- ベストアンサー
皆さんは、「タケダのプラッシー」って、知ってますか?
私にとっては結構特別な飲み物でした。 何たって量が少ないのに、そこそこ高くて、オレンジジュースなのに何だか人工的な味で、しかもお米屋さんから届くという、摩訶不思議な流通でしたね。 瓶の底に何やら沈殿してるので、振って飲みました。 その後に、「バヤリース」という飲み物が出て、また驚きました。 プラッシーと比べたら濃厚、しかもものすごいオレンジ色という印象があります。 皆さんは「タケダのプラッシー」「バヤリース」を知ってますか? 飲んだ経験はありますか? それにまつわる思い出とかはありますか?
- みんなの回答 (16)
- 専門家の回答
質問者が選んだベストアンサー
プラッシーとバヤリースは、緑のくびれた瓶のコカコーラと並んで思い出がありますよ。 30年位前の話、ビンボーな市営住宅(長屋と思ってクサイ)の悪ガキのひとりだった私は他の悪ガキ達と泥んこになって日が暮れるまで遊んで、夏休みなんか宿題が「自由研究」ひとつだけという恵まれた環境も手伝ってそれこそドロッドロになって遊んでたわけですよ。で、喉が渇いて雑貨屋さんに行きたくてもなにせビンボーの家の子の集まり、プラッシーやコカコーラなんて買える訳がない。 でもビンボーな悪ガキ達はたくましかった。 市営住宅には大きなバス通りが2本走っていて、雑木林もそこかしこにあって(今でもカブトムシが獲れるんです…横浜市内です、念の為)、意外とクルマが行き交っている。私ら悪ガキ達はこんなバス通り沿いの植え込みや雑木林の道際やボッサボサの空地をガサガサ探って歩くんですよ。探しているのは、プラッシーやコカコーラの空き瓶。 あの頃は缶より瓶の販売が圧倒的に多くて自販機でもお金入れたら瓶の首をロックしている金具がガタンと外れてグイッと引っ張って、というスタイルが一般的だった。トラックの運ちゃんとか自家用車のオッサンとかが飲み終わると草むらへポイ!というのが当たり前の時代だった。 これを持って雑貨屋さんに行くとプラッシーやファンタの瓶なら1本2円か3円、コカコーラなら1本5円か6円で引き取ってくれる。当時はリサイクルというより使い回して瓶を作るコストを下げるための回収だったようですが、外資系のコカコーラの空き瓶は引き取り価格が高いので「アタリ瓶」ビールの瓶を見つけると10円近くになったので「宝」と呼んでいました。 で、換金した金で買うのは決まってプラッシー。コカコーラは「宝」が出た時にだけようやく買えた。換金してもタカが知れていたから1本のプラッシーを回し飲み。当然一番拾った奴、アタリや宝を拾った奴が最初に飲むの。最後の奴はぬるくなっちゃうんだけど、なんか妙に充実した味だったなぁ… だから私が住んでいた市営住宅界隈は、外面だけ気取っているくせに空き缶がそこかしこに転がっているニュータウンとは大違いで、ビンボー人の棲家にしてはとても綺麗な所だった。悪ガキ達が空き瓶みーんな拾うから、綺麗になっちゃうんだよね。 で悪ガキの中でもビンボーな家の子、さらにビンボーな家の子、そのまたさらにビンボーな家の子が一緒になって遊んでるのね。で、江川といういっちばんビンボーな友達が必ず弟ふたり連れて来んだけど、小さい弟ふたりが飲んでる奴をジーッと見てんのね。飲み辛いってこともあんだけど、暗黙の了解で「江川のために、ちょっと大目に回してやろうな」と、大人に教えられたわけでもないのにみんな我慢して江川に大目に取っといてやるの。それを別に大人に報告して褒めてもらうとか、そういうのナシで『別に、それが当たり前ジャン』というノリだった。 だからプラッシーとかバヤリース(後になって拾う対象になった)とかくびれた瓶のコカコーラと聞くと草むらを探していた時に嗅いだ草と土の臭いと焼けるような太陽の匂いと江川の弟ふたりがジーッと見ていたあの目を思い出すのね。で、草むら探していると間違って犬のウンコ触っちゃったり…キタネエなぁ。 今の子は、果たしてビンボーな子にこんなノリで付き合えるかな?…親が言っている陰口って、子供は漏らさず聞いているからね。そうやって考えるとビンボーで汗臭い悪ガキ達の心の中も綺麗だったんだろうなぁ…ならビンボーのままで良いや。 そういえば、もうプラッシーって売ってないんだよね。
その他の回答 (15)
- tomajuu
- ベストアンサー率38% (304/782)
知ってますとも! 「リッツイッツ、僕のプラッシィ~」 って歌のCMでしたねッ! ・・・って、あとでそれは、「This is 僕のプラッシ~」の聞き間違いだと、中学になって気付きました。 私のトコでは、フツーに駄菓子屋さんでも売ってました。 「ファンタ」や「ミリンダ」と比べて、「味」「値段」はどうだったか、全く覚えてませんが・・・。 「バヤリース」ですか・・・。 これはもう、外国臭プンプンでしたね! 色が濃い!! でもその何年か後、同じ「濃い色」して「Bire ley's」のロゴ付けた帽子(キャップ)見つけた時は、ためらわず即購入!でした。 べつに、バヤリースが好きなわけでもなかったのに・・・。「哀愁」というか、自分の「昔日の・・・」というのとで・・・。
