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お彼岸って阿弥陀信仰ですよね

日蓮宗や法華各宗派の人たちってお彼岸行事(墓参り等)ってするんでしょうか?また、日蓮宗系は「南無阿弥陀仏」は否定しますが、 阿弥陀信仰自体はあるんでしょうか?

みんなの回答

  • fuwapoyo
  • ベストアンサー率35% (18/51)
回答No.4

ringoxさんこんにちは。マリア・フワポヨです。 名前はマリアでも業界の人です。 早良親王の時代、彼岸会の彼岸とは西方極楽浄土を指しました。つまり、波羅蜜多(到彼岸)の義により極楽往生を願うのが彼岸会の本来の目的だったわけです(浄土門)。 しかし、聖道門では六波羅蜜を行じることが即ち、そのまま先祖供養に通じると説きます。 彼岸会を西方願王阿弥陀如来に結び付けていないだけです。 いい質問ですね。

ringox
質問者

補足

六波羅蜜→先祖供養の流れは分かりますが 聖道門で、先祖供養→彼岸会の流れをどう説明されるんですか?

  • sgm
  • ベストアンサー率60% (375/618)
回答No.3

ANo.2の者です。 浄土は西方にだけあるのではありません。諸仏の浄土(仏国土)は十方にあります。そのうちの一つである、阿弥陀如来が法座を続けている極楽浄土が、たまたま西方にあるということに過ぎません。 先にも書いたとおり、「お彼岸」の本質は今現在の自分の生き方を反省し、仏が教える実践徳目である六波羅蜜(布施・持戒・忍辱・精進・禅定・智慧)を、その仏がいらっしゃる仏国土に居るが如くに修め努める期間であるということです。つまり、信仰する仏さまによって、その信仰者にとっての浄土は東西南北のいずれにあってもおかしくありません。またそのような地理的な方位概念を持たなくても、その信仰にとっての浄土が存在するということに何の支障もありません。 その様に考えれば「お彼岸」は「浄土信仰」「阿弥陀信仰」とイコールではありません。歴史的な経緯によって、そのように理解している人の数が多いというだけの事です。 私は日蓮宗の僧侶ではないので、日蓮宗系の教説の中でどのようにお彼岸が位置づけられているのか、説明できませんが、おおむね、どの宗旨であっても、以上のような考え方でいると思っても、大きく間違っていないように思います。

ringox
質問者

補足

どうやって、春分、秋分の前後7日を彼岸会としているのかという説明を日蓮宗や法華各宗派の人たちはするんでしょうか

  • sgm
  • ベストアンサー率60% (375/618)
回答No.2

曹洞宗の僧侶です。 お彼岸の時期に今生(此岸)のわが身を反省して後生(彼岸)を想う宗教的な風習はインド地方や中国にもあります。仏教の伝来とともに日本にも習慣が伝わり、特に六波羅蜜を行ずる期間とされました。また、同じく中国から伝わった、正西に入る落日を拝んで行う日想観が中世に大流行したため、西方浄土=阿弥陀信仰と結びついて浄土教的な仏教行事として普及しました。 お墓参りをする「お彼岸行事」(=彼岸会)は日本に独特の行事です。もともとの彼岸会は早良親王の怨霊を鎮めるため勅旨により諸国の国分寺で金剛経を読誦させたことが始まりで、このためお彼岸には先祖の霊を慰めるという意味づけもされるようになったようです。 このように日本での慣習としては浄土教的な意味づけが強くなされているものですが、もともとの「お彼岸」は仏教諸派に共通のものです。ですから、何宗だからする、何宗だからしない、ということはありません。

ringox
質問者

補足

ありがとうございます。 では、 日蓮宗系は阿弥陀仏、浄土教的意味は否定あるいは無視するが、 日本伝統的であるお彼岸行事はする。 ということでよろしいでしょうか? では信徒が「お彼岸の意味って?」と聞いたとき 日蓮宗系はどのように説明されるのでしょうか?

  • zorro
  • ベストアンサー率25% (12261/49027)
回答No.1

もちろん墓参は致します。信仰は個人個人の問題です。他を批判することはタブーです。

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