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戦後の尾崎行雄
憲政の神様尾崎行雄。 彼はもう既に年老いた身であるに関わらず、太平洋戦争中政治批判でつかまっています。 しかし戦後、パタッと名前を見かけません。調べてみると、一応衆議院議員として在籍して1953年の選挙で初落選し、引退とまでわかりましたが、何か行動したかはわかりません。 戦後は何かしらの行動をしたのでしょうか。 無所属だったのですか。登院してたのですか? なぜ53年は落選したのですか? 尾崎の戦後の言葉など気になります。
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- shoyosi
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回答No.1
戦後は政界の長老だった立場で「世界連邦構想」を打ち出し、そこそこの支持もありましたが、世間が講和形態をめぐり、左右の勢力が激突するようなとき、単独講和に賛成したのが左の勢力が多かった支持者の多くからそっぽを向かれ、落選したと思います。 http://www.asahi-net.or.jp/~zp8s-ysd/ozaki.html 世界連邦 http://member.nifty.ne.jp/uwfj/uwfj05.htm 戦後の言行は「わが遺言(昭和26)」という書籍で将来の日本を背負って立つ若人向けに「ひとづくり」に対して関心を持ったようでいろいろ述べられています。下記のHPで翁の各時代の言行録がまとめられています。