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皆さんは、「タケダのプラッシー」って、知ってますか?
私にとっては結構特別な飲み物でした。 何たって量が少ないのに、そこそこ高くて、オレンジジュースなのに何だか人工的な味で、しかもお米屋さんから届くという、摩訶不思議な流通でしたね。 瓶の底に何やら沈殿してるので、振って飲みました。 その後に、「バヤリース」という飲み物が出て、また驚きました。 プラッシーと比べたら濃厚、しかもものすごいオレンジ色という印象があります。 皆さんは「タケダのプラッシー」「バヤリース」を知ってますか? 飲んだ経験はありますか? それにまつわる思い出とかはありますか?
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プラッシーとバヤリースは、緑のくびれた瓶のコカコーラと並んで思い出がありますよ。 30年位前の話、ビンボーな市営住宅(長屋と思ってクサイ)の悪ガキのひとりだった私は他の悪ガキ達と泥んこになって日が暮れるまで遊んで、夏休みなんか宿題が「自由研究」ひとつだけという恵まれた環境も手伝ってそれこそドロッドロになって遊んでたわけですよ。で、喉が渇いて雑貨屋さんに行きたくてもなにせビンボーの家の子の集まり、プラッシーやコカコーラなんて買える訳がない。 でもビンボーな悪ガキ達はたくましかった。 市営住宅には大きなバス通りが2本走っていて、雑木林もそこかしこにあって(今でもカブトムシが獲れるんです…横浜市内です、念の為)、意外とクルマが行き交っている。私ら悪ガキ達はこんなバス通り沿いの植え込みや雑木林の道際やボッサボサの空地をガサガサ探って歩くんですよ。探しているのは、プラッシーやコカコーラの空き瓶。 あの頃は缶より瓶の販売が圧倒的に多くて自販機でもお金入れたら瓶の首をロックしている金具がガタンと外れてグイッと引っ張って、というスタイルが一般的だった。トラックの運ちゃんとか自家用車のオッサンとかが飲み終わると草むらへポイ!というのが当たり前の時代だった。 これを持って雑貨屋さんに行くとプラッシーやファンタの瓶なら1本2円か3円、コカコーラなら1本5円か6円で引き取ってくれる。当時はリサイクルというより使い回して瓶を作るコストを下げるための回収だったようですが、外資系のコカコーラの空き瓶は引き取り価格が高いので「アタリ瓶」ビールの瓶を見つけると10円近くになったので「宝」と呼んでいました。 で、換金した金で買うのは決まってプラッシー。コカコーラは「宝」が出た時にだけようやく買えた。換金してもタカが知れていたから1本のプラッシーを回し飲み。当然一番拾った奴、アタリや宝を拾った奴が最初に飲むの。最後の奴はぬるくなっちゃうんだけど、なんか妙に充実した味だったなぁ… だから私が住んでいた市営住宅界隈は、外面だけ気取っているくせに空き缶がそこかしこに転がっているニュータウンとは大違いで、ビンボー人の棲家にしてはとても綺麗な所だった。悪ガキ達が空き瓶みーんな拾うから、綺麗になっちゃうんだよね。 で悪ガキの中でもビンボーな家の子、さらにビンボーな家の子、そのまたさらにビンボーな家の子が一緒になって遊んでるのね。で、江川といういっちばんビンボーな友達が必ず弟ふたり連れて来んだけど、小さい弟ふたりが飲んでる奴をジーッと見てんのね。飲み辛いってこともあんだけど、暗黙の了解で「江川のために、ちょっと大目に回してやろうな」と、大人に教えられたわけでもないのにみんな我慢して江川に大目に取っといてやるの。それを別に大人に報告して褒めてもらうとか、そういうのナシで『別に、それが当たり前ジャン』というノリだった。 だからプラッシーとかバヤリース(後になって拾う対象になった)とかくびれた瓶のコカコーラと聞くと草むらを探していた時に嗅いだ草と土の臭いと焼けるような太陽の匂いと江川の弟ふたりがジーッと見ていたあの目を思い出すのね。で、草むら探していると間違って犬のウンコ触っちゃったり…キタネエなぁ。 今の子は、果たしてビンボーな子にこんなノリで付き合えるかな?…親が言っている陰口って、子供は漏らさず聞いているからね。そうやって考えるとビンボーで汗臭い悪ガキ達の心の中も綺麗だったんだろうなぁ…ならビンボーのままで良いや。 そういえば、もうプラッシーって売ってないんだよね。
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- kyoyakko
