が困窮を極めるような事態に陥ったとしても、果たしてそれは正しいだろうか。 たとえばさ、「戦争で10万人が犠牲になることを避けるために、100万人の餓死者を出す」というような決断をしなければならないとしたら(実際、そんなことはない!といわんでくれ。あくまで架空の話だ)、その判断は正しいのか。オレには「戦争による犠牲を出さないためなら、それ以外のところでどんな犠牲が出てもいい」とは思えねえ。戦争の犠牲と、それ以外の犠牲に、重さの違いがあるとは考えられねえんだよな。 だから、さまざまな選択肢がある中で、「もっとも犠牲を少なくするための道」が「戦争」という選択肢であった場合、オレは「悪いことだがやむを得ない戦争」であると思う。無論、そこにごまかしがあっちゃならねえ。自分にとって都合のいい数字を並べて「これはやむを得ない戦争だ」というのは通用しねえ。まぁ、現実問題として、そうした完全な客観視が戦時下で可能かどうかという問題はあるとしても、状況によっては戦争を肯定することも、オレはある。 残念ながら、オレはあんまり完璧な人間じゃないんでな。そう考えるときがある可能性を、完全には否定できねえんだ。
お礼
回答有難う御座います。 相手に被害を齎してでも、自身の被害を軽減する為の戦争を、可能性として否定できないというご意見と受け取りました。 >完璧な人間 そんな人が若し居たら、なんと答えるんでしょうね。気には成ります。
- satotan111
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はじめまして^^。 心理学・相談を一応本職にするものです(アホですけど・・・) 戦争に良い戦争なぞありません。 【戦争・・・正しい言い方への変換・・・人の殺し合いです。】 人は誰も殺されるべきではありません。自分自身の命を含めもちろん他人の命を奪う権利を持っていません。たとえどんな正当な理由があったとしてもです! 理由があるから人を殺してもいいのでしょうか? それも正当な理由があるから人を殺してもいいのでしょうか? 刀を使い、銃を使い、ミサイル、化学物質、核等・・・を使い人を殺しますが、我々はなんと恐ろしいことに言葉によって人を殺す場合もあるのではないでしょうか。 人間は生まれた時から【命】を殺すと、正常であれば「胸のセンサー」がビクン!ビクン!と反応します。つまり生まれながらに持っている「良心」のことです。この良心に基づいて人間社会では大昔から善悪の標準的基準に定めてきました。個人としても・・・集落としても・・・やがて国としても・・・です。その大きな倫理的基準が【法律】ではないでしょうか。 もし法がないなら、無秩序、無政府状態になり人は滅んでいたからではないでしょうか。 よく、倫理面において、ある者は「善悪などない!」と言い張り、ある者は「善悪など決められない!」・・・と言います。なるほど・・・ 良心が反応するのはどんな時でしょうか?人助けをしたり、なにか一般に「善い」とされる事柄を行なった時、なぜか胸が熱くなったりもします。誰にも褒められたりしていないのにです!フシギですね^^。 逆に一般的に「悪い」とされる事柄をしてしまった時、なぜか胸が痛んだりします。誰にもバレなかったり咎められたりしないのにです!フシギですね^^。 もうおわかりでしょうか? かわいい子犬や子猫の命をある者は、目をくりぬいたり・・・石を投げつけたり・・・そして殺したり・・します。 この事実を見たり知ったりした時、正常にセンサーが働くのであればちゃんと反応するでしょう! 正常であればといいましたが、この良心・・・実は訓練して鍛えることも、そのままにしてどんどん鈍ることも可能なんです。 ですから心理学的にみて、子供の時の良心はほぼ同じ反応を見せるのに対し、成人する頃には様々な良心が存在するこの世の中。それはそれでいいんです。 しかし戦争の準備をする者達・・・例えば一例として各国の自衛隊・・・ 彼らの訓練は銃撃戦の準備だけではありません!一番重要な点としまして【良心の特殊な訓練】を施されます!何度も何度も人を殺す映像をみせられたりもしますし、話も聞かされます。最初は吐く訓練生も大勢でますが、そのうち訓練が続くにつれ、慣れるのです。つまり良心がビクンビクン反応しなくなるという訳です。言い方変えますと麻痺するという訳です。そのようにして戦争に備えます。 人を殺すのは良い事か?悪い事か? 戦争は良い事か?悪い事か? 理由があるから人殺しは良い事か?悪い事か? いかがでしょうか・・・・
お礼
