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ペットの最期の瞬間を看取ったかたに伺いたいです。
16年間一緒に暮らしてきた愛犬が31日の朝、天国に旅立ってしまいました。雑種で捨て犬だったのですがクリッとした大きな目の、本当にかわいい顔をした、見た目も存在も唯一無二の愛犬でした。 骨肉腫だったのですが、最後の2日間は痛みからか夜通し鳴いていて、私も1日仕事を休み看病をし、夜は母が寝ずにそばについていました。 亡くなる朝、私が出勤準備をするためにまさに2階へあがろうという時、玄関に寝かされていたその子を見ると、枕から頭がガクンと落ちてしまっていました。前日に強い鎮痛剤を処方してもらっていて「やっと痛みが和らいできたかな」と家族と言っていたくらい、久々に目をウトウトさせ始めていたので、私たちも少し安心して朝食をとっていたのです。そのほんの少し目を離した間でした。 頭が落ちるくらい熟睡しちゃったのかな?なんて思いつつ近寄ってみると、目が一点を見つめ、今まではいくら目を見開いていても顔を撫でるとまばたきをしていたのに撫でても何の反応もしませんでした。私が両手で顔を起こしても反応が無く、お腹を見たら呼吸をしていない・・・一生懸命名前を呼びました。すると固まった目のままで私を見つめ(見えていなかったでしょうが)、もう呼吸すらできていない状態の中、口を小さく開いて鳴いたのです。鳴いたと言っても空気が漏れる音の中にかすかに「ひゅーん」と聞こえるくらいでしたが、本当に一生懸命鳴いたのです。全部で3回。だんだんと小さくなり最後は口を開いただけでした。なんとも言えない声でした。目は完全に生気を失っていたのに、口を一生懸命開けて、最後の力をふりしぼってくれたんだと思います。 私はあれだけ最期を看取りたいと望んでいたのに、いざ愛犬の命の火が消える瞬間に立ち会ったら、最期にどんな想いで鳴いたんだろうかと考えては胸が痛くてたまりません。最期に立ち会えなかった飼い主さんもたくさんいらっしゃるのに、その瞬間を自分の手の中で迎えてくれたこと、私は本当に幸せ者だし嬉しいのに・・・。 まだ亡くなった翌日だからかもしれませんが、あの時の声と目と、懸命に開けた口元が忘れられません。でもずっと忘れたくありません。なんとも複雑な想いでどう整理したらよいのかわからないのです。ただ悲しいとか寂しいとかじゃない、それ以上のものです。 ペットの最期を看取った方にお聞きしたいです。最期に立ち会って何を思いましたか。どんな気持ちでしたか。辛いことを思い出させてしまうかもしれませんが、どんなことでもいいのでお聞かせ願えないでしょうか。よろしくお願いいたします。(長文・乱文お許し下さい)
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16年も一緒に暮らしてきた愛犬が亡くなる事は、本当に言葉には表せないくらい悲しい事ですよね。お気持ちお察し致します。 私も、16年間一緒にいた愛犬を2年前の10月に亡くしました。うちは小型犬のパピヨンで最後は老衰でした。 亡くなった時の事は、もちろん今でもはっきり覚えていますし、一生忘れません。 うちの子は、亡くなる3年程前から白内障で目が見えなくなっていました。最後の1年ぐらいはボケも始まっていましたので、犬用のオムツをしていました。 もう年老いていましたので、ほとんど1日中寝て過ごす毎日で、動きも遅く走ったりする事もありません。でも起き上がれないとかそういう事はなかったのに、亡くなる3日前の夜、いつも寝ているベットではなく、台所の方で横になっていたんです。横になっていたというより、起きたくても起き上がれないという感じです。 びっくりしましたが、その時はそこまで気にしていませんでした。 