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私は何のために生きているのでしょうか
初めましてhappyp1nkと申します。 私は17歳のとき「神経症」という心の病気を患いました。 その病気の症状に勉強不能というものがあります。 色々な症状が出て勉強が出来ません。 生来教育熱心な家庭に生まれて、勉強だけが私の存在価値でした。 その勉強という自分の価値を証明するものを失って、将来に希望が見出せなくなるときがあります。 勿論勉強だけがすべてではないと思うのですが 私にはコレしかありませんでした。 またインテリアに興味があったのでインテリアの専門学校へも通ってみたりしたのですが、勉強不能で「講義がまともに聴けず、勉強を体が拒否する」などの症状が出て、大学へ行くことも諦めたのに専門学校すらまともに行けない。 勿論病院に通院してカウンセリングなり、服薬なりして少しずつ良くはなっているのですが、20歳で社会に出たときのことなどを考えると欝っぽくなります。。。 生きているのに希望が見出せないんです。 興味があることは全て勉強しなくてはいけない 私は何のために生きているのか 学びたい欲求がすごく強いです。 みなさんどうかアドバイス下さい。
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daruo5555です。お礼ありがとうございました。 蛇足かもしれませんが、「お礼」の内容で、ちょっと気になることがありまして。 一応、不完全ですが森田療法を学んだものとしてのコメントです。 「とりあえずなんとかかんとか神経症的症状と戦いつつ、目的に向けて努力し続けることが大事・・・」 とあるのですが、神経症の症状と戦っても、まず勝ち目はありません。 症状があろうがなかろうが(ないに越したことはないのですが)、 目的遂行の為にやっていくという感じでしょうか。 例えば、問題集を一冊解くとして、頭が痛くても、雑念が浮かんでも、 一日これだけは解いていくという感じ(解けない日もありましたが)。 頭が痛いのはなくならないし、雑念もなくならない。けれど、問題は消化されていく、という感じでしょうか。 ただ、これはあくまでも森田療法的な態度なので、 どの治療法を選択するかで違ってくるのかもしれません。 一つだけ、自分の神経症がなくなっていった際に、 自分の中で、「こういうことなんだろうな」と納得した、 我流のイメージめいたものがあります。 少し脱線しますが・・・ 例えば、人間の精神状態を円で表すとして、人が生まれた頃は、小さい円だと仮定します。 一つ経験を経ると、円に小さな一つの(または複数の)トゲが出来る。 円としてはバランスの悪い不安定な状態。 そのときに、心の症状がわずかに現れる。 しかし、自分で乗り越えたり、周りの人の助言によって、 円は、そのトゲを覆い隠すように、大きな円になる。 それが、その人の精神の発達(成長?)というものなのかもしれない。 ところが、円に対して大きなトゲが出来るような経験(挫折等) があると、心の症状が大きく現れるし、トゲを覆い隠せるような 大きな円になるまでに、時間と経験がたくさん必要になってしまう。 神経症というのは、そういうものの一種なのかもしれないと、 神経症の治りかけのとき、そう思いました。 神経症のときは、単に症状というだけではなく、色々な苦悩がありました。 例えば、何故だが、毎日、「死ぬこと」がとても怖かったときがありました。 それから、食べ物が不潔に思えて、ロクに食べられないときがありました。 それから、「人は何のためにいきているのか」が分からなくて、 ずっと無気力の状態が長く続いたこともありました。 それでも、日常生活はなんとか続けていったのですが、 そういう感覚に対しては、森田療法的には、解決する術がありませんでした。 そういうときには、そういう「問い」に対して、哲学書などの本を読んだり、 自分で考えたり、様々な経験をしたりして、自分なりの「答え」を出しました。 「答え」はすぐには出ないのですが、おそらくこの範囲にあるだろうと いう感じで、少しずつ答えの範囲を縮めていく感じです。 神経症がなくなった今でも、その「答え」は、自分の中の 見えない「核」になっていると思います。 長くなってしまいましたが、上記は、自分なりの経験談です。 あくまでも私的なものなので、happyp1nkさんに良いのかわかりません。 ただ、周りの人も、いろいろ苦労して大人になっていると知れば、 少しは心が軽くなるかなと思いまして。 まだまだ、happyp1nkさんにはたくさん可能性がありますので、 悲観的にならずに、いろいろ経験してみて下さい。