お礼
回答を頂き、ありがとうございます。 結構CMの曲って覚えてるものですよね!懐かしいです。 あのバヤリースの毒々しい橙色には、ちょっとショックを受けました。 今も売ってるらしいのですが、味はきっと違うのでしょうね。 ありがとうございました。
- satotan111
- ベストアンサー率17% (57/326)
懐かしいですね~ 「プラッシー」はうすいオレンジジュースのような味でしたね^^。まだlocaltombiさまも仰っていますように「バヤリース」のほうが、濃くておいしかった記憶があります。 私は「セブンアップ」((7up)ってかいてあった)もよく飲んでいましたよ。 どちらにしても、これら空きビンを集めて(酒屋さんに持って行き)お金に換算するのが楽しみでした。これで小遣い稼ぎしていました。 確か一本10円だったような気がします。 PS:ドクターペッパーwwひゃ~懐かしいです。
お礼
皆さんの意見を見ると、懐かしい銘柄がどんどん出てきますね! Drペッパー、ミリンダ、7UP、ガラナ、チェリオ・・・ 地方の田舎ではいまだに売っていそうですね。 そうそう、空き瓶はお金に換えられたんでしたね。 今は瓶入りジュースはほとんど見かけなくなりましたが、時代ですね。 回答を頂き、ありがとうございました。
知ってます~懐かしい! 子供の頃に我が家では お米屋さんがケースで配達してきました。 プラッシーと名前は忘れてしまいましたがリンゴ味のがありました。 幼い頃ジュースと言ったらプラッシーでしたね。 後…マミーも配達されていました。 バヤリースはコンビニでありますが昔の味じゃない気がします。 懐かしい味でガラナコアップなんかもありました。 今でいうドクターペッパーみたいな味ですね。 あっそうそう…プラッシーにまつわる事! 黄色いケースを逆さまにして上に乗り歌を歌ってました。
お礼
懐かしいジュースの名前が出てきましたね! ガラナ、Drペッパー・・ チェリオとかミリンダもありましたね。 プラッシーにリンゴ味ってありましたか?うろ覚えですが、オレンジよりはメジャーではなかったですね。 回答を頂き、ありがとうございました。
- amelielico
- ベストアンサー率37% (135/364)
懐かしいですね。プラッシー。 祖母の家に夏休みに遊びに行ったら必ず冷蔵庫に用意してくれていて、それが嬉しくて覚えています。鰻の蒲焼と一緒に食べてたので、プラッシーと鰻の蒲焼は、セットでご馳走だったと記憶しています。 プラッシーは、調べてみるとそもそも栄養機能飲料の先駆けで「50年前に武田食品から販売されていた飲料で、オレンジ果汁入り飲料(ビタミンP)にビタミンCをプラスしたことから、それに引っ掛けて「プラッシー」というブランドが確立した。」そうです。うすくって軽やかな味でしたね。 祖母は米屋に頼んで用意してくれてたのだと思います。 50周年記念で、ペットボトルプラッシーでています。飲んでませんけど、現代風なんでしょうね。 なんだか懐かしく40年近く前を思い出しました。 ありがとう。 http://store.shopping.yahoo.co.jp/umeyakometen/s-000801.html
お礼
URL拝見しました。 今もあるんですね、でも当時は細長いガラス瓶でしたから、それから比べると随分と垢抜けたような印象です。 タケダという社名も変わってしまって・・ 「プラスC」をもじって「プラッシー」だったんですか?知りませんでした。 回答を頂き、ありがとうございました。
- nainnain
- ベストアンサー率18% (276/1510)
プラッシー知ってますよ なんだかちょっと高級なジュースって感じで 我が家では購入した事がないですが 友人宅などで出された時はちょっと感動 さすがに最近は全然見ないので廃盤でしょうが バヤリースはまだありますよ!! コンビニでも見かけることがあります
お礼
>高級なジュース そうですね、ちょっと異質な飲み物でしたね。 バヤリースは昔みたいな味なのでしょうかね。当時は人工甘味料の規制も何もない時代でしたから随分と甘い印象でしたが、今のはどうなんでしょうね。飲んでみたいです。 回答を頂き、ありがとうございました。
- 1
- 2
お礼
いい話ですねぇ、当時はガキ大将といっても皆のリーダー的役割で、弱い者いじめなどしませんでしたからね。 回し飲みとか弟の見る目とか、光景が浮かんでくるようですね。 今はもう“草むら”という響きさえ過去のものになっていますね。 思い出はコンクリートともに封印されてしまっているようで悲しいですね。 回答を頂き、ありがとうございました。