つまり、いかな場合でも戦争と言う人殺しは否定する、と言う回答でしょうか? もしも私の理解が違うようならば仰って頂ければ幸いです。 回答有難う御座いました。
- rojo131
- ベストアンサー率34% (82/236)
結論からいうと、「何とも言えない」ですね。 戦争自体を肯定するわけではありませんが、当事者にとっては全ての戦争が「正しい」です。 そもそも、自分達(争いは国同士に限ったことではないのであえて”自国”とは言いません)が「正しい」ことを主張ないし証明する手段のひとつとして、戦争があるのです。 (もちろん、絶対に採りたくない手段ではあります。手段として「正しい」と言いたいのではありません) 攻めた側にとっては、攻めたことが「正しい」。 攻められた側にとっては、抵抗・応戦することが「正しい」。 したがって、これを「致し方ない」としてしまうなら、全ての戦争が「致し方ない」ということになります。 確かに、無理に戦争をなくそうとすれば、必ず歪(ひず)みが生まれます。 横から第三の力を加えるということですから。 これはとても危険。 とはいえ、「致し方ない」で片付けてよい問題ではないことも明らかです。 というのも、勢力同士の争いに民(たみ)が無関係ではいられないから。 民が犠牲にならないような戦争などないから。 人が殺されることを「致し方ない」などと言ってしまったら、おしまいですからね。 直ぐに答えを出すことは出来ないし、急いで出すべきでもないと思います。 悩み煩うことが重要というか。 回答になっていなくて申し訳ありません。 ご参考になれば幸いです。
お礼
>回答になっていなくて申し訳ありません とんでも有りません。 >「何とも言えない」 充分に回答だと思います。有難う御座いました。
- rikukoro2
- ベストアンサー率21% (1316/6195)
>戦争は良いか悪いか、と言えば殆どの人が悪いと答えると思います。 最近はそうではありませんよ 戦争ですけどね、これは手段であり善悪の区別はないと思うんです 例えば、国連決議による軍事介入 昔、イラクがクェートを侵略、併合しようとしたとき起こした 第一次湾岸戦争 これは国連決議による介入です 戦争を止めるために戦争を起こすわけですよね。 国連では平和維持のための武力介入を容認してるわけですので 戦争が悪なら 国連は悪の組織になっちゃいますよw
お礼
新たな回答は頂けないようですのでそろそろ締め切ります。 ご意見有難う御座いました。
補足
で、rikukoro2さんご自身の見解は如何でしょう? 戦争は場合によっては手段として取って良いものかどうか、之が質問の趣旨です。
- hyakkinman
- ベストアンサー率16% (738/4426)
「戦争」=「武器を持った殺し合い」とするならば・・・、 たとえ、相手が「極悪人」であったとしても、「他人様の命を奪う」くらいなら「自分が死にます」。 「正しい、命の奪い合い」などありえません。
お礼
回答有難う御座います。
お礼
何度も有難う御座います。 戦争と言うもの、これを肯定するのか否定するのか、言い換えれば戦争をしなければ成らない状況が訪れた場合に賛同するのか拒否するのか。 端的にはこういう事が質問の趣旨でした。 勿論こんな物に明確に答えられる日本人はそうは居ないとは思ってはいました。が、それでも、戦争そのものは何が有ってもやってはいけないものか、或いは事情によってはやるべきか、と言うところで皆さんがどう考えていらっしゃるかを知りたかったのです。 一概に戦争反対とは簡単に言えます。 また、専守防衛に徹するとも。 しかしいきなり殺されるのは嫌でしょう。 その為にどうするか、と言う段階では戦争の可能性も論じない訳には行かなく成ります。 戦争という物をどう捉えるか、これは解ります。 しかしいざと成った時に絶対に反対なのか、場合によっては賛成なのか。或いは決めかねるのか。 今回のお答えでdell_OKさんの回答は理解しました。 また、 >どうにかなるのならどうにかして欲しい どうにかできるならば、如何にかしたい、これは残念ながら私も同様です。 ただ、誰かがどうにかできる問題でもありません。 戦争に反対であれば、何が何でも戦争回避の道を模索するのか、或いは戦争をする事の方が被害が少ないのなら率先して戦争を行うのか。 これは誰もが皆等しく考え、悩まねば成らない問題です。 誰も解決してはくれません。 強いて言えば、どちらにしても絶対にこうする~と言う強い意志を示すかどうかと言う事だと思います。 重ねて再三の要求に対する回答、有難う御座いました。