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- totomi3
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~でなければならない、という考え方は自分を締め付け視野を狭くします。もっと、自由に楽観的に、今日晴れてる気持ちいいなと思えることささいなことでも感謝できることが、幸せなんじゃないでしょうか。 あと、疲れてます。人生やり直しは何度もききます。 広い世の中、自分のことをわかってくれる人たちは必ずいるのです。 自分も二度病気して学校を二度やめましたが、地道に頑張ってます。 若いと目先のことが気になりますが、大丈夫ですよ。 捨てる神あれば、拾う神あり。 地道に頑張ってれば、よい方向に向かいます。 焦らず今は休養ですね。休養は今まで頑張ってきた自分へのご褒美です。 人生必ず必要です。きっと、まじめなあなたですから一生懸命勉強してきたのでしょう。 人生というのは、急いでも、ゆっくりいっても必ず着くところに着くと精神科の先生がいってました。 急がば回れ、自分は自分、周りは周りと流されないで生きて下さい。 自分と人は生まれだって違うし、顔も違う。 比べる必要はありません。 病気はゆっくりしか治りませんので、焦らず今は病気を治す精神の鍛練をしてる、と思えば無駄とは思わないんじゃないでしょうか。 病気を乗り越えると、人生にたいして一歩見方が変わって人に対して優しくなれます。 病気はしないにこしたことはありませんが、この経験で学ぶこともたくさんあるのです。 あんなに辛いことあったんだから、こんなことくらい平気とか。 ゆっくり休養してたら地味に治りますよ。
お礼
視野狭すぎですよね。私もこの病気になって今までの自分の視野の狭さを改めて感じています。大学行くため、良い企業に就職するために勉強してきましたが…よく考えれば自分のための勉強ではなく期待してくれている周囲のために必要以上に自分を追い詰めていた気がします。 >ささいなことでも感謝できることが、幸せなんじゃないでしょうか 仰るとおりです。まだ自分の存在意義を確実につかめていない私ですが、ここでの質疑応答を繰り返し少しずつ今の自分を受け入れることが出来てきました。自然にそのように感じられるようになれるといいです^^ 常に競う中で生活をしていたのでどうしても無意識のうちに他者と自己を比べてしまう私の悪い癖があってそれで自己嫌悪に陥ることが多々あるんですが、仰るとおりですよね。 励みになるすばらしいお言葉をたくさんありがとうございます。 胸が熱くなりました。私にこんなお言葉をくだされるのもtotomi3さんがご苦労なされてお優しくなられたからだと切に思います。 私もこの体験を無駄にしないよう自分磨きの一環だと思って、治ったときに同じように苦しんでいる方にtotomi3さんのように元気になる言葉をかけてあげられるように精進します。(無理はしない程度に)
広い世界を見ることじゃないんでしょうか。 「百聞は一見にしかず」と言いますけど、どこか自分が行ってみたいとこに行って五感をフルに使ってみてはどうですか。 きっと素敵な発見も出来ますし、どこかへ行くと絶対「出会い」って言うもんがあります。 出会いを大切にしたら絶対心は豊かになりますし、なにか考えさせれることがあると思います。 しんどかったら無理はしなくていいんです。 今、頑張れたらそれで良いんです。 あと何か目標を見つけることですね。 目標を見つけたら紙に書いて絶対するぞぉ!って念を押すんです。 そしたらきっとその目標も叶うハズです。 一番してはいけないことは無理をしないことです!