そして、亡くなる前日の夜、私が帰ってくると細い声で『ワン・・ワン』と2回ずつ鳴きながらベットで横になっていました。ずっと鳴いているんです。その時はもう自分で起き上がる事はできてませんでした。 うちの母が夕飯を作りながら、『もう死んじゃうかもしれない』と泣いていました。朝はこんな風に鳴いてなかったしいつもと同じように見えていたので、信じられませんでした。何で急に?どうして?という気持ちでいっぱい。 その日の夜は、家族で交代しながら見ていて、時々向きを変えたり支えながら座らせたりしていました。 その日は1日、水も飲まず、もちろんご飯も食べれない状態で、ずっと鳴いていたので、かなり体力は弱っていたと思います。 そして次の日の朝10時頃、静かに亡くなりました。 目は開いていました。1点を見つめる感じで・・・ だから目を閉じてあげて、家族全員で交代で抱っこして・・・ まだ体はあったかかったけど、支えてないと頭がダラ~ンとなっちゃう感じで、それを見た時に ”あぁ、本当にもう死んじゃったんだ”って思いました。『ありがとね』『頑張ったね』って言いながら家族全員で号泣しました。私とその子と2人っきりになった時は、もう鼻水ダラダラで泣き叫んで、本当に気が狂いそうなくらい辛かったです。 やっぱり、どこの家庭もうちの子が一番可愛いと思いますし、いつか死んでしまうのは分かっているけど、でも死ぬなんて信じられない、信じたくない、うちの子は死なない みたいに思いませんか? 私は思っていました。これからもずっとずっと一緒。同じ瞬間に死にたいと思っていました。それぐらい大好きで愛おしかった。 ペットじゃなくて家族ですよね。うちは、私が小学生の頃から一緒にいたので、兄弟みたいな感覚でした。 嬉しかったのは、あの子が最後に着てくれた服が私が買った服だった事。あの子の匂いと毛がついた洋服。2年経った今でも洗わずに大事にしまってあります。 16年も長生きしてくれた事、いつも一緒にいてくれた事、いつも大きな瞳で見つめてくれた事、必要としてくれた事・・・全てに感謝の気持ちでいっぱいです。出会えて本当に良かった。 質問者様のずっと忘れたくない気持ち、痛いほどわかります。 忘れないで下さいね。本当にただ悲しいとか寂しいとかじゃない、それ以上のものですよね。言葉にはできない。経験した人にしかわからない気持ちだと思います。 質問者様は、『虹の橋』と『虹の橋のたもと』というお話はご存じですか? 私は、これを読んだ時は涙が止まりませんでした。でも、亡くなってから毎日毎日泣いていたのに、これを読んでからは、何故か少し気持ちが楽になれたんです。それからは、よく空を見るようになりました。もしよろしければURLを貼っておきますので、一度ご覧になってみて下さい。
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初めまして、私は現在家族持ち44歳の♂です、私が30代の頃に経験ありますが、我が家の場合はネコでしたが僕が小学生で姉が確か中学生位の時に姉の友達の所で生まれた子猫を貰い我が家で飼うようになりました、旅立つまでなんと、21年間も一緒に生活していました、私の人生の半分以上をその猫と過ごしてきたことになりますね、かって15年位経った時に動物愛護団体?から長寿ネコとして賞状も頂きましたが、更にそこから6年程生きていました、最期は、一か月間、飲まず食わずで頑張っていました、それでも最後の最後まで水を飲もうとする行動とかありました、最後の日は、夜、姉の部屋で息を引き取りましたので私は見ていませんが次に日に最後の姿を見ましたがとても穏やかで、良い顔をしていました、姉に聞いたところ最後は、大きく呼吸を何回かして旅立ったそうです、長い文章になりましたが、私は悲しいとは思いませんでした、だって、人生の半分以上もそいつと過ごしてき沢山の思い出があるし、21年も生きてくれたのだから、幸せだったのではないでしょうか、ながくなって、すいませんでした。
