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寂しさがこみ上げてくる理由とは?自律神経失調症の可能性も
- 22歳の大人が楽しいことの後に寂しさを感じてしまう理由について考えてみましょう。
- 中学時代から楽しい交流の後に寂しくなる感情があったようです。
- この寂しさについて友人に相談しづらく感じているようですが、自律神経失調症の可能性も考えられます。
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自律神経失調(症)というのは、健康診断をしても特に病気や 異常が見つからないにもかかわらず、ストレスなどがもとで 体の機能を調整する「自律神経」の働きがおかしくなり、 体にもさまざまな不調の症状が現れる状態のことをさします。 頭痛、めまい、だるさ、手のしびれ、体温の異常などですね。 なので、申し訳ないんですが、お書きになったお悩みは 自律神経失調(症)とは言えないんですよね。 精神的な幼さとか年をとっているとか、そういう問題でもない ような気も個人的にはしています。誰でも、楽しくしていられる 時間がこのまま続けばいいのに、終わるのが惜しい、と思うことって よくありますよね。 ただ、それが強くなってしまい、深く悩んだり泣いてしまったり するほどというのは、楽しんでいられる時間とそうじゃないときの ギャップが大きくなってしまう何かがあるのではないでしょうか? 例えば、新しい進路や生活に移るとき、新しい環境に慣れるのが 苦手、あるいは苦手というほどでもないけど、慣れよう慣れようと ついがんばりすぎてプレッシャーやストレスを感じてしまう、 ということはありませんでしたか? 今までの心地よい環境から 離れて次の段階や別の環境に進むとき、その先に何があるのか 見えなかったり不安があっても、心地よかったものをリセット しないとまったく先に進めませんよね。でもリセットしてでも 進まなければならないとなると、その先にある現実の厳しさと うまく「折り合い」をつけながら、新しい環境や生活において 「心地よい環境」を新しく自分で作っていかなければならない ですよね。今までそれがものすごくストレスや重荷になってしまい、 新しい環境で人に嫌われたくない、見放されたくない、という 気持ちがついつい強くなってしまうことはないでしょうか? または、一人でいるときの過ごし方・自分の時間の持ち方が あまりうまいほうではなかったり、人生には自分自身で 一人だけで決めなければならないことがある、という現実の厳しさを 感じているからこそ、誰かと一緒に楽しく過ごすことでその厳しさを 忘れたい、やわらげたいということはないでしょうか? そこで何か楽しいことがあっても、現実の生活にいつか 戻らなければならないことがわかっているからこそ 「こういうことが長く続くわけじゃないんだ」という “むなしさ”を強く感じるということはないでしょうか? ちょっときつい言い方をすると、年を重ねていけばいくほど 人間関係の一部や楽しくしていられる時間を自分から切り捨てて、 新しい段階に進まなければならなくなることって、今後はいくつも 出てきます。それに伴って、いろいろと現実の厳しさに直面する ことも増えてくるでしょうね。ただ、それを通して逆に「無駄」を そぎ落としたり、経験を活かしてよりうまく環境や新しい関係を 作っていける「知恵」も身につくようになるんですよね。 何か自分の生活の中で、厳しいことに正面から当たっていないという ことはないでしょうか? 一人のときの過ごし方は充実している ほうでしょうか? 思い当たるようでしたら、じっくり振り返って みてはいかがでしょうか?
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- hipotama
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この質問文を読んでいて、どこかで回答したような気がするので参考URLに書いておきます。その質問者さんも大学生でした。「この年齢でこんなこと、鼻で笑われてしまいそうで友達には相談できません」とありますが、友人もそう思っているかもしれません。みんながそう思っているので、話題にも出てこないかもしれません。 いつ頃かというと中学時代からだそうですが、ちょうどその時期は思春期のの始まりです。成長にするに連れ自我に目覚め、自分とはいったい何者、どこから来てどこへ行こうとしているのか悩み始めます。楽しいときには自他の区別がなく孤独感はありません。しかし、一人になったときには他がいなくなり、「自」が一人取り残されます。幼い子は自他の区別がないために、他が去るときに自も一緒に去ってしまって孤独感を感じません。ですから、孤独感を感じるというのは正常な発達を遂げていると思います。 では、その孤独感とどう付き合って行くかということですが、私は他の人は自分を映す鏡だと思います。自分自身の姿を直接見ることはできません。しかし、鏡によって見ることはできます。それと同じように他人は自分を映す鏡です。「○○さん(私本人)って、○○なんですね。」と言われてハッとするときがあります。自分では気がついていない面に気付くことがあります。そのように自己を見つめることによって、自分は何者で、何をしようとしてどこに行きたいのがはっきりしてくると思います。そのような心の成長に連れ、恋人ができ結婚し子供が生まれると、家族のため子供のためにがんばろうと生き甲斐が出てきます。ちょっと辛いときに、子どもの健やかな寝顔を見ると元気が出てきます。 質問文からすれば、正常な発達だと思います。それが、孤独感から抑鬱状態(何もやるのも面倒になり何もしたくない、無気力感、性欲の減退などの状態です。)や原因不明の頭痛腹痛などの身体異常がずっと続くようであれば、内科や心療内科などを受診した方が良いと思います。 蛇足ですが「精神的に子供なのではなく逆に、おばちゃんなんでしょうか?」についてコメントです。私自身のことになってしまいますが、後10年で定年です。あと10年どう生きようか悩みました。黄昏時(夕方)に今日1日終わって、「ああ1日終わってしまって」という寂寥感があります。それを人生に例えて、熟年期に黄昏症候群というのがあります。 それが来たかと思いました。人間は生まれてから死ぬまでそれぞれの発達課題があると唱えたのは、心理学者のエリクソです。質問者の時期の発達課題は自我同一性の獲得です。熟年期は今まで生きていた自分はこのままでいいのだろうかと振り返る自我の再統一が発達課題だそうです。それを読んで納得してしまいました。 長文の回答ですみません。何らかの参考になれば幸いです。