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プラッシー・・・・・・これをご存知なのは 昭和30年代45年生れの方でしょうか? まさに プラッシーに今 キャッチコピーをつけるとしたら 【昭和の香り プラッシー】です。 バヤリースは チンパンジーがコマーシャルで 手を叩き たしか アフレコの声は 青島幸雄さんだったような・・・・・ ちなみに 私の好きな飲み物は ワタナベのジュースの素でした。 イット缶という大きなカンカンに粉のジュースの素が入っていて スプーンで救い 自分で作るのです。 よく学校から帰ると 鍵っ子の私は 何杯も作ってバイキング状態。 それと 昔は牛乳と共に ヨーグルトも 毎朝配達される物の一つでした。 カルピスは 自分ちで買うというよりお中元でもらう物という高級感があり 兄弟で取り合って飲みました。 どういう訳か 昔からカルピスのコマーシャルは 甘酸っぱいというイメージがあり テレビで見て 口の中に想像する酸っぱさと 実際飲んで 感じる味に差があるようでなりません。 それは 私が勝手にコマーシャルのイメージから受ける爽やかさが 数段 想像を大にしてしまうのですが どうしても 実際の味が 甘く感じられ 子供の頃から いつも飲んでは「テレビと違う」と 失望していたのが思い出されます。 (今でも酸っぱい味が好みですが テレビのコマーシャルは それはそれは おいしそうです) そういえば 昭和の食べ物には何か ノスタルジーがありました。 風呂屋の珈琲牛乳は 子供ながらにちょっと背伸びした飲み物でしたし 紙芝居の酢昆布なんて 大好物でした。 そして おでんは 関西では子供のおやつです。 原っぱという空き地で遊んでいると 屋台を引いたおじちゃんがきて 子供がそれを囲みます。 一本 たしか5円か10円くらいで 夕飯までの虫休めをするのですが そこは子供で 家に帰れば 夕飯が食べられなくなり よく母親に 買い食いがばれた物です。 ついでに ホルモン焼きと云うのも お小遣いで 竹紙で作った舟に 入れてもらうのですが いつも 衛生上の怪しい噂が立ち とにかく子供達は母親の買い食い禁止令を潜り抜け 店先に並んだ物でした。 あ~いかん いかん いくらでも思い出は尽かないけど どういう訳か 食べ物にまつわる思い出が多いな~ 久しぶりに思い出しました。
お礼
何だかノスタルジック食べ物オンパレードですね。 >ワタナベのジュースの素 エノケンの歌でしたね! ♪ワタナベの、の次に“ン?”みたいな言葉が入るのが印象的でした。 >風呂屋の珈琲牛乳 これも美味しかったですね。瓶の飲み口が丸くてやさしい感じですね。時々パンピーとかリンゴ(あめ色のような透明の)を飲みました。 回答をいただき、ありがとうございました。
- cosomo7
- ベストアンサー率27% (32/118)
懐かしいですね。幼い時によく飲んでいました。プラッシーは瓶の下を叩いて果実の沈殿を防いでいました。あとはプラッシと一緒にマリンかとグレープも米屋さんから来ていました。子供の時だったのでなんでお米屋から届くのか不思議ではあのりましたね。
お礼
そうですね、瓶を振って沈殿を混ぜてましたね。 明らかに果汁カスではなくて、何かの粉のような感じでした。 沈殿を振るのと振らないのでは、色がまるで違っていました。 回答を頂き、ありがとうございました。
- ru-ru-ru8
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こんにちは^^ 「プラッシー」懐かしいその名前に思わずビックリしました、ものすごく思い出があるジュースなんですよ。 学生の時初めて見に行った『笑っていいとも!』のテレフォンショッキングのコーナーのゲストが斎藤清六さん(懐かしい!)で、 ご実家が米屋で「会場の皆さんにもお土産を・・・」とプラッシーを全員に1本づつくれたのです♪ 番組が終わってスタジオを出る時本当に1本ずつスタッフの人が配っていて、貰って帰りました。 今の『笑っていいとも!』は分かりませんが、昔は結構ゲストの人がお土産として観客に物を配ってくれたのでした。 ビンだったので重くてちょっと荷物にはなりましたが、とても嬉しかったですね。 バヤリースは今も元気に売られていますよね! お酒を飲まない我が家ではジュースがかかせませんが、炭酸がメインなので滅多にバヤリースは買いません。 それでもたま~に飲むとあの激しいオレンジ色とちょっと作られた感のあるオレンジ味に何故か安心してしまいます♪
お礼
回答を頂き、ありがとうございます。 斎藤清六さんがですか?太っ腹ですね。 それにしても「いいとも!」って結構な数のお客さんがいますよね。 それだけでプラッシー数日分の出荷数量になるかもですね。 バヤリースは何ともいえない橙色でしたね。 ありがとうございました。
- tomajuu