お礼
ご回答ありがとうございます。21年だなんて素晴らしい猫ちゃんですね。さぞかしかわいかったでしょう~。表彰までされちゃうなんて、自慢の猫ちゃんですね。まさに大往生ですから、猫ちゃんもご家族もたくさんの思い出があり幸せだったと思います。ついつい亡くなった寂しさから、そういった楽しい思い出を忘れがちでした。痛くて鳴いていた声がまだ聞こえるような気がしたり・・・。そういえばうちのわんこも最期は昼寝をしている時のような穏やかな顔だったんです。今ではその顔が幸せだったって言ってくれていたのかな、なんて思います。ありがとうございました。
私は今年の7月に初めて犬の最期を看取りました。友達の家で産まれた子でお腹にいるときからみていました。肉芽腫性髄膜脳脊髄炎という脳の病気でした。自己免疫疾患で発症してわずか2ヶ月でこの世を去りました。現在の治療では治らない病気だそうです・・・。亡くなる3日位前から調子が急に悪くなったのでほぼ寝ずに看病していました。前日、朝6時頃ちょっと横になろうとその子を連れてベッドへ。3時間くらいして目を覚ますともうその子の意識はありませんでした。何で眠っちゃったんだろうってすごく後悔しました。寝る前まで普通に私のヒザにだっこされて顔とかペロペロしてたのに・・・。翌日亡くなる少し前に目をあけたんです。でも涙目でした。それから間もなく息をひきとりました。泣くほどきつかったのに助けてあげられなかった…私はその子を可愛がってくれてた人達に永眠したことを報告しました。その時、その子をもらった家のママに言われた言葉「あなたにこれ以上心配させたくなかったからあなたが眠ってる間にあの子も横になったんじゃないかしら。最期だって悲しいとかつらくて泣いたんじゃないんだよ。ずっと一緒にいてくれてありがとうって言ってたんだよ。犬にとっての1番の幸せは最期を家族と一緒に自分がずっといた場所で迎えることだと私は思うよ」そう言ってもらえたおかげで火葬の出棺の時私こそありがとうって後悔だらけじゃない気持ちで見送ることができました。glasnostさんのわんちゃんもありがとうって伝えたかったのではないでしょうか。
補足
ご回答ありがとうございます。読んでいてまた涙が出てきました。産まれる前から見ていたわんちゃんだなんて本当に家族同然ですね。亡くなる直前まで回答者様の膝にだっこされていたということは、わんちゃんもうれしかったと思います。そしてわんちゃんの涙は悲しい涙じゃなかったのでは、と私も思いました。別れるのが辛いっていう涙だったとしても、それだけ飼い主さんを大好きだったってことですもんね。 うちの犬も亡くなる前の数日は涙目だったんですよ。泣くなよ~とか言って笑ってたんですけど、内心「痛いのかな、辛いのかな・・・」って心配でたまりませんでしたが。言葉を喋れない動物達はきっといろいろな形で私たちに気持を伝えてくれるんだと思います。悲しんだり後悔ばかりしていないで、その気持ちをきちんと受け取ってあげないとダメですね。わんちゃんが産まれた家のお母様の言葉に私も救われた思いです。ありがとうございました。
- rock0518
