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実質、「発達障害=知恵遅れ」ではないのですか?
学習障害も注意欠陥も、知能全般は正常で、特定の能力が著しく劣っています。 そのため、知的障害ではないと言われていますが、納得できません。 注意欠陥は中枢神経の覚醒不足などが原因という説が有力です。 ↑つまり、理性が乏しいということですね。 発達障害の人の精神年齢は定形発達の人の70%らしいです。 ↑つまり、年齢のわりに幼いということですね。 ~LDの特徴~ 集団場面で聞き取りができない場合がある 会話が発展しない場合がある 立場や状況に合わせた行動が苦手な場合がある 遊びのルールを理解できない場合がある 筋道を立てて話すのが苦手な場合がある 道に迷ってしまう場合がある 視覚的手がかりがうまく使えない場合がある 作文ができないので、手紙など苦手な場合がある ~ADHDの特徴~ 不注意な場合がある 忘れる場合がある 他動な場合がある 指示に従えない場合がある かんしゃくを起こす場合がある 他の子供の邪魔をする場合がある 集団で行動できない、順番を守れない場合がある 見通しを持てない場合がある これだけの短所があり、精神年齢も低いのに、知的障害ではないというのは納得できません。 たとえIQテストの数値が正常だからといって、それだけでは計れない精神活動の機微というのがあると思うのです。 別に発達障害の人を馬鹿にしようという気持ちはありません。 論理的に納得できないだけです。 他の人の見解が知りたいです。
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- tell----me
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#4です 知恵遅れと発達障害は別だと思います。 発達障害を伴わない知的障害もありますし、伴う知的障害もある。それだけです。わかりにくいかもしれませんが、「発達障害の人もそうでない人も風邪を引く」ということと同じではないですか? 発達障害は得意と不得意が激しい、不得意は勉強してもなかなか報われない脳と考えればいいと思います。暗記なんかは得意なことが多いので、学校の成績は努力の割にいいことが多いです。意味を理解せずとも、暗記はできると。 アメリカなどでは、発達障害がわかると得意分野の英才教育を奨められるそうです。得意を伸ばす考え方ですね。社会が違うともいえます。あいまいな表現が苦手な発達障害な人でも、意味が通じるような社会・言語ですよね。主語・述語を想像で補わなくてもいいし、もともとはっきりいう文化なのですから。 日本は、言葉もあいまいで空気を読むことを求められます。発達障害の人には状況が読めないことになりやすい言語です。もともとあいまいな表現、行間を読むコミュニケーション体系のお国柄な日本では、短所で困ることも多いです。 「また、私が小学生の頃、クラスに発達障害らしき子がいました。」これも、無知による決め付けだと思います。そういう人を勝手に発達障害にしたいだけでは?そこから誤解されているのでは?天然の人?わが道を行く人?空気読まない人?いい意味でも悪い意味でも突拍子も無いことを思いつく人?アイデアマン?○○博士な子ども?っていうならわかる気がするのですが、知恵遅れを結びつけるなら、大きな誤解をされていると思います。 誤解されていても、構いません。今、社会全体が誤解しています。#6の専門家さんがわかってもらうのが難しいとおっしゃっています。本当にそうなんです。理解していただけなくても、悪い偏見を少しでも解いていただいたら嬉しいのですが、難しいでしょうか?
- tinycat19
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♯1です。 精神年齢が幼いというのも、根拠のある記述ですか。そうでない場合もあると思いますよ。行動そのものは遅れているが、頭の中身は実年齢より上と、精神科医に言われたことがあります。 小児精神科医に、私の子の場合ですが、三歳のころ、やっていることは一歳半、しかし頭の中身は五歳です、と言われたことがあります。それが、小学一年のときの知能検査の標準以上、という結果にも繋がってくるのです。 それから、皆さんのおっしゃる興味の隔たり、というのもグラフにするとあります。興味のないところはごぼっとなくて、そういうところは伸びないから、一生懸命教育しなくて良いそうです。 でも、義務教育のころは、悪いものが特にあるという成績でなく、平均的に標準に近い成績でした。記憶力がよかったですね。 公文とかに行かせていましたから、繰り返し学習するとか、対策立てて勉強すると効果が上がり、結局、勉強の仕方にもよると思います。 軽い子供は、普通学級に上がれますから、ちょっと普通より??程度で終る人も多いのでは・・。 偏差値70の学校に通っても、中退とか問題行動を取る子供も居ますよ。そこを考えたら、ぐれずにどんな学校にでも真面目に通うなら、そのほうがずっと堅実では。なにを持って、知恵遅れとするのか、十六になった今は親として思いますね。