お礼
視野が狭いとは私も病気になってから気づかされました。 勉強しかない人生なんて楽しくないですもんね。 もしかしたら神様が他の楽しみも見つけなさいって、病気にしてくれたのかもしれませんね。実は前々から留学がしたくて、症状がもうちょっと落ち着いたら担当医や両親と話して留学をしようと思っています。 >しんどかったら無理はしなくていいんです。 今、頑張れたらそれで良いんです。 ああ、癒しの言葉をありがとうございます。誰かに今のままの自分を肯定してもらいたかったかも知れないです。 目標ですか。。。 夢がたくさんあって迷うけれど、小さい目標を立ててこなしてステップアップを図ろうと思います。 無理しないように気をつけます。 ご回答ありがとうございました。
ANo5です かっこいいね うらやましいよ ギターなんてもうずいぶん触ってないもん
お礼
ギター弾けたらかっこいいですよね 何か得意なものを増やして、魅力的な人間になれるように頑張りますね!
- daruo5555
- ベストアンサー率100% (1/1)
こんばんは。はじめまして。 とても理知的な文章で、生来の頭の良さを感じました。 今は30歳を超えるおっさんになってしまいましたが、 私も、高校生の頃は神経症に苦しみました。 ちなみに、今現在は神経症の症状はありません。 当時は、勉強するといろいろな雑念が浮かんで集中できなかったり、 わかることが、わからなかったり、 人の名前や記憶したことが全然出てこなかったり、大変でした。 それで、浪人して、塾にも行かず、 一人で家に引きこもって、不安にかられながら勉強しました。 当時は、心療内科に通って薬をもらったり、 森田療法の本を読んだりしましたが、 結局、浪人中は治ることはありませんでした。 調子の良い日も悪い日も、 なんとかかんとか、勉強していったというのが、 正直なところでしょうか。 それで、一浪して、地方の国立大学になんとかすべりこむことができました。 特に、森田療法にはかなり深入りしましたが、 森田正馬のいう、「あるがまま」というのが、 最後までわかりませんでした。 今では、少しわかるのですが、 わからないところもあるというのが正直なところです。 大学入学後も、神経症的症状はあったのですが、 それでも、学生生活をなんとか過ごし、 少ないながらも友達ができて、一緒に酒飲んだりして、 大学時代に彼女と付き合うこともできて、 そんなことを繰り返していくうちに、 普通の大人になることができました。 アドバイスといっても、人によっていろんな特性や 家庭環境や事情があるので、一概には言えないのですが、 焦って極端に治そうとしないことの方が良いと思います。 そして、何か目標があるのならば、 調子が良いなら良いなりに、悪いなら悪いになりに、 その目標に向かっていけばいいのではないでしょうか。 もし、目標がわからないならば、 興味のあるテーマで本を読んだり、映画を見たり、 インテリアが好きならば、自分で製作してみたり、 ブログで公表したりしてみて、 そうしつつ、興味あるテーマをあれこれほじくって みるのもいいように思います。 まずは、病院の先生や、ご両親の協力を得ながら、 ゆっくり、前向きに過ごしてみてはいかがでしょうか。
お礼
同じ経験をされた方からのアドバイス本当に為になります。 daruo5555さんはとてもお強いのですね。私は神経症的な症状が出始めると体が学ぶことを拒否したり、その拒否反応が怖いがゆえにもう勉強することから逃げてしまっていました。。。とりあえずなんとかかんとか神経症的症状と戦いつつ、目的に向けて努力し続けることが大事なんですね。なんとか焦らずに続けること、逃げないことから始めてみます。 私も森田療法の「あるがまま」というものが体得できずにいます^^; 今は親の勧めで催眠療法というものに通っていますが、正直自分次第なのだろうな。と思います。 ですがみなさんからお話を聞いて、自分は治る病気であるという希望 また悲観視する必要は皆無であること、、、両親に迷惑をかけてしまう面もあるのですが、ゆっくり養生します。 それと症状がこのまま落ち着いたら、外国へ留学(語学取得を名目に検分を広げる)をしようかなと思っています。母も賛成してくれています。大学は学ぼうという気力があればいつでも行けると信じ、神経症を癒す努力をします。 ご回答どうもありがとうございました。
ANo4です 興味を追求しては・・・ 自然科学でも政治でも経済でも芸能でも運動でも日常生活でもかまいません それもいっちょかみ良いです ドップリなんて1個でじゅうぶんです ちょびっとでも気になるならなんでも首を突っ込む口を出す 『なんで』『どうして』『おしえて』『見たこと無い』・・・ 抽象的でゴメンネ
お礼
実は歌が大好きで趣味の範囲でバンドを組んでボーカルをやらせていただこうかと思っています^^ ボイトレも通うつもりです。 ギターも友達が教えてくれるって言ってくれて、習う予定です。 深くは学べそうに無いので><; 浅く広く色々なことに手を出してみようと思います。
学べば良いです それがすぐに就職に役立つとか資格が取れるとか実利を追う必要はないです 学んで成績とか結果を求める必要はないです 学ぶことを学んでください
お礼
学ぶことを学ぶ。。。 簡単そうですが今までの私に一番欠如していたことかもしれないです。 良かったら詳しく意味をお聞かせ願いたいです。具体的にどのようにしたらいいのでしょうか?