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我が家は10/11早朝に3歳10ヶ月という短い生涯を終えた子が居ました。 ガンでした。2歳に「消化器官型リンパ腫」と言われ抗がん剤治療をし、外科手術もしました。手術後大変体調も良く私たちにも希望の光が見え始めてきた矢先でした。今まで発病してから「本当にこの子はガンなのか」と思う位元気で、食欲も旺盛でした。嘔吐してから急に食欲がなくなり全く食べ物を受け付けなくなりました。 元気だった頃から一変して段々弱っていく姿を目の当たりにしてきました。すごく辛かったです。 結局肺に転移してしまい、呼吸に問題が生じてきました。 毎朝点滴を受けに病院に通い続けて僅か5日後でした。 前日の晩は今までにない呼吸の苦しい状態で、翌日の朝は医療センターでの抗がん剤治療の予定があり、私たちもその日がある意味抗がん剤による効き目が出てまた体調が良くなるのではないかと期待していたので、夜間診療などにも行かず様子を見ていました。 寝床につき愛犬は苦しいのか何度も何度も体勢を変えていましたが、楽な場所が見つかったのかおとなしく寝始めました。 私も何時間かは気になり起きていたのですが寝てしまい、パッと目が覚めた時異臭がしたのです。すぐに愛犬を探し、私の足元に横たわっている愛犬が前足をグッと伸ばし「ウーッッ」と苦しそうな声。その後愛犬のお腹を見るとお腹が動いていませんでした。 すぐに主人を起こし、二人で名前を読んだとき。。。最後に心臓がドクンと動き目は一点を見つめ、口は半開きの状態でピンク色の液体が出ていました。おそらく最終的に「肺水腫」になっていたようです。 夜間診療に行かなかった事をすごく悔やみました。もちろん最期の苦しそうな声、目、頭から離れない日々が続きました。 でも今は夜間診療に連れて行っていたら最期は病院で、しかも看取れなかった可能性があったんだ…と。「犬の十戒」にもあるように“最期は看取ってください”という言葉。私はあの言葉は一緒に生活を共にしてきたどの子にも持っている気持ちだと思っています。だからあの子にしてみたら看取られる事が何よりも嬉しい事、幸せなんだろうと思うようになれました。 私は今でも生前と何も変わらない接し方をしています。着せていた服などを持ち、仏前で声をかけ散歩に行きます。姿は見えないけど愛犬からは私たちが見えていて傍に居てくれているんだろうと思っています。 ご冥福を心からお祈り申し上げます。
お礼
ご回答ありがとうございます。先月11日ではまだまだ寂しい気持ちはお強いでしょうね・・・そんな中でのご回答感謝いたします。 4歳にも満たない子を見送ることはさぞお辛かったと思います。しかし出来る限りの手をつくされ、最期も看取ることができたということは、わんちゃんの心に深く刻まれていることでしょうね。回答者様も最期の苦しそうな姿を忘れられなかったのですね。苦しんでいる姿ならなおさらで、誰もが眠るように安らかに・・・と願いますもんね。 みなさんの回答を拝見していて思ったのですが、もし自分が死ぬ時は、どんなに苦しい姿であっても一番大切な家族にそばで見守っていて欲しいだろうなと思ったんです。人間も動物も、それは同じなのではないかと・・・。ですから回答者様がふと目を覚ましたのも、わんちゃんが知らせてくれたんではないかなと。最期までがんばった姿を大好きな飼い主さんに見届けて欲しかったのではないでしょうか。そういうことが偶然ではなく実際にあるんだと、私も身をもって体験したような気がします。私も犬の十戒を愛犬からの言葉のように読みました。看取れたことを本当に幸せに思えてきました。 回答者様のわんちゃんも、今は苦しみから解放されて遊びまわっているでしょうね。生前と変わらずに話かけてもらって喜んでいると思います。いつか再会できる日を楽しみにしたいですね。私も小さいのに頑張ったわんちゃんのご冥福をお祈りいたします。ご回答ありがとうございました。
- inuyosi