お礼
ありがとうございます。 そうですね。 発達障害の人は精神年齢が低いというのはすべての人には当てはまらないようです。ネット上を巡回して調べた情報です。 確かに発達障害の人は興味のある分野に関しては特に能力を発揮しますよね。 入試では複数の科目が出題されるので苦手科目が足を引っ張ることがあるでしょうが、得意科目があれば総合的にはイーブン、ということもある。 言われてみれば、ユニークではあるけれど知的障害ではなさそうです。
うん、やはりわかってもらうのは難しいかな。。。 あなたが 知恵遅れみたい と思うのは自由なんですよ。 精神年齢が低いと知恵遅れと言えるんじゃないかと思うのも、思うだけは自由なんです。 発達障害と知的障害(知恵遅れ)で何が違うのかといえば、制度が違うんです。 なぜ制度がちがうかといえば、特徴が違うからなんです。 なぜ特徴が違うと制度が違うかといえば、教育や就業や治療の質が違うからなんです。 ひとが彼らをどう思わなくてはならないか、なんてことはそのひとの勝手。 おわかりになりますか??? 大切なことは、社会制度が彼らをどう受け止めるか、なので、社会が変化すると、彼らをとりまく制度が変わるのです。 けっして、あなたやわたしが彼らをこう思う、ああ思う、ことで、彼らの立場が変わるわけではないのです。 こういうハナシは難しいのかなあ。。。
お礼
ありがとうございます。 個人の解釈の違いは彼らの社会的立場に影響を及ぼさないという事でしょうか? ただ、社会制度を作る側の人が発達障害=知的障害だと思っていたら大問題ですよね。 こんな質問を立てても何にもならない事は分かっていたつもりですが、「発達障害は知的障害ではない」という一般論が当事者への気休めにしか思えなかったので、その疑問点をぶつけてみたかったのです。
- toyo-n
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精神年齢の低さをいやに強調されますが、要するに頭がやわらかく自由な発想が出来るということです。長所であり短所でもあります。 常識がわからない、置かれている状況がわからない、人の気持ちがわからないと良くない行動をとるこれは短所ですね。社会性は低いことが多いです。しかし、自由な発想と、論理性、あと、集中力のすさまじさから定形にはできない精神活動も行います。殆どの人は全体から部分を見ますが、部分から全体を積み上げていく人もいるのです。大多数の人からみれば、つまらないことにこだわるとなってしまうのですが、文化が違うのです。どっちが優秀ではありません。視点が違う・自分とやり方が違う人は知恵遅れですか? 研究者・プログラマ・芸術家などに発達障害の方がかなり多い、適した職業だといわれています。博士バカ・学者バカと言われる専門分野にだけ強いことを示す言葉は昔からありますし。あと、Nasaはその専門分野に強い人が集まった結果、発達障害の方の割合がかなり高いそうです。そして、プロジェクトチームに必ず発達障害の方をメンバーに1人は加えるそうです。常識にとらわれない、自由な発想力が必要とかで。優遇ではなく必要なのです。マイクロソフトも4人に1人くらい発達障害の人だと聞いたこともあります。こちらは採用枠を別に用意して、意識して採用しているそうです。 あと「発達障害の人が犯罪を起こしやすい傾向がある」これの根拠を教えてください。定形発達の人より割合?人数?が多いということでしょうか?発達障害が何かも知らない人か知的障害との区別がつかない人が言ってるのでは?発達障害の人は規則や約束を守りすぎるぐらい、それが返っていざこざを起こす原因になるくらい守りますよ。 ちなみに、IQテストは数値が異常ですよ。IQのテストは総合点だけでなく、小さな項目があります。定形の人は平均して発達しますが、発達障害の人はでこぼこです。3点の項目があるかと思えば、16点があるというかんじで差が激しいです。点数差が発達障害有無の判断基準になっているようです。それでも、最終的なIQは総合点とかが出るので上の点数が下の点数を補って、そこそこの成績になってしまいます。 あなたは、知的障害のことも知恵遅れのことも、発達障害のこともわかっていないのにどうして異質な物をくっつけようとするのですか?私には黒人に、色が黒いから皮膚病だ、白人には色素欠損で皮膚病だ。といっているような荒唐無稽な話にしか思えません。 折角興味をもたれたのですから、偏見を捨てて、見下すのをやめた方がいいですよ。彼らは劣っていると決め付けるのに一生懸命に感じます。なにか、見下す対象を一生懸命さがしているようで、痛いです。一生懸命生きている人は人を見下したりしません。また、あまり知られていないことと、言葉の印象があまり的確でない為、当事者も知らずにいる事も多いです。 fullmoon15さんも、その一人かも知れませんね。一度精神科を受診されてはいかがですか?「論理的に納得できない」なんて、アスペっぽいですぜ。なんか妙にこだわるし、アスペかも?あやしい。こどもの時ごっこ遊びした?聴覚過敏や、好き嫌い激しくない?手先は器用?
