自然体でなんでもできる人
僕は何かをするとき、集中します。
何か1つの網羅的なコツに一点集中して、取り組みます。
向上心がある場合はなおさらです。
しかし、集中する、何かを意識すると、心にゆとりがなくなる実感があります。
自然体ではない、精神的に無理をしている、そんな感覚があります。
でも、コツというのは、それに集中することで、楽に、効率的にできるものなので、
物理的には無理をしていないと思います。自然体ではないという違和感が「無理をしている」と感じさせる程度です。
かといって、集中しないと結果が出ず、もともと結果主義、合理主義な精神が根付いている自分は、
結果が出ない状況に不安になり、心にゆとりがなくなります。
このような場合、自然体ではない状況に納得する、その状態を自然体と思い込むしかないのでしょうか。
自分の最高の理想としては、自然体でなんでもできる状態です。
この「なんでもできる」という水準は、努力が報われたと感じたり、自己承認欲を満たす程度です。
もう少し詳しく述べさせていただきます。
僕は、マイペースな性格で、自己流な生き方をするたび、親に矯正されて育ちました。
客観的にみて、やや矯正の度が過ぎるかな、という程度です。
ゆえに、努力して結果を出さないと、他者に認めてもらえない、という心理が強く根付きました。
自己否定感が強く、向上心(危機感?)が強い傾向にあります。
結果を出せない自分のことを認めてくれる人に出会ったことはなく、
論理的に考えて、そんな人がいるとも思えません。
そういう心理から、「自分が自然体でいること」より「なんでもできること」に重きを置いています。
しかし、同時両立が理想です。
僕が考えた手段は、「なんでもできる水準の妥協」または「自然体で集中できる程度の反復練習」なのですが、前者は上記のように危機感が強いので、妥協をすると、強い不安に襲われます。
後者は、あらゆることをするには時間がかかりすぎます。
もし、「自然体でなんでもできる」状態というのを(主観的でも)実感している方がいましたら、
どのような心理状態なのか、教えていただけないでしょうか。
もし信念や軸などがある場合、その辺も教えていただきたいです。
よろしくお願いします。
お礼
>無理をして体の機能に支障がでたら、それは体を「壊した」という事になります。 なるほど。体のどこかに支障がでた時点で、体を壊した、となるのですね! >胃の機能が損なわれたら「胃を壊す」、肝臓に障害が出たら「肝臓を壊す」という感じです。 特定の箇所がおかしくなった場合は、その場所が。 >風邪を引いたら体のあちこちの機能に障害が出ますから「体を壊す」になりますね。 何箇所もおかしくなった場合は、まとめて、体が。 ということですね。 つまり、体を壊すと、次々とおかしくなる箇所がでてくる。または、病気に対する抵抗力がなくなる。そんな感じですね! 納得です。 >「壊す」は何も機械や物にだけ使う言葉ではないんですよ。 「体を壊す」というと、体全体がどうかなってしまう事と思い、それは、一体、どんな状態なんだろう?と思って質問しました。機械や物とは違って、人間の場合は、具体的に「こういう状態」とは、いえないのですね! 「機械が壊れた」といえば、様子が思い浮かびますが、「体がこわれた」というと、????でした。 回答していただき、ありがとうございました。