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まずはワンちゃん、そして質問者さん、お疲れ様でした。 今まで3頭見送りました。みな中型以上の大きさでしたが、13歳以上がんばってくれました。犬も人と同じで、さいごに生き様をそれぞれ見せてくれました。 はじめの子は17歳。老年性の心臓疾患で、発作を起こし、最後の力を振り絞って一声鳴き、家族全員を呼び集めて私の腕の中で息を引き取りました。 二番目の子は、質問者さんの状況と少し似ています。悪性腫瘍でしたが家で看取りたいと(その代わり毎日往診していただきました)サークルに寝かせ、くっつけて置いたソファで私が連日の看病疲れでついうとうととしてしまった数分の間に、いってしまいました。10分前まではおなかで呼吸をしているのが確認できていました。余命数ヶ月と言われてから二年半以上がんばった、頑固で根性のある子でした。 三番目の子も悪性腫瘍でした。昨年のことです。前の二頭同様、看取りたい気持ちもありましたが、一番気持ちを寄せていた子だったので正直、看取ったあと精神的に耐えるだけの自信が、自分にはありませんでした。色々と手を尽くし、さいごは前述の、前の子の時に毎日往診してくださった、心底信頼している先生に手術をお任せしました。 高齢でリスクは承知の上でしたが、手術を選択しなければ、あとはもうやせ衰えて衰弱死するのを見守るしかない、という状況でした。私はその子の生命力に賭け、手術が終わるのを待ち、無事に終わったあと麻酔が覚めきらないうちに家族で会いました。本当はその晩は病院から数分のところに泊まるつもりで用意していましたが、連日看病でろくに寝ていなかったこともあり、今日は安心してよさそうだとのことだったので、後ろ髪を引かれながらも病院をあとにしましたところ…。帰宅途中で容態急変の一報があり、…結果的に看取ることができませんでした。 大型犬にも関わらず、普段から片時も離れたことがないと言っても過言でない生活をしていたので、事情を知った友人知人も「あんなに一緒にいたのに…。どうしてさいごに限って看取れなかったの?」と皆驚きました。 でも恐らくその場にいたら、私はきっと精神的に耐えることができなかったと思います。それと…なんとなく、その日がお別れになることが、心のどこかでわかっていました…。大丈夫となんど頭で否定しても、心で「わかってしまっている」自分がいました。それでも家族や先生に説得され、なにか自分の知らない「力」のようなものに押されて、私は病院を後にしたのです。普段の自分の思考回路なら考えられないことですが…。 ただ、息があるうちに会うことはできましたし、その子がさいごを見せないようにそうし向けたとしか思えないと、家族や友人は皆口々になぐさめてくれました。そして私自身、時間が経つにつれ、強くそう感じるようになりました。これでよかったのだと。 どの子も全力で生きました。私と家族もそれに精一杯応えました。ぶっちゃけ、私は仕事も友人もそっちのけで、犬好きとしてはともかく、人としてはどうなの?というぐらいに(笑)。 ということで、私は看取る、看取れない、どちらも体験しました。もちろんどんな形でもお別れは寂しいし悲しいですが、いつか虹の橋で全員揃って迎えにきてくれる日が来るまで、胸を張って彼らに会えるよう、今いる子との生活を満喫しようと思っています。…と言っても、今でも泣きますよ、彼らを思い出すと。でも、同じくらい?それ以上?笑える楽しい思い出もたくさんあります。 今の子も病気持ちで辛いときもありますが、3頭が力を貸してくれると信じて毎日暮らしています。愛犬さんは、空へ帰っても、必ずあなたや家族にこれからも力を貸してくれると思います。あなたが忘れさえしなければ、毎日のちょっとした出来事の中に、「あ♪」と愛犬さんを感じる瞬間が、きっとありますよ。長文、失礼しました。 PS 愛犬さんへ。飼い主さんのこと、これから頼みますよ!