- sicco
- ベストアンサー率27% (134/486)
>生来教育熱心な家庭に生まれて、勉強だけが私の存在価値でした。 そこに、神経症の原因があると思われます。 勉強熱心はいいことです。 しかし、あなたは、親や周囲の期待に応えるために勉強してきたのではないでしょうか。 聞いた話では、「こうでなければいけない自分」と、「ほんとうの自分」のギャップが大きくなると、神経症を生み出します。 ほんとうの自分がわからなくなるからです。 学びたい欲求も、心のどこかで「周囲の期待に応えるために」というものがあると、逆に潜在意識がそれを拒否して勉強不能状態になってしまうわけです。 あなたは、ほんとうは何者で、ほんとうは何がしたいのか? もういちど、まっすぐ自分の心を見つめ、自分に素直に生きていくようにすれば、神経症は治るとも聞いています。
お礼
siccoさんご回答どうもありがとうございます。 本当はメンタルカテに質問しようか迷ったのですが人生の意義について問いたかったのでこちらで質問させていただきました。 >あなたは、親や周囲の期待に応えるために勉強してきたのではないでしょうか。 はい。仰るとおりです。 私も自分自身で神経症について調べているのですがやはりあるがままの自分を受け入れることが出来ていないんでしょうね。。。 >もういちど、まっすぐ自分の心を見つめ、自分に素直に生きていくようにすれば、神経症は治るとも聞いています この闘病期間を無駄にしないように自分と真摯に向き合って生きたいと思います。 ありがとうございました。
- aymhfgy
- ベストアンサー率43% (1472/3372)
無理をしたり焦ったりという感情を持つことが今の質問者さまにとっては一番、避けないといけないことではないかと考えます。 勉学も励みすぎて限度を超えたので身体がシグナルを出してしまったのではと思います。怠けているのではなく、病気のせいで勉強不能になったのだから今は病気を治すことに専念され、先のことを考えて悩む必要はないと思います。貴方が病気になって勉強が出来ないからと言って貴方の存在価値がなくなるなんてとんでもないことです。 それよりも病気が癒えた時には今のこの時期が決して無駄にはならない、ご自分を精神的に肥やす、貴重な時期だったと悟られると思います。 誰でも思いどおりに人生が開けていけばとは思いますが、その思い通りにならないときこそ大切なことに気がつく時ではないかと思うのです。 (学びたい欲求がすごくつよい)という質問者さまのこの言葉に具合が悪くてもなお、向上心を持たれる強さを感じ、希望が見出されると思います。元来、真面目で優秀な方と思います。 外国で音楽を学んでいる時にノイローゼになったけれど後から立派な作曲家になった人、貴方と同じで神経症に学生時代に罹患したけれど後から思い通りの企業に勤めた人、こういう方の話を何人も聞いたことがあります。後から考えたら若い時の一時期のことだったと思える日が来るでしょう。 今はお辛いでしょうが、飛び立つ前のトンネルを潜り抜けている時期と思い、その準備時間と思い、まず、病を治すことに専念して頂きたいと思います。
お礼