お礼
IQテストの数値が正常だと述べたのは総合点の話です。 項目ごとに見れば偏りがあるという事は知っていましたよ。 発達障害の人に悪意など持っておりません。 腹が立つんでしょうが喧嘩腰の回答はお止めください。
- tell----me
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http://www7.ocn.ne.jp/~k-goto/ ココに自分も発達障害の医師のサイトがあります。多分、知りたいことがでていると思います。 http://blogs.yahoo.co.jp/hirameki_7/21425384.html 発達障害の著名人 発達障害は、知能が均一に発達しない生まれつきの人間のタイプです。共通点はそれくらいで、あとは千差万別です。大別しても交じり合うので、自閉症スペクトラムなんて言い方もされます。 いわゆる空気読めない人は多いです。その能力が生まれつきないのです。読めるのですが定形のひとと違う感じ方をするか、空気があることに気づけないのです。言葉を言葉通りに受け取る比喩や皮肉もそのままうけとる素直な人。大多数と同じでなく、大多数とコミュニケーションしにくい、生きづらいということが「障害」の意味で決して劣っているわけではありません。 記憶も定形の人は言葉による人が多いですが、絵的な記憶の人やビデオのような記憶の型の人が発達障害者には多く、短期記憶に劣るかわりに、長期記憶は優れています。つまりなかなか忘れないのです。これもつらいことを忘れ難いことにつながります。簡単にptsdになってしまうのです。ですから、彼らには親切にしましょう。つらく当られると、嫌なことをずーっと忘れずに根にもちますし、親切にすれば、それもまた、大切にずーっと覚えていてくれます。 彼らを知的障害というなら、アインシュタインもエジソンも、レオナルド・ダ・ヴィンチにビルゲイツ、トルストイなどなども知的障害です。短所もありますが、長所もあります。短所だけを見られると定形の人もつらいのでは? 決して知的障害ではないと思います。大多数の定形とお互いにお互いが理解できない文化をもっているだけです。彼らも定形を理解し難いように定形も彼らを理解し難いのです。今のまま、発達障害の人の人口割合が逆なら、立場が逆になるだけだと思います。
お礼
ご回答ありがとうございます。 なるほど。短所もあれば長所もある。 そうですね。 古い人物についてはあまり確実とはいえないと思いますが、 ビルゲイツが発達障害というのは本当らしいですね。 発達障害でも場合によっては大成功を収めることができるということですね。 少数派だからといって劣っていると決め付けてはいけないというのが分かりました。 発達障害者は精神障害者手帳を使って勤務時間を短くするしかないと思っていましたが、認識を改めなければならないようです。 ただし一方で解せない点もあります。 精神年齢が遅れているのは絶対的な短所ではないでしょうか。 他の方のお礼にも書きましたが、 精神年齢が低いという事だけで、ある意味知恵遅れと見なされても仕方ないような気がします。 発達障害の人が犯罪を起こしやすい傾向があるのは精神年齢が低いのが関係していると思います。
補足
下のお礼の訂正です。 後で分かった事ですが「発達障害の人が犯罪を起こしやすい傾向がある」というのは、必ずしもそうとは言えないようです 光市母子殺害事件の犯人が精神鑑定の結果発達障害の疑いありと言われていたため、固定観念を持っていました。 不愉快に思われたのならすみません。
障害の「有無」「有る場合の分類」についての社会の処遇は、ひとえに、 治療と社会復帰、社会参画のめどをどうつけるか、という目的に沿っています。 ほかのいかなる繊細な目的もありません。 機能的障害であれ、器質的障害であれ、金銭的障害であれ、一身上の障害であれ、 わたしたちはみなそれを乗り越えて、できうるかぎりの社会参画をしなければならないのです。 障害のあるなし、また障害の種類によって、それぞれに、権利を保護する法律、適した治療法、教育方法があります。 できるかぎりの能力をもって社会に貢献するためです。 仮に、社会に関わることを拒否して生きるなら、健常であろうと知的発達障害であろうと知的障害であろうと、 レッテルの意味はありません。 家庭教師について個人用飛行機で世界旅行をして年をとって墓に入るだけです。 このご質問は早く閉じられたほうがよろしいでしょう。
- hipotama
