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過去の出来事
過去にあった嫌な出来事を思い出す事が多く その度に落ち込んだり近くの物に八つ当たりしてしまいます。 変えられない過去だと判っていても 何度も何度も上記のような事が起こってしまいます。 どうすれば止められるでしょうか?
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- tinycat19
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過去を思い出し、悔やむのは、現在を生きていないからです。 現在の一時間を、多忙と仕事で埋めてみてください。誰も囚われた過去などに立ち返ることは一度もありません。 現在が、精一杯な状況なら、過去を思い出すことなどないのです。この瞬間を、判断力で埋めていくなら、または、奉仕や犠牲にささげていくなら、忘れられるでしょう。 私自身、十七年前の過去の不愉快な経験を思い返し、反芻し、日に何度と思い返しました。しかし、ここ二年ほど、忙しい職場に、日に四時間行くようになったら、ほとんど思い返さなくなりました。 ボランティア活動でも、よいから、仕事や奉仕活動をしてみてください。人の為に、意義のある仕事を成した時、忘れられます。 まだ、人生は長いです。過去に埋没するほど、年月が無駄なものはないでしょう。 頭を使って、体を使って、程よく疲れた肉体と精神には、快い眠りが訪れます。 どうか、今の瞬間を有意義に生きることを誓ってください。 不愉快な経験は、共感者が現れると、忘れられます。心の中を打ち明けられる人をどうか、プライベートで探してください。 現在を生きるのは、あなたです。不愉快な過去の他人は、もう現在は、存在しておらず、状況も変わっています。 不愉快な他人に惑わされないように。私のリラックス法は、過去のバブル時代の、洋楽を聞くこと、いい時代を思い返すとき、そっと微笑むことができます。
- sango30
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こんにちは。 お辛いですよね。 カウンセラーさんから伺った方法を3つ書いてみます。 (1)ある嫌なことが思い浮かんで頭から消えなくなったら、 「ストップ!」と声に出して、場所を移動する。 この時、必ず「ストップ!」は声を出すこと。思い浮かべる だけじゃダメ。 場所を変えて別のことをやる。場所を変えるというのは、 ソファに座っていたら、隣のソファに移るだけでもいい。 また考えが浮かんできたらまた「ストップ!」 これを繰り返すうちに忘れていく。 (2)思い出してしまった出来事を、紙に手で書きだしてみる。 書き出すと冷静になり、それだけで頭から消えることがある。 (3)そのいやな思い出の時の自分を想像し、どんな気持ちだったかを 考える。そして、思い切りその時の自分を今の自分で抱きしめて あげる。「いいんだよ。あなたはあなたなりに頑張ったんでし ょう?」と許してあげる。 いかがでしょう。 効くといいですね。
嫌なことを思い出すのは、相手に理不尽なことをされた、不当なことをされた、自分の言い分は聞き入れられなかった、本当の自分よりも低く評価されたなどと考えるからだと思います。 そのこと自体が解決されなかったので怒りがくすぶっていて、頭にこびりついてしまい、いつでも燃え上がる状態に入ってしまっているのでしょう。 心理学や精神医学を自分なりに学び、怒りの対象や自分のことを分析できるようになるとある程度納得が得られて、過去の怒りへの拘りは少なく、もしくは無くすことが出来ると思います。 このことにより、自分の物の見方が修正されて、物事への違和感が小さくなることで、相手のことや事件を受け入れ易い形に持って行けると思います。 例え家族であっても人それぞれ、自分には分かり得ない過去や役割の分担があり、これに元々の資質が加わって、人格や行動パターンが出来上がっている以上、いかに相手を心の中で責めても虚しいことか理解できるようになると、過去を振り返ったり、今に結びつけて腹立たしく思うことは無くなって行くと思います。 自分なりに仮説を立てて、怒りの対象となった事件や人物を受け入れたとします。 でも、やはりこれも結局は推測です。 かなり近い形に迫っていることはあっても真実ではないのです。 所詮本当のことなど誰にも分からないし、自分が楽になるために、歪んだ見方を矯正したに過ぎません。 でも、それでいいのです。自分が理解されなくても、それはこちらにも言えることだと分かれば、本当は対等だったと思えることでしょう。 優劣を付けて、自分を苦しめていたのが自分自身だったのだと分かれば、怒りの念から解き放たれることが出来ます。 もっと分かりやすい言葉に有名な「汝の敵を愛せよ」があります。 「汝の敵を愛せよ」の愛とは“許すこと”です。 仲間にせよという意味ではないのです。そのままで受け入れなさいという意味なのです。キリスト教徒ではないけれど私も自分なりに解釈しました。 ――この許しの対象は単純に“敵”を意味するのではないと考えました。 過去の憎しみに囚われて、いつも相手を呪うこの行為自体も自分を苦しめていることになります。この自分を苦しめている思いがまた自分が作り出した敵なのです。 自分の敵を許した瞬間、自分自身も怒りの念に囚われることなく、穏やかな心を取り戻すことが出来るのです。この行為によって許されるのは自分でもあるのです。