まずはaymhfgyさんご回答を下さってありがとうございます。 涙がこみ上げてきました、何回も読み返させていただきました。 >勉学も励みすぎて限度を超えたので身体がシグナルを出してしまったのではと思います。 仰るとおりです。キャパシティを超えていたのだと思います。加えて外因が幾つかありまして…丁度タイミングが悪かったのだと思います。 >貴方が病気になって勉強が出来ないからと言って貴方の存在価値がなくなるなんてとんでもないことです。 そうですね。本当に自分の価値というものを今まで私自身が勉学の中でしかきちんと見出せなかったのかもしれません。これを機に新たな自分探しをやってみたいと思えてきました。 元来勉強が私自身大好きなんです。今はそれを取り上げられてしまった虚無感もあって、悔やまれて仕方が無いとき自分を責めてしまうときがあります。。。 まだ20歳ですものね。高校の友人の楽しそうなキャンパスライフや明るい未来に嫉妬し自分と比べて悲観しして勝手に不幸な主人公を演じていました。 >今はお辛いでしょうが、飛び立つ前のトンネルを潜り抜けている時期と思い、その準備時間と思い、まず、病を治すことに専念して頂きたいと思います。 はい。そう思って治療を前向きに受けます。 ありがとうございました。 プリンターで印刷して辛いとき読み返します。
- blazin
- ベストアンサー率50% (20257/40158)
あれこれ漠然と悩んでも、今の貴方を安心させる要素は直ぐに生まれてこないですよ。でも貴方の人生だからね。 貴方なりにクリエイトしていかないと。 先ずはその病気とも貴方なりに折り合いをつける。 通院、カウンセリング、服薬等も含めて少しずついい方向に持って行く事が現実の貴方のすべき事でね。それが出来てくれば自然と気持ちだって前に向いていきますから。先ずは足元をきちんと固める事。 そして焦らない事☆
お礼
そうなんですよね。 周りの友達のキャンパスライフや留学のことを聞いていると ニートみたいな自分が辛くてつい上ばかりを見上げがちになっちゃいます。。。ご回答ありがとうございました。 自分の出来るとこから始めて行きます
お礼
長文のご回答本当にありがとうございます。 見ず知らずの私のためにご自分の貴重な体験談とお時間を割いていただいていることにまず深く感謝していることを申し上げます。 >目的遂行の為にやっていく 森田療法のこの点で私はなんども挫折してしまいました>< 森田療法的な態度を取り続けることがどうしても出来なくて喘ぎもがいています。。。私がこうしている間にも友達や同年代の人は学んで先に行ってしまうのだと思うとどうしても焦ってしまって; 森田療法は向いていないのかも知れませんし、私は森田療法を自己流でやっていたので、保険が利く医療機関で森田療法を取り入れている病院があったと聞いたことがあるので主治医とよく相談をしてこれからの方針を決めて行こうと思います。 お書きになっている神経症の苦悩の経験 私にも思い当たる節が多々あり「うん、うん。。。」と相槌を打ちながら読ませていただきました。特に死に対しての恐怖や無気力感(私の場合は服薬している薬の副作用?眠くなって何もしたくなくなるんです) またdaruo5555さんがご自分で体得された円を用いての神経症のイメージ(神経症に限らず、精神病全般に当てはまりそうですね)大変興味深く読ませていただいて、頭の中で私なりに考えてみました。 私もたかが病気で自分の可能性を否定することはもうやめます。 これも経験だと思って、受け入れ、癒す方向へベクトルを変えます。 ありがたいことに両親、良い主治医、カウンセラーに恵まれ、時間をかければ私は必ず良くなると言われています。また友達には神経症のことを伏せていますが誰も疑っていないので、表面的には健康な人と変わりないのだと思います。病は気からという言葉を信じ、虚弱だった精神面を強化するためにこの病気になる運命だったのだと思うことにします。 命が関わるような病気ではないし、治る病気なので悲観的になる必要はないですよね。 実際に治られた方のお話を伺えて、思い切って質問した甲斐がありました。ありがとうございました。