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うつ病です。何かアドヴァイスを‥!!(長文)
うつ病を患ってから3年半以上が経とうとしています。 最初の診断は重度のうつでした。 症状は、ズドーンとした沈み感が常にあり、強まって絶望的になることがよくある、全くやる気が起きない、寝たきり状態の激しい倦怠感、強い疲労感、過度の疲れやすさ、集中力の低下、理解力の低下、めまい、立ちくらみ、睡眠障害などです。現在も続いている。 2005年11月に東京医療センターに行き、即入院。薬をノリトレン(150mg)、レスタス、テグレトール、レンドルミン、頓服でレキソタンに変更。でも症状は改善せず、電気ショック療法へ。効き目は多少。2006年3月25日に退院。その後、電気の効果は全くなくなり、もとの状態に戻る。地獄の日々。退院後3ヶ月ほど通ったが、面接時間3分。症状もさらに悪化。そして「もうあなたをどう治したらいいのか分からない」と言われた。 2006年6月26日にNTT関東病院に行き即入院。薬を最終的にレスリン(250mg)、レキソタン1日3回、レンドルミン、レボトミン2錠、リスパダール1錠、バルネチール、ピレチア、頓服ワイパックスに変更。バルネチールが効果があって、感情の起伏が治まり状態がよくなって、2007年12月5日に退院。 ところがその大切な精神科医が3月末で病院をやめてしまい、別の医師に変更。すばらしい先生が、今度はとてもおとなしいくて、状態や悩みを話すと「うん」「そう」しか言わず、薬を出すだけ。薬を減らされ、バルネチールもなくなった。その後せっかく回復に向かっていた状態が悪化し、2007年12月4日に再入院。私はただ寝ているだけ、薬の調整もいっさいおこなわず、このままでは効果もないと感じ、2008年1月25日に退院。その後退院してからは症状がやわらぎ始め、大学院に復学。ところが5月半ばに、突然状態が急激に悪化し、激しい疲労感と死にたい気持で何にもできなるなる。大学も限界で7月に念願の修士論文を書くことを断念し週1のゼミの授業のみ参加。効果がない薬も変更させてはもらえず、眠れないというと睡眠薬をロヒプノール2錠に変更。その後、眠れるようになったので、副作用で2年間生理が止まっているリスパダールをやめてくれと言ったが、「今、やめるのはちょっと‥」と言われ、結局、自分自らやめた。そして生理は自然に来た。「ロヒプノール2錠は多かったら1錠に減らしてもいい」とおっしゃっていたので1錠にした。医師に1錠にしたことを言うと、また「今変更するのはちょっと‥」と言われ2錠の処方のまま。 そして現在はある本を読んだときから、倦怠感や疲労感が弱まり、少し回復。でも一日の中で何度も、突然、倦怠感、疲労感が現れ始め、死にたい気持がでてきて、床に倒れふしたり、突然、元気になりだし、音楽を聴いたり、楽曲分析をしたりする(音大生、27才)ことができたり、一日の中でいい時と悪い時とが何度も入れ代わり、この変化にもううんざりし疲れ始めて限界。月単位でもいい状態が4日続いたら、3日悪くなり、7日元気だったら、5日間悪い状態になったりして、安定しない。 うつ病の原因は論文で受験生の頃からやりたかったシマノフスキの分析研究が先に研究している先輩がいてできなくなり、前衛音楽のルトスワフスキになってしまったこと。「シマノフスキがどうしてもやりたい」と言ったときに「シマノフスキをやることはあなたにとって不利益で意味や価値がない」「もうあなたのシマノフスキメイルにはうんざりだ!もうどうなってでもいいからシマノフスキをやれ!!いつまでもシマノフスキ、シマノフスキと言われるほうがよほどやる気がしない!!やる気がしない指導のほうがよほど気が重い!!シマノフスキで決定!!」ということを言われ、メイルでの言葉一つひとつに傷ついていった。結局ルトスワフスキの論文を書いて最高の評価Aをもらったが、シマノフスキ(1882-1937)の時代の分析方法が学べなかったことがショックで、一生、分析のテクニックを学べないまま過ごすのではないかと思い絶望的に。 今の一日の中での状態の激しい変化、感情の起伏の浮き沈みを緩和させる薬は何かないでしょうか?レキソタンはもう全く効かなくなり、抗うつ薬(効果を感じないない)と睡眠薬のみで過ごしている状態です。前回「何か追加してほしい薬はある?」と聞かれたが、分からずに「いいえ」と言ってしまって、もし状態の激しい変化や感情の起伏の激しさを緩和する薬があったら‥と悩んでいます。 またこの文章を読んで何か思ったことや感じたことがあったらぜひ教えて下さい。ほんの一言でもかまいません。誰か絶望感に浸っている私を助けて下さい。
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お礼
NTT関東病院を知っておられるのですね! 確かに入院すると隔離されたような感じです。 大部屋(5000円)は常に満員で、個室(1日20000円)での入院でした。 死にたい気持があると、タオルは長いのは駄目で短いハンドタオルのみ。それと筆記用具やウォークマン(ひもがついているから)はお預かりになりました。倦怠感がある私は休むことが第1と、本もMDも日記帳もあらゆるものすべて鍵付きのロッカーに入れられて、鍵は看護士のもと。おまけに着替えの洋服、下着までも預かられました。 鍵付きの部屋があることから、もともとは閉鎖病棟だったのかもしれません。 精神科としての評価はどうなんでしょうね。 そろそろ転院も考え始めているところです。 >毎日を娘らしく、明るくお過ごしになれればそれで良いのではないですか そうですね。私は音楽がないと自分には何も残らないので、音楽の世界の中で、明るく、楽しく生きていこうと思います。 ご回答、ありがとうございました。