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死産でした。現在も闘病中です。
質問というよりは、独り言のようなものなのですが(すみません)。 この春、初産で出産したのですが、死産でした。 赤ちゃんは9ヶ月で、あとはもう息をしてくれるだけだったのに・・・ 数えてみると、出産予定日が四十九日でした。 もともとかえっていってしまう運命だったんだな、と。 そう思わざるを得ませんでした。 先生には、胎盤剥離という「病気」だったのだという優しい言葉をかけて頂き、 入院中もずっと、何かと気にかけて頂きました。 でも、自分を責める気持ちが無くなるわけではありません。 これが、母親という生き物なのかもしれないですね。 事情があって全身麻酔の帝王切開だったため、赤ちゃんに会ったのはほんの一瞬。 麻酔で朦朧とした頭では、赤ちゃんの姿をみても何の感慨もわかず、 その後、一般病棟に移るまでに1ヶ月もかかってしまい、 今も闘病中です。 納骨や初盆などは、主人と義理の両親が中心となって全てやってくれました。 納骨にさえ、立ち会う事の出来なかった、駄目な母親なんです。 赤ちゃんは、女の子だったのですが、9ヶ月もお腹の中にいて、会えたのは一瞬。 逆に、長く触れていた主人の方が、よほど辛そうに見えたりもしました。 生死をさ迷った私の看病と、待望の赤ちゃんを送らなくてはならなかった主人の心労はピークでした。 それでも、職場の人たちや周囲に支えられ、 何とか元気になり、毎日頑張って働いてくれています。 産院は実家近くの病院だったので、合併症が長期戦の様相となり、通いやすい病院へ転院する事になりました。 実際に診察してくださった前の病院と違い、新しい病院では紹介状を見て察した言葉をかけてくださいます。 「・・・大変でしたね。」 そう声をかけられる度、たまらなく辛くなります。 しばらくは妊娠してないけないんだと、思い知らされるのです。 気を強くもって、体を治す事を第一に考える事が今の仕事だと思うのですが、 正直、妊娠できる体にまで完治するかどうか、分からないそうです。 私は今までずっと健康には自信があり、そのギャップにひどく落ち込みもしました。 奇跡的に生還しても、考えるのは娘の事ばかり。 一命を取り留めても、娘を失い、健康を失い、 一体何の為に生きているのかなって、もやもやとした思いに囚われるとこもあります。 「死なないで」と涙を流してくれた主人、両親や兄弟、心配してくれた皆のために、明るく前向きに日々を生きています。 でも、ふっと、開放されたいような気持ちになり、ぽつんとため息がでます。 一体どのくらい経てば、この気持ちに折り合いをつけることが出来るようになるのでしょうか。 社会復帰も、まだまだ先の事です。。。
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お礼
kmkrmsiyさん お辛かったですね。 私はこの場で「質問」として書く事を すごくためらっていたのですが、 でも、しぼり出すように言葉を書いていく事で、 少しは整理できたのかなって、思ったりもしました。 だから、kmkrmsiyさんが、こうしてアドバイスして下さる事に どれだけ勇気がいったのかを思うと、感謝の気持ちでいっぱいです。 産まれてきたときは、赤ちゃん、まだ温かかったそうです。 なんで息をしていないのかなって、そう思ったのだと 後で主人が教えてくれました。 生き運のある子は、たとえ 800g しかなくても産まれてくるのだと 友人が言っていました。 kmkrmsiyさんの赤ちゃんも、私も娘も、 忘れ物、うまく見つかると良いな・・・