ANo.2の者です。
浄土は西方にだけあるのではありません。諸仏の浄土(仏国土)は十方にあります。そのうちの一つである、阿弥陀如来が法座を続けている極楽浄土が、たまたま西方にあるということに過ぎません。
先にも書いたとおり、「お彼岸」の本質は今現在の自分の生き方を反省し、仏が教える実践徳目である六波羅蜜(布施・持戒・忍辱・精進・禅定・智慧)を、その仏がいらっしゃる仏国土に居るが如くに修め努める期間であるということです。つまり、信仰する仏さまによって、その信仰者にとっての浄土は東西南北のいずれにあってもおかしくありません。またそのような地理的な方位概念を持たなくても、その信仰にとっての浄土が存在するということに何の支障もありません。
その様に考えれば「お彼岸」は「浄土信仰」「阿弥陀信仰」とイコールではありません。歴史的な経緯によって、そのように理解している人の数が多いというだけの事です。
私は日蓮宗の僧侶ではないので、日蓮宗系の教説の中でどのようにお彼岸が位置づけられているのか、説明できませんが、おおむね、どの宗旨であっても、以上のような考え方でいると思っても、大きく間違っていないように思います。
補足
六波羅蜜→先祖供養の流れは分かりますが 聖道門で、先祖供養→彼岸会の流れをどう説明されるんですか?