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キレるのを異常視したくなるようだが
キレて事件を起こしたから、ほとんど精神異常だとか、性格異常だとか、そういう頭でしか物事を考えない風潮があるように思うのですが、実際よく実情を知ったら、「ああこれはキレるのが普通だ」とまではいかないかもしれませんが、少なくとも「異常だ」という固定観念的感覚は抱かなくなる気がするのです。なぜもっと「キレた」真相に迫ろうとしないのかな~と思います。 いろいろキレる真理はあると思うのですが、たとえば客のことを金を落としていく機械だとか、うまい具合に効率的にそつなく動かしてとか、そのくせ、うわべだけ愛想よく、あるいはBGMでいつわりの雰囲気を演出し、ぜんぜん人間的感情を交えないとか、そういう資本主義の目的論風にしか考えないような一般的風潮が、何か麻痺した慢性的拒否感とか否定感とか積もってく憤怒とかを醸成させて、当然キレる発火点が近くなっていくという風潮がないでしょうか?だから、「キレて当然!」という考えもあってもかまわないと思うのです。もちろん人に危害を加えるのは攻められるべきですが、そこまで追い詰められたんだ、という事情に関してもっと認識を濃くしてもいいのではないでしょうか?
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お礼
たしかに、境界はあるかもしれません。その「不条理」を飲んで、そして秩序を保つべく「意志を保つ」というのがある気はしますね。 ただ、それが100パーセントできるかというのは問題で、もし超えてしまった人間を超えなかった人間が見ると、なにか異世界のことのように考えるものですが、それは連続的な世界なんじゃないだろうかと。しかしそれを超えないべく、「意志」がいる。当然じゃなく、精一杯こらえて、超えてしまうかしまわないか、そんなとこでしょうか。