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No.6です。 No.12さんので思い出して・・・(すみません、「プラッシー」関連じゃなくて。 謝。) 「いの一番」・・・ありました、ありました! それで思い出したんですが、 「ミタス」っていう化学調味料、ご記憶にありませんか? 「味を足す」で、「ミタス」・・・だったと思います。 先ほどの私の回答で、「駄菓子屋で・・・」と書きましたが、ど~も、その店の転売だったのでは?と思います・・・。許されることかどうだったかは、もうわかりませんが。
お礼
いろいろと懐かしい名前が出てきてますが、「ミタス」・・わかりませんね。かなりマイナーな印象ですが、どうなんでしょうね。 駄菓子屋の転売ですか? そういう販路もあったのか謎ですね。 回答を頂き、ありがとうございました。
- sarito119
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こんにちは。 『 知りません 』 という回答でもよろしいでしょうか?。 適当に検索をして 『 知っています 』 と、 ウソをつこうと考えたのですが、良心が痛むので止めておきました。 話は変わります・・・・ むかし 『 いの一番 』という化学調味料も、 たしかお米屋さんで、売っていたという記憶があります。 『 いの一番 』 が、普通のスーパーなどで販売が できなかったのは、『 味の素 』 からの報復のためだとのこと。 具体的にいいますと、 スーパーが、『 いの一番 』 を商品として売ろうとしたら、 そのスーパーには 『 味の素 』 の納品拒否がされたようです。 当時 『 いの一番 』 と 『 味の素 』 の売れ行きを 比べたら 『 味の素 』 が、圧倒的に人気があったとのことです。 スーパーとて売り上げを第一に考えますから、『 いの一番 』 の販売を諦めて 『 味の素 』 を売らざるを得なかったそうです。 それゆえ 『 いの一番 』 は、 スーパーではなく、お米屋さんで売られていたのでした。 質問者様がおっしゃている、私の知らないジュースも 『 いの一番 』 と同じ境遇を受けていたのかも知れませんね。
お礼
「いの一番」ありましたね!お米屋さんでしたね。 そういえば見かけません。なくなったのでしょうか。 タケダのプラッシーもなぜお米屋だったのか、当時は“お米屋のジュースなんだ”という感じで受け止めてましたね。 回答を頂き、ありがとうございました。
- satoshilove2
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知ってますよ。プラッシー 親戚がお米屋さんだったので遊びに行ったら出してもらった記憶が・・・ 少し高級感がありました。 #2さんの書かれている復刻版?を先日スーパーで見かけたので 思わず買ってしまいました。 夫と2人で飲みましたが、「こんな味やったかなあ・・・」と思いました。今は色々なジュース(果汁100%とか)が出ているから舌が贅沢になっているんでしょうね。 バヤリース 外食などしたときに出てくるジュースが必ずバヤリースの瓶でしたね。 今でも法事とかの会食でジュースを頼むと出てきますね。 子供心にもちょっと着色してる?ッて思ったことを記憶しています。
お礼
そうですね、復刻版があるみたいですね。 飲んでないですが、きっと“あれ?”と思ってしまうかも知れませんね。 大分現代風にしてると思います。 回答をいただき、ありがとうございました。
- amelielico
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♯2です。 ちなみに、りんご味は炭酸入り「マリンカ」ですね。 「おまえにはまだはやい」となぜか飲ませてもらえませんでした。 炭酸入りだったからかもしれません。 補足します。
お礼
再びありがとうございます。 マリンカと言うんですか?全然知りませんでした。 炭酸入りを飲ませてもらったら「大人の仲間入り」という感じでしょうか。 ありがとうございました。
両方とも知ってますお(^ω^) バヤリースの方が高級品と思ってましたお(^ω^) プラッシー=お米屋さんですおね(^ω^) バヤリースは『アメリカのジュースってこんな味かな』なんて 思って飲んでましたお(^ω^) お(^ω^) 8月30日放送の「思い出のメロディー」が楽しみだお(^ω^) 録画するお(^ω^)…ビデオに(-_-;)
お礼
バヤリースはアメリカという感じがしましたおね(^ω^) 確かチンパンジーが宣伝してた記憶がありますお(^ω^) 回答を頂き、ありがとうございました。 お(^ω^) >思い出のメロディー 懐メロですおか? 歌っていた人は、もうほとんど亡くなってしまいましたおね(-_-)