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発達障害と言う言葉は、ここ20~30年の間に生まれた概念です。30年前は障害というと、視覚障害、聴覚障害、肢体不自由などで、精神的なものは精神薄弱という言葉がありました。そこに自閉症と言う言葉が生まれました。これも最初は、アイコンタクトがないなどから愛情不足などの育て方の問題として、「抱っこ療法」などありました。研究が進むに連れ、それは育て方の問題でなく脳に何らかの障害があるのではないかと考えられました。 次に、その自閉症という範疇でもくくれない子供達がいることが分かりました。LDやADHDの子供達です。また、自閉症の中にもアスペルガー障害ように、知的には健常者またはそれ以上に優れているが対人関係が取れないと言う子供達もいることが分かりました。 それらの子供達を、全部ひっくるめて「発達障害」と呼ぶようにしようということになったと思います。「発達課題」はADHD、LD、自閉症、アスペルガー、知的障害の上位概念で、それらを包含します。ですから、知能的には健常者、またそれ以上であっても、アスペルガーのように対人関係、LDの中の書字障害や計算障害の子供達も含まれます。 実際に今年から高校教育の中でも、特別支援教育が始まりました。私の県でも県内トップの進学校でも始まりました。そこでは必要ないと思ってましたが、そこにこそ必要だと現場の先生は言ってました。アスペルガーのお子さんは、知能が健常者以上を示す場合があります。それで、県内トップの進学校に楽々と入学できます。しかし、今まではそういう制度がなかったために、その子の能力を十分に伸ばすことができませんでした。その制度でその子にあった支援ができるようになりました。
お礼
ご回答ありがとうございました。 特に30年前からの話は勉強になりました。 しかしいくら知能が高くても、精神年齢が低いということは、それだけで、ある意味知恵遅れと言えるのではないかとも思います。
- tinycat19
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子供の場合ですが、発達障害とかあっても、知能が標準以上という場合もあります。 表面上、言葉が遅れているように見えても、専門の先生が測ると、70を中心にする知能テストで、92とかあるのです。知能というのは、言語だけの分野ではないので、中味が育っている場合、このような結果になります。 だいたい、高校進学する時に、本当に知的障害なのか、ハッキリしますよ。なぜなら、標準以上の知能を示す子供は、普通科に進学できるからです。進学しても、学科をこなすのに何の支障もありません。 十五、六にもなると、高校によっては、かなりこなしている教科の難易度の開きはあります。そういう差を知的障害というなら、まあ、あるかもしれませんが・・。 実際子育てしてみた経験からですが、発達障害などの場合は、知的障害というのには、微妙ですね。幼い時遅れているだけで、大きくなると、世間での標準とすごい差ではないです。 私の子の場合は、義務教育期間九年間、主任のクラスに配慮されるということはありましたし、おそらく教育記録はあると思います。 でも、普通程度の成績を取って、私立の普通科に推薦で進学しています。小説も読んでいるし、数学も苦手ではありません。高校ではそこそこの成績です。これを知的障害というのは、?と思います。
お礼
ご回答ありがとうございます。 翔和○園という発達障害児のための学校の学園祭に行ったことがあります。 そこの生徒は、普通の学校の生徒とは違って、のんびりしていて抜けている感じがする人が多かったです。 模擬店で食べ物を売っている子が、鼻をほじっていて、不潔だなぁと思ったのを覚えています。 また、私が小学生の頃、クラスに発達障害らしき子がいました。 授業中に奇声を上げたり走り回ったりパニックを起こしたりして、はっきりいって「遅れてる子」という表現が適切でした。 そういうのを見ていることもあって、「発達障害=知恵遅れ」と言っても過言ではないと思っていましたが、ようするに知能テストの成績が良くて学力が普通なら知恵遅れではないということでしょうか。 確かに数学は論理的思考力と関係がありますからね。
お礼
分かりやすく説得力のある回答をありがとうございます。 tell----meさんはずいぶんと勉強されているようですが、発達障害の人の周辺の方ですか? この数日で自分なりに勉強して今は発達障害=知的障害とは思わなくなりました。 読んだ本の中の何冊かの著者は発達障害ですが、発達障害を持たない人に負けない文章力だし起承転結も筋が通っているという印象を受けました。 特にADHDの白井由佳さんなどは人より苦労してきただけあって豊富な人生経験と強い精神力をお持ちなのが伝わってきて、発達障害は必ずしも損な事ばかりではないんだなと、感じました。 発達障害と知恵遅れは直結しないというのも分かりました。 偏見を持っていた自分が恥ずかしい。 2chのメンタルヘルス板の「ようするにADHDも馬鹿の一種でしょ」というスレッドでADHDの当事者が自分は馬鹿だと言っています。 悲しいことだと思いますね。 しかもそれは氷山の一角で、まだ他にも自分を馬鹿だと思っている発達障害の方々がたくさん居るという。 アメリカのような得意分野を伸ばす教育を受ければもっと自信をもてる のでしょうが、日本ではなかなかそうはいかないのですね。 前から関心があったことですが、就職するなら私はそんな発達障害の方々を支援する職業を選びます。 今は調査不足のため学部は決まっていませんが、団体職員になるにしても翔和学園の職員になるにしても一度大学に再入学して専門を学び理解を深めてからにしようと思っています。 無理なら無理で仕方ありませんがやれるとこまでやってみます。