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プロの芸術が受けなくなったのはなぜか
最近の傾向として、アマチュアイズムというものが、方々の表現に幅を利かせているようです。音楽、デザイン、文学その他もろもろに、その道のプロが遂行を重ねた心血を注いだ作品を庶民が呪文のように唱えるのでなく、内容は深くなく、機転もないが、親しみよくわかりやすくというものがそこらじゅうにあふれているということになっているような気がいたします。 こういう傾向というのは、どうして市民権を得ているのでしょうか。人間の本来的な欲求というのがこういうもので、昔は素人イズムが現れることができなかったから仕方なくプロの固いものを味わっていた構図なのでしょうか?それとも、素人イズムもいいがやはりプロの項は洗練されたものを捨ててしまったのは失敗だったという苦い思いも出てきていますか?
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noname#65529
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お礼
よくわかります。 日本は押しぎせというか、無理やり結果だけを輸入して消化し、その内実を味わっていない。泥臭いものを。西洋人は肌で分かっていることはありますね。実際向こういくと、18世紀とかその辺の歴史がいたるところ「今」に生きている気がします。日本では江戸時代は時代劇でしか生きていませんしね。そういう基本的意識も違う。 芸術にはまず素人的な底辺の動きが必要であることがよくわかりました。この裾野の広がりのおかげで、将来的にはアート的感性がある日本が育つものかもしれません。