お礼
今までのわんちゃん全てのお話をしていただき、ありがとうございます。目頭が熱くなってしまいました。そうですね、看取れた子、看取れなかった子、どちらにしても飼い主さんに寄せた想いはみんな同じだったはずですし、回答者様も納得できる最期であればそれが一番よかったのだと思います。3番目の子はきっと飼い主さんのことが心配でしょうがなかったんでしょうね。だからちゃんとお別れをしてから、安心して帰ってもらったのかもしれませんね。強い子だったんですね。 うちもこの子で4代目のわんこでしたが、最期の姿を見届けることができたのが、私の人生の半分以上を一緒に過ごしたこの子でした。それだけに「枕から頭が落ちていなかったら、私たちが気がつかないうちに逝ってしまっていたんだから、きっと知らせてくれたんだ」という気がしてきました。そして最後に鳴くだけの息を残してくれていたこと、本当に偶然とは思えない気持ちでいっぱいです。だからこそちゃんと最期までがんばった姿を忘れちゃいけないし、悲しいだけの思い出にしてはいけないと思いました。 楽しい思い出が涙を超える日がくること、そしてこの子が天国から力を貸してくれることを信じて、この子の為にもしっかり立ち直ります。いつかふとした時にこの子を感じることができるように。たくさんのいいお話、とても励まされました。どうもありがとうございました。
- tintaimama
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昔飼っていました。 中学生の頃足を骨折して病院に行けず一晩痛みをこらえてすすり泣き。 猫は一日20時間寝るとも言われる動物ですが その時ばかりは私の傍から離れずとても心配そうに朝まで見守って くれました。 死ぬ日の朝。それまで2ヶ月以上動けなくて食事もトイレも 介助が必要だったのにすでに就職していた私(中学生の骨折の頃から 早10年以上経過)が朝仕事に行く時に元気に玄関まで見送りに 来てくれました。 私は仕事から帰るのが遅かったので自分の死を理解して 最後の別れに来てくれたのです。 私もすぐに理解し、泣きながら出勤しました。 今思えばその日くらい仕事を休めば良かった。 そして母が夕方パートから帰宅するともう息も切れ切れ。 慌てて父に「早く帰ってきて」とうちの猫が一番好きだった父に 最後の別れをさせてあげたい母が電話し、飛んで帰ってきた父に 抱かれそのまま他界しました。 猫は死ぬ時出て行くのが多いようですがうちの猫は父のひざの上で 死にました。 縁起でもない話を書いてしまいましたがうちの家族にとっては とてもいい最後でした。 他の方への回答の引用ですが失礼します。 こんばんわ。 ご質問者様のワンちゃん、ご家族みなさんにとても愛されて そして看取ってもらえ、本当に幸せだったことでしょう。 犬は悪い事しないからみんな天国で仲良く暮らすと他の質問でも 読んだ事があります。 きっと今も天国で幸せだった日々を思い出しているのではないでしょうか? 実際には、うちは看取ったのは私ではなく父親、母親でしたが 私も最後の挨拶をもらい、泣きながら出社したことを今でも 鮮明に記憶しています。 そして帰って、すぐに良い最後だったという話を親に聞かされました。 いつも遅いので寝ている母もその日ばかりは起きて泣きながら私の 帰りを待ってくれていました。 今でも家族でその話をすると泣きます。 そしてかわいかった生前の思い出話に興じます。 それが供養だとみんな言葉にはしませんが思っているのですね。 毎回同じ話になります。でもみんな「またか」なんて言いませんし 同じような繰り返しです。 家族でした。 とてもワガママでまさに猫でしたが本物の家族でした。 私にとっては姉のような存在。 悲しいですがこれからもいっぱい思い出してあげて下さい。 死を悲しむのも今は必要です。でもこれからは 楽しかった、かわいかった家族の思い出を残された家族で たくさん話して下さいね。 そして本当の笑顔がご質問者様とご家族に早く戻りますように。
お礼