- blue5586p
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「タケダのプラッシー」は、昭和40年代前半頃に、買ってみたことがあります。 「お米屋さんがお届けします」という、TVCMのキャッチコピー通り、行きつけの米屋さんで注文しました。 ただ、1ケースを半分くらい残したところで、人工甘味料「チクロ(正式名は「サイクラミン酸ナトリウム」)の発ガン性が問題となり、 当時のプラッシーは、王冠に親切?にも「サイクラミン酸ナトリウム使用」という表示があったため、飲むのをやめてしまった記憶があります。 昨年は、食品の偽装表示が問題になりましたが、この頃は、偽装表示は当たり前、果汁やビタミンCが全く含まれていなくても、「生のオレンジ果汁、ビタミンCがたっぷり含まれています」という表示がされていたくらいですが、そんな中、プラッシーは、正直な表示という印象を受けました。 このチクロの問題以降「全糖」「甘さは砂糖100%」という表示がトレンドになりましたが、今では「人工甘味料の発ガン性より、糖分の取りすぎによるメタボリック・シンドロームのほうが問題」という考え方に変わってきましたから、考え方の違いに驚きを感じます。 「バヤリース」のほうは、あまり飲んだことはありませんが、表示が「オレンジ」でなく「オレンヂ」だったこと、発売元がアサヒビールから合同酒精、再びアサヒビールの清涼飲料部門のアサヒ飲料と、何度も変わったことが記憶に残っています。 また、ライバル商品の「キリンジュース」が、昭和45年頃から、天然果汁100%でない商品に「ジュース」の表示ができなくなったため、「キリンオレンジ」と商品名変更を余儀なくされたのに対し、「バヤリース」は、最初から「ジュース」という品名を使用していなかったため、商品名を変更しなくてすんだと言われています。
お礼
回答を頂き、ありがとうございます。 発癌物質?そうだったんですか、全然知らずに飲んでましたね。 >人工甘味料の発ガン性より、糖分の取りすぎによるメタボリック・シンドロームのほうが問題 もしかしたら、人工甘味料は一応チェックされてて、発ガンは必然ではないけど、メタボは必然性が高いという考えがあるのではないでしょうか? ありがとうございました。
- ultraCS
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ブラッシーと言えば、武田薬品提供の日曜7時台のTBS系番組の印象が強いですね。ウルトラQ、ウルトラマン、キャプテンウルトラ、ウルトラセブン、怪奇大作戦など、「タケダタケダタケダ~、タケダタケダタケダ~、タケダタケ~ダ~」ですな、で、ブラッシーはお米屋さんがお届けしますでした。 パヤリースはよく飲みましたよ、当時はチンパンジーがコマーシャルをしていましたね。瓶と缶がありましたね。瓶は父の実家(食堂、実家と言っても隣)で売っていたので飲ませてもらいに通っていました。当時の缶は、リングプルではなく、金具(なんて言うのか知らない)で缶に飲み口と、空気穴を開けて飲む仕組みでした。 ほかに、コカコーラ製品以外の輸入ドリンクだと、カナダドライなんかも時々飲みましたね。当時だと、瓶に入ったミルクコーヒー(バヤリースと同じような細い瓶でコーヒー牛乳とは違う)なんかもありました。あとは、近所に自販機のあったウヰルキンソンのジンジャエールかな。当時、ファンタやミリンダはオレンジと紫色のグレープしかありませんでした。その後、ストロベリーやメロン(いずれもミリンダ)、レモンやアップル(ファンタ)が登場します。ファンタグレープは着色料が問題化してゴールデングレープになります(ミリンダはどうだったか)。
お礼
>タケダタケダタケダ~ 懐かしい!そんな感じでした。 空気穴をあける缶も知ってます。でもいつのまにかなくなりましたね。 きっと飲み口が拡がったタイプが出てきたからでしょうか。 いろいろ懐かしい銘柄も出てきましたね。 ゴールデングレープ・・・ありましたね! 個人的にはチェリオのグレープが通っぽくて好きでした。 回答をいただき、ありがとうございました。
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お礼
いい話ですねぇ、当時はガキ大将といっても皆のリーダー的役割で、弱い者いじめなどしませんでしたからね。 回し飲みとか弟の見る目とか、光景が浮かんでくるようですね。 今はもう“草むら”という響きさえ過去のものになっていますね。 思い出はコンクリートともに封印されてしまっているようで悲しいですね。 回答を頂き、ありがとうございました。