ご回答ありがとうございます。猫はマイペースというイメージがありますが(ごめんなさい)、質問者様のことを心配してついていてくれるなんて、なんと健気で優しい子なんでしょうね。思いもよらぬ時に動物は力になってくれるもんなんですよね。最期のあいさつに来てくれたり、何よりも大好きなお父様の膝の上で最期を迎えてくれたとは、とっても家族想いのネコちゃんだったんでしょう。最期の姿を見せてくれるというのは、動物にとったら恩返しなのかなと、ふと昨日思いました。うちも昔は2匹ほど猫を飼っていましたが、どちらもいつの間にか姿を消していきました。それも動物の気遣いと強さなんでしょうかね。どちらにしてもかわいがってくれた家族のことを忘れる子はいないんですよね。 回答者様が「とてもいい最後だった」と言い切れるのですから、ネコちゃんはそれ以上に本望だったろうと思います。うちの愛犬もそう思っていてくれたらいいな、ということばかりを考えています。回答者様も仰っているように、私にとって友達であり、妹であり、子供でもありました。私の人生の半分以上を一緒に過ごした大きな大きな存在でした。思い出はたくさんあります。火葬はあさってなので、せめてそれまでは思いきり悲しんで、きちんと見送ったら楽しかった思い出を家族と笑顔でたくさん話したいと思います。 色々とお話しいただき、少し穏やかな気持ちになれました。思い出させてしまったら申し訳ありません。どうもありがとうございました。
補足
「質問者様」と書いてしまった部分がありますが、「回答者様」の間違いですm(_ _)m失礼いたしました。
9月に17歳の愛犬を亡くしました。 1年間通院点滴と、痴呆の介護をしていました。 少し体調が悪くなっていたのですが、持ち直したように思えていたので、まさかこんなに早くお別れがくるなんて・・という 状態でした。 朝、起きた後、少し水を口に含ませて(このときは水を飲みました)、その10分後には亡くなっていました。 介護が一年と長く、通院も長期にわたって心配だらけの日々を過ごしていたので、 なくなったその日は家族全員で精一杯の世話ができたという安堵のきもち、すがすがしい気持ちが強かったのを覚えています。 ワンコによくがんばったね、ありがとうと心から感謝もできました。 苦しむことなく眠るように旅立ってほしい、できれば寝たきりにならず自分の足で歩ける日々を過ごしてほしい、 と思い続けた一年で、それがすべて叶ってよかった・・という気持ちも強かったのを覚えています。 静かに旅立った犬を、悲しいけれど取り乱すことなく静かに見送ることができました。 実は今日がちょうど49日でした。 日が経つにつれ、亡くなった直後のすがすがしい、できるだけのこととができた・・という気持ちよりも 寂しさが強くなってきています。 ただ、亡くなった直後は介護中の姿を思い出していましたが、最近は若く元気だったころの 走り回る元気いっぱいの姿が浮かぶ事も多くなっています。 どちらにしても、涙があふれるのには代わりがありませんが・・。 今頃どこを走っているのだろう、と空を眺める毎日です。 ワンちゃんのご冥福を心からお祈りしています。 とりとめのない文章でごめんなさい。
お礼
ご回答ありがとうございます。質問者様のわんちゃんも長寿だったんですね。1年もの通院と介護はさぞ大変だったでしょうけど、それだけにやれるだけのことはやったというご家族の満足感と、わんちゃんの方も感謝の気持ちでいっぱいだったと思います。 私もやれるだけのことはやったと思っていますし、先が長くないとわかってからは今まで以上に可愛がり、多くの時間を接してきたつもりでした。ですから全然悔いは残っていないはずなのに、この締め付けられる想いは一体何なのか、わからずに苦しんでいます。本当は回答者様のように、悲しいけれど「ありがとう」とスッキリした気持ちで送ってあげなければいけないのに。 49日を迎えられたのですね。ということはわんちゃんはもうすっかり虹の橋のたもとで幸せな思い出を胸にのんびり過ごしていることでしょう。私もそれくらい時間が経てば、元気だったころの姿の方が思い浮かぶようになると信じています。それとは逆に寂しさは強くなるというのは本当かもしれませんけどね。 私も今日はふと秋晴れの空を眺めて走り回っている愛犬を想像しました。一瞬穏やかな気持ちになれた気がしました。とりとめのない文章だなんてとんでもないです。まだまだ寂しさの残る中のご回答、ありがとうございました。
補足
「質問者様」と書いてしまった部分がありますが、「回答者様」の間違いですm(_ _)m失礼いたしました。
>最期に立ち会って何を思いましたか。 5月に愛犬をなくしました。 うちの場合は数ヶ月の闘病生活のなか、夜半から具合が悪くぐったりしており、 朝方、体温が異常に下がっていたため、担架にのせて病院に運びました。 嫁は開院前のどうぶつ病院に人を呼びに言っている間に、 車の中で待っていた私の目の前でふっと崩れ落ちるように目を閉じました。 その時はなにも思いません。ただ、大きな空白が胸にぽっかりとあきました。 いまだに穴はふさがっていません。 悲しいというより、いまだになんの脈略もなく突然涙がこぼれます。 今でも思うのは、私はちょっとはましな飼い主でいてやれたのだろうか。。 と思うだけです。泣かせる質問です。
お礼
ご回答ありがとうございます。泣かせてしまい申し訳ないです(泣)5月ではまだまだ寂しさは癒えませんよね・・・。 >その時はなにも思いません。 なんとなくわかります。私はその時は現実が飲み込めず、変に冷静な自分がいて、母の方が大泣きしていました。それが時間が経つにつれてジワジワといろんな感情が渦巻いてきて苦しんでいます。 >大きな空白が胸にぽっかりとあきました。 それだけ家族同然、いつもそばにいるのが当たり前の存在だったんですもんね。悲しいなんていう言葉では言い表せないですね。私はまさに体の一部がなくなってしまったかのように力が入りません。家族と思い出話をして笑っていても涙が出てきます。夜中に突然目が覚めて、もういないんだという現実と最後の顔を思い出して号泣してしまいました。 回答者様も闘病生活を最後まで見守り、諦めなかったんですから、ましな飼い主どころかワンコにとっては世界一のご主人で、心から感謝しているだろうし幸せだったはずです。まだまだ穴はふさがらないとは思いますが、たくさんの楽しい思い出がその空白を埋めてくれる日がくることをお互い信じましょう。ありがとうございました。
お礼
ご回答ありがとうございます。なんだか状況がちょっと似ていたので読みながら涙が出てきてしまいました。お辛いことを思い出させてしまって申し訳ございません。でもどんなに悲しい別れの瞬間でも、一生忘れないという回答者様の気持ち、それは決して未練とか後悔ではないんですよね。回答者様が買ってあげた服を着て旅立ったことも、きっと偶然ではなかったんだと思います。わんちゃんの今までの感謝の気持ちがそこにこもっているようですね。 仰る通り、元気な頃は本当に「この子がいつか死んじゃうなんて信じられない」とずっと思っていました。いっつも撫でながら「あんたが死んじゃったらおねえちゃん(自分)生きていけないよ~」なんて言っていました。でもどこかでこの日が来ることを覚悟している自分もいたんです。亡くなった時は動揺して泣く母より、自分はしっかりと状況を見極めようとなぜか冷静でした。だからこそあの時の顔が忘れられない、苦しそうな最期の表情を忘れたいけど忘れたくない・・・その複雑な気持ちでどうしていいのかわかりませんでした。 でもみなさんの回答を読むうちに、あの時の顔と声は苦しかったわけではないんだとだんだんと確信してきました。忘れてはいけない、悲しい別れとしてではなく、幸せな最期として心に残そうと思うようになりました。 「虹の橋」は実は亡くなる一週間前くらいにたまたまネットで見つけて読み号泣しました。亡くなった後は読んだら絶対に泣いてしまうと思って避けていましたが、いま回答者様に教えていただいたサイトを覗いてみましたら、とてもすがすがしい気持ちで読むことができました。本当に空で私たちのことを待ってるように感じますよね。きっと回答者様ののパピヨンちゃんも、その服を着て遊びながら再会を楽しみにしていることでしょうね。 いろいろお話いただき、とても気持ちが楽になりました。本当